2019年08月24日

ひさしぶりに京に上洛、歴史探索に励む

今日は、思うところがあって京に上洛。
目的は京都洛北の戦国史に名を刻む山中越の磯谷氏、
一乗寺の渡邊氏、岩倉の山本氏らの家紋ウォッチ。
渡邊氏、山本氏は京都に住んでいたころ
家紋探索と城跡登山など、その歴史を訪ね歩いた。

京都の山城国は足利幕府が置かれたところであり、
南北朝時代から戦国時代まで、武家政治の中心であった。
そのような京は山城国において国衆というべき存在は
知られるとことが少ない。とはいえ、桂川西岸に勢力を有した
西岡衆、山城一揆で知られる南山城国衆、そして、
洛北に基盤をもった山本・渡邊・佐竹・磯谷らの洛北衆らの
国衆・土豪たちは京の戦乱に小さくない足跡を刻んでいる。

洛北衆のうち、山本・渡邊・佐竹氏らは、いまも戦国期以来の在所に名字が残っている。そして、山中越を押えていた磯谷氏も、山中越に名字が残っているのであった。ということで、京の町を横断して山中越を目指し、山中氏の子孫であろう山中家の墓地を訪ねたことだった。

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山中越は京の北白川と近江の大津とを結ぶ古くからの峠、磯谷氏は山中越に城を構え、要衝の地を押さえて勢力を有した。『見聞諸家紋』に見える磯谷氏は「竪三つ引両」を幕紋としており、おそらく山中越の磯谷氏であろうと思われる。山中の磯谷家が同紋であればドンピシャなのだが、などと考えながら山中集落の村墓地を発見、逸るこころで墓地にお邪魔した。

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村墓地には磯谷家の墓石が10基ほど、墓石に彫られた家紋を拝見すると「違い鷹羽」「三つ星一文字」「目結」などなど一様ではなく、期待した「三つ引両」紋を用いた磯谷家はなかった。磯谷氏は足利義昭が織田信長に対して挙兵した時、義昭に味方して討死した。以後、子の何某が秀吉に仕えたというが、磯谷氏は歴史の表舞台から消えた。いまの磯谷家の家紋は、江戸時代、そして明治に至る間に中世との断絶が生じたものであろうか。

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山中越のあとは一乗寺の渡邊氏の居館跡でいまも子孫が住まれているという「宮内少輔城址」を訪ねる。ことさら新しい発見はなかったが、以前に来たときよりも土塁あたりが藪化していたような。

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渡邊家のつぎは岩倉の山本家の家紋ウォッチ。むかしの記憶をまさぐって岩倉の共同墓地を訪ねる。山本家の墓所は記憶の場所にあり、家紋も当然ながら「扇に日の丸」であった。中世の山本氏は清和源氏義光流といい、佐竹氏とは同流ということから扇紋を用いたものであろうか。いや、岩倉山本氏は上高野から八瀬あたりに勢力を有した佐竹氏と関係を有したことから扇紋を用いたものか。その解は未だ得られていない。

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洛北衆の歴史をなぞったあとは、丹波への帰路についた。来るときは亀岡経由で上洛したが、帰りは鷹峰から京見峠を越えて杉坂に抜ける道を選んだ。鷹峰の入口にある仏教大学の近くには秀吉が築いた京御土居と空堀の遺構が見事に残っている。そこから段々に細くなっていく長坂越えの道を登っていくと京見峠を越え氷室神社への分岐、その近くに明智光秀の改修になるという堂の庭城址が残っている。

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堂の庭城は京の争乱に際して一方の拠点となり、京をうかがった丹波国衆が足がかりとした山城。戦国末期には山国庄などを違乱した宇津氏が押さえ、その滅亡後に光秀が周山と京を結ぶ拠点として改修したものと伝えられる。

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その有する歴史の濃さもあって、おおいに期待して城址に踏み込んだのだが、なんとも小さな城で遺構も漠然としていて肩透かしを食らった感は否めなかった。また、京見峠からの展望も樹木に遮られて、こちらもガッカリさせられたような。

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杉坂に下り、そこから北上すれば京北町、周山城跡東山麓の街道を通過する。亀岡経由で帰ることを思えば、ずいぶん遠回りをしている。せっかくなので、周山北方に残る鎌倉時代の居館跡という下中城跡によってみた。遺構は田んぼの中にあり、むかし発掘調査もされ、史跡として整備されている。遺構としては土塁と小判型の館跡の区画があるばかり、ではあるが遺跡として後世に残そうという意志は感じられた。

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かくして、京から近江、洛北、京と丹波の国境を越え、丹波は篠山へと帰っていった。所期の目的を達したのかどうか、いささか心もとないことではあったが、家紋、名字、城跡・・・などなど、あれこれ楽しめた久しぶりの上洛であった。

posted by うさくま at 13:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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