2019年08月18日

細見氏の家紋と歴史を訪ねて春日町へ

今日は歴史仲間のお誘いを受けて細見氏の足跡を求め、
丹波市春日町は上三井庄から野瀬界隈を歩いた。

細見氏といえば、戦国時代、多紀郡の北東部に位置する
現在の本郷から京丹波の鎌谷、三和あたりを領した武家。
伝ではあるが、黒井城攻めに敗れた明智光秀を待ち伏せ
あと一歩のところで取り逃がした草山城主・細見将監が知られる。

いまも、本郷一帯から鎌谷、栗柄峠を越えた春日町一帯に
細見姓が広く分布している。先日、細見氏の後裔でその歴史を
調べておられる細見さんというお医者さんがいらっしゃるので
話を聞きに行きませんかと声をかけていただいたのだった。

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訪ねた細見さんは篠山と春日に医院を経営され
細見姓の歴史、家紋に一家言をもたれているとのこと。
ご一緒したO氏も篠山城の石垣刻印、波多野氏の家系などを
緻密に調べておられる方で、さてさて、どのような話になるか
おおいに期待して出かけていったことだった。

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約束の時間に早かったので下三井庄の谷奥に鎮座する於久雲神社に参り
鳥居を寄進されたという細見氏の先々代にあたる方の名前をウォッチ。
神社は風之神といい、境内は程よく古びて涼やか、
まことに清清しい雰囲気であったが、祭神は分らなかった。

さて、訪ねた細見医院さんは、六十過ぎの方で、
なるほど、理路整然と細見家の歴史、自らの縁戚を主体とした
近代以降における細見家の系譜関係について話された。
その縁戚のなかに、丹波波多野家の最後の当主の刀自となられた
女性がいらしゃったのだった。それがO氏のツボでもあった。

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医院で話が盛り上がったのち、細見家の墓所にお邪魔。
平成のはじめに古い墓地を改修されたとかで、古墓が一所に集められ
改修された墓地は新しい墓石がズラリならんでいる。
細見家の家紋は「菊に三つ星」で、菊花は覗きのように見え、
花弁は七・八・九に大別された。古い墓石には下半分をスパッと
切り取ったように見える「半菊に三つ星」があったが、
新しい墓石には見当たらなかった。聞けば、墓地を改修するとき
家紋の形を揃えたとのことだった。なるほど、家紋は変わるんだ。

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その後、川勝氏にゆかりがあり供養塔が建てられているという
医院北側にある東漸寺にお邪魔した。お寺の紋は川勝氏にゆかりの
「丸に釘抜」で、供養塔は五輪塔スタイルであった。
ここで細見先生と別れた我々は、昼食を済まし、先生のいわれる
丹波細見氏の本流が続いているという春日町野瀬を訪ねた。

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野瀬は二度目の訪問。むかしの記憶をたどって細見氏の古墓が
祀られている村墓地を訪ねた。いすれも「三つ星」紋が刻まれ
天正七年に戦死したという将監宗信らの名前を刻んだ供養塔があった。

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それを見る限り、この墓所の細見氏が本流と思われたが
供養塔そのものは明治以降に建立されたものであった。篠山側の
草山にも細見将監の伝承があり、菩提寺も続いている。
はたして、細見氏本流の後裔はいずこであろうか?悩ましいところだ。

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春日町から篠山にリターンして、喫茶店で乾いた喉を潤した。
店のマスターは野瀬出身の細見さんといい、系図もあるとのこと。
ありがたく見せていただいた系図は、なかなか解釈に難しいものだったが
野瀬の墓地にあった将監宗信らの名前が記され、すべてを信じることは
危険だが、それなりに全体の流れは受け入れてもよいのでは?と思われた。

気が付けば、五時前、朝の九時から八時間ばかり経過している
楽しい時間は過ぎるのが早い!細見氏の歴史探索行はここでお開きとなった。
今日は成果があったようななかったような、でも、細見氏の歴史を
垣間見ることはできたような。来る「おもゼミ」に活かしたいものだ。


追記)
於久雲神社の祭神を調べてみると「櫛岩間戸神」であった。なんと、昨日、ブラッと立ち寄った丹波国多紀郡の式内社「櫛岩窓神社」と同じ祭神であった。ということは、門の神ということであり、鎮座地は風の通り道になる谷ということで、そこの門となっているのだろうか?


posted by うさくま at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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