2019年08月11日

播州西脇の寺社めぐりに汗を流す

毎日、暑い日が続く! 先の金曜日にはプチ熱中症になり、
昨日はDSG土曜会に出席したのちはグッタリと家中で過ごした。
そして今日、前から予定していた西脇史跡めぐりに出かけた。
メンバーは、城歴友のS氏と友人のMさん、播磨屋と相方の四人
十時に集合した時点で既にフラッとする暑さであった。

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地元の地理に詳しいMさんの車に同乗して、史跡めぐりスタート
Mさんは地元の観光パンフや観光地図などを手がけておられ
いただいた作品というか成果物のマップや資料はプロの仕事であった。
最初の目的地としたのは、異本黒田系図を所蔵する黒田庄町の荘厳寺。
途中、かつて発掘調査があった喜多城を通り過ぎる。
すべてが失われてはいないが、大方が道路と化していた。

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瀧尾神社、神紋は「五瓜」だった。祭神の一柱に素盞嗚尊があったが、主祭神となっていたのは武甕槌命、経津主命、天児屋根命らの春日神たちであったような。ならば春日神社であり、藤紋があるべき神紋なのでは? 社殿の作りなども含めて、なかなか興味深い神社であった。

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帰宅して瀧尾神社のことを調べてみると、YouTubeで瀧尾神社の「秋の祭礼」を発見。映像を見ると、拝殿の幕、提灯には「五瓜」の紋、幟旗には「五七桐」が描かれていた。
瀧尾神社の社号標に書かれていた素戔嗚命は本殿ではなく左側にあった摂社に祀られており、本殿には 武甕槌命、経津主命、天児屋根命らが祀られているような。祭礼も夏の厄除け(いわゆる祇園御霊会)ではなく、春秋に行われているのは五穀豊穣を願ってのものと思われた。では、なぜ拝殿屋根の大棟や本殿の破風、祭礼の幕などに「五瓜」紋が描かれているのか? また、祭礼に立てられる幟旗の「桐」紋は何に由来したものか? 探るほどに神紋の謎は深い。

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黒田系図に一石を投じる荘厳寺。ちっぽけな寺院であろうと勝手に想像して訪ねたところ、意外にも荘厳(洒落ではなく)な空気を漂わせる古刹であった。奥の院の本堂、いい姿の多宝塔など見所の多いところで、吹き渡る風も涼しく心地よかった。

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荘厳寺本黒田系図の複製。先年の大河ドラマ『軍師官兵衛』で一躍脚光を浴びた系図だが、その真偽は不明。しかし、西脇市では官兵衛の出自を語る系図であるとして、観光の目玉とした。勇足と言うしかないが、こうして系図を見るとよくできたものではある。この系図を傍証する史料が現れない限り、軽々しく扱う(特に観光目的)のは避けるべきであったと思うのだが。

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荘厳寺門前近くの共同墓地。大城戸、森脇そして藤原姓がズラリ! 大城戸氏は黒田城の城戸を護っていたことから名字としたという。この墓地の中にキリシタン地蔵があり、キリシタン信徒であった官兵衛がこの地の出身である傍証とするらしいが、チョッと無理があるような。

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木曽義仲供養塔、伝ですが。その拠り所として、すぐ近くの曹洞宗寺院の山号が「朝日将軍」にちなんだという旭雲山、そして寺紋が源氏を代表する紋という「笹竜胆」があげてある。まさにステロタイプに過ぎる由来だが、多層塔そのものは誰を祀ったかはおくとして立派なものでした。

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瀧尾神社、荘厳寺などをまわったところで昼になった。
とにかく暑い!午前の部はここまでとして昼食に手打ちそばを楽しむ。
腹を充たしたところで昼の部をスタート。
長明寺から野村構居、可能であれば光明寺に足を伸ばそうとなった。

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源頼政にゆかりの長明寺境内の源頼政ヌエ退治像。頼政は一帯を領して長明寺を信仰、堂社などを寄進したという。以仁王の挙兵に与して討死した時、従者の猪何某が遺体の一部を持ち来たり寺の一角に葬ったのだと伝えられる。また、猪何某は頼政が弓で倒したヌエにとどめをさした人物で、その子孫という家がいまも市内に続いているそうな。

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播州の国主となった池田輝政が、ため池を築造したとき頼政のものと思われる墓所を発掘、発見した。おそらく猪何某が葬った遺跡とされたという。その後、時を経た元禄時代に改めて墓所が整備され、源頼政の墓石が建立されたのが現在の源頼政の墓所とのこと。家紋は・・・、彫られていなかった。

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長明寺もとんでもない暑さ!涼みがてらのティータイムに
行きましょうということになった。行き先となったのは、
ここ最近、わざわざ行きたい工房!兵庫西脇・播州織の聖地
として人気をよんでいる「tamaki niime」でお茶。
せっかくなので、工房と工場を見学させてもらった。

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お茶と播州織でまったりしたあと、加古川の水運に睨みを利かしたか? 野村構居跡を訪問。
構主は在田氏、いや上原氏などと伝えられている。すぐ北方に諏訪神社が鎮座していることから、諏訪神氏系上原氏では?と現地を訪ねたところ諏訪神社は元禄時代の創建であった。

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城址の妙見堂前には 上原大将軍の石標、後方に祀られていた上原左京大夫の供養塔には三つ巴紋が刻まれており、赤松系上原氏かと思われたが、はてさて? 歴史の現場を訪ねれば訪ねただけの知見が得られる、やはり史跡歩きはおもしろい!

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野村構居を探索した時点で、あまりの暑さにバテ気味となり、光明寺は次の機会に譲り、猪何某の後裔という家、板波に鎮座する石上神社をめぐった。今日の史跡めぐりはここまでとして、懇親会の会場へと移動した。

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会場となった店は光明寺山麓の滝野駅近くの『ばんしゅう港』、店員のお姉さんの背中には「海のない町に、港をつくろう」とあった。魚がメーンの店で、まずは麦酒で乾杯!今日の史跡めぐりを中心とした西脇の歴史、そこから広がった歴史ばなしに時間はあっという間に過ぎていった。
今日、行けなかった予定地、とくに光明寺は改めて仕切り直して踏破したいところである。まずは、涼しくなるこの秋ごろをターゲットにしようか!
posted by うさくま at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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