2019年07月15日

丹波富士 半国山と波多野氏ゆかりの山城登山

三連休、3日目。
今日は梅雨の合間の曇りということで、
かねがね気にかかっていた半国山に登ることにした。

半国山は丹波富士とも呼ばれる山で、亀岡宮川界隈の
山城に登ると「半国山」という道案内に出くわすことが多く
先週登った神尾山城跡も半国山への登山ルートが縦断している。
ということで、城歴友のSさんと相棒さんを誘って
半国山登山と山城攻めを企画、出かけた。

aIMG_5634.JPG
行程マップ
bIMG_5671.JPG
山城のレジュメを作成

プランとしては神尾山城跡の山麓に鎮座する金輪寺への
旧参道を登り、神尾山城跡を縦断、半国山を目指す。
帰路は半国山から数掛山城跡を経て広峰神社へと下ることにした。
国土地理院の地図を見る限り想定しているコースの山道はあるような、
数掛山城から広峰神社へのルートもかつて山道があった。まずは、
迷うこともなく山歩き&山城攻めはできると思われた。

さて、神尾山城跡は波多野一族が世に出るきっかけとなった「神尾山の戦い」の舞台となったところ、そして、明智光秀との戦いに敗れ投降した波多野秀治兄弟が安土への途上に入城したとされる山城。一方の数掛山城跡は、波多野氏の有力一族であった与兵衛が居城とした山城。いずれも、丹波波多野氏にゆかりのある山城である。

金輪寺旧参道の登り口に鎮座する宮川神社に参拝し、丹波ではお馴染みの獣防柵の扉を開けて登山スタート。参道は幅一間以上は測る立派なもので、今も機能しているように見えたが、所々にかつて参拝者を見守ったであろう石仏を祀った跡が残っている。やはり、今は自動車ルートがメインになっているようだ。
参道を登っていくと金輪寺跡の旧跡である石の段、坊跡の平坦地と石垣群が現れる。往時の繁栄を偲ばせるに十分過ぎる遺構であった。参道の終点は自動車ルートに合流して金輪寺へとたどり着き、門前の説明看板で金輪寺の由来をおさらいする。先週は気づかなかったが、金輪寺の本堂扉に刻まれている菊の紋が、左側は陽刻、右側は陰刻、いわゆる「陰陽」を表していたのだった。メンバーが増えると新しい発見がある、こういうのもワイワイ登る楽しさだ。

c66874855_2361145180818864_5157254453950152704_n.jpg
神尾山城の虎口あたり

金輪寺から神尾山城跡へ登り、城跡をサクッと探索。主郭部の西側に位置する虎口部から半国山へのルートに踏み出す。振り返ると神尾山城の曲輪切岸が眼前にあり、右手の斜面には畝状竪堀が築かれている。これを見る限り西方を意識した防御、すなわち波多野方への備えであることが見てとれるのであった。

dIMG_5638.JPG
655メートルピークのビューポイントから亀岡市街を見る
eIMG_5642.JPG
半国山の分岐点で小休止

半国山へのルートは明確な山道で、所々に道標も設けられている。見晴らしのないのが残念だったが、緑の木々と時折に吹き抜ける風がなんとも心地よい、いい感じの山歩きだ。ひたすら歩き続けると、突然ビューポイントが設けられ、亀岡市街から京都方面が一望、しばし景色を楽しんだのち一気に半国山へとひた登っていった。
半国山手前の関電の鉄塔のところで今日はじめての登山客と出会う、ネットでは半国山の情報は結構上がっていたが人気はそれほどでもないのだろうか?ほどなく半国山への分岐点の標識が現れ、広葉樹の林を登っていくと半国山頂上に到着?ッ!宮川神社から約3時間の山行であった。

fIMG_5676.JPG
半国山山頂
gIMG_5675.JPG
北方の山々を遠望、八木城跡もすぐ間近に
h67189585_440581540117264_7647585747549028352_n.jpg
山頂で記念撮影

半国山は丹波国の半分が望めることから名付けられたといい、なるほど眼下の亀岡はもとより園部、福知山方面までが見通せる。遠くに愛宕山も望め、振り返れば摂津の山々、さらに相方はハルカスまで見えるという。薄曇りなのが残念だが、晴れた日には素晴らしい眺望を堪能できるのではないか。
山上からの眺望を楽しんだのち昼食をとり、記念写真を撮り、しばし雑談に時間を過ごしたのち下山を開始した。下山は数掛山城跡を経由して広峰神社へと下っていくことになる。地図を見る限り破線が記され、十年前の登山の折に登ったルートもあることとて、やや楽観的に下っていった。

i66735190_606644216408543_9204923790813822976_n.jpg
数掛山城跡への分岐
jIMG_5668.JPG
とんでもない藪

ところが数掛山への点線ルートは消失気味、タブレットのGPSアプリを道案内として消え入りそうなルートを辿っていった。やがて見覚えのある城址西方に一騎駆け道が現れたが、倒木で前途は塞がれている。ここまでのルートもだったが、ここ数年の台風被害は想像以上に深刻な被害を残しているようだ。
倒木を踏み越え攻め込んだ数掛山城跡も堀切に倒木、切岸を登った曲輪部分も雑木が成長して探索もままならない状態であった。とはいえ、城址を仔細に見て歩くと、雑木を伐採、手を入れれば城址そのものは健在に見えた。しかし、ここまで山城整備に来るには相当の体力気力が求められる、何よりも城好きな酔狂さが不可欠だろう。許されれば酔狂ぶりを発揮したいところではあるが、体力気力に自信がない、見守るしかないということだ。

k67441417_466647380833907_3861952202205560832_n.jpg
下山ルートの崩落箇所を通過する

数掛山城跡を探索したのちは、広峰神社方面へ下山となる。むかしの記憶ではおおよその道があった、荒れているだろうが大丈夫だろうと思っていた。ところが、それが大きな誤算であった。下りかけると倒木が前途をさえぎり、すぐ向こうでは山道が崩落しているではないか。
前途への不安は現実のものとなり、むかし登った山道はエライことになっていて山道は壊滅状態。ここかな?いやこっちか?と迷走しながら下っていく。GPSも電波が弱いのかとぎれぎみ、とにかく下っていけばなんとかなるだろうと、か細いGPS情報を頼りに荒れ果てた山から山麓までたどり着けた。GPSがなければエライことになっていただろうと思えば、この十年のITの進化に感謝したことだった。

l66648498_778986045837182_3490144970814259200_n.jpg
疲労困憊で山麓まで降りてきた

なんとか下山できたが、里山の荒廃は思っていた以上に深刻、この先よくなることはなさそうだ。今日の印象として数掛山城は登る道が失せた幻の山城になりそうだ。これは数掛山城にとどまらず、山城を含む里山の荒廃がもたらす必然的結果といえそうだ。日本の山々、荒廃する一方になるとしたら、先祖が営々と国土を切り開いてきた歴史にツバすることになりはしないか!いつか、大きなしっぺ返しを食らうのではないか。杞憂になればよいのだが。

後半はとんでもない山行となったが、無事に帰りつくことができた。冷や汗も含めて汗まみれになったあとは麦酒。篠山まで戻って、麦酒とツマミで今日の山行を振り返った。色々あったが、7時間の山歩き、山城攻めと併せて堪能したことだった。

posted by うさくま at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/186285696

この記事へのトラックバック