2019年07月07日

昨日に続いてニュー山靴慣らし登山、神尾山城跡を踏破。

今週末は天気予報が外れたようで、今日も薄ぐもり。
昨日に続いて、相方のニュー山靴ならし登山を目論んだが、その前に
早起きして市民文化講座のレジュメ作成に勤しんだ。
概ねできたところで、何故か「保存ができない」というメッセージ
「え、え〜っ!」と動揺しながら保存にこれ努めたがうまくいかない!
とりあえず、別名保存、別のディスクへの保存などを試みたが
いずれもうまくいかない。仕方なく、無理やりに終了した。
神に祈る気持ちで、データを開いたところ・・・
3時間かけて作成したデータはすべて何処かに消えてしまっていた。

ガックシ!、思わずコンピュータを放り投げそうになったが
気を取り直して、頭の中に残っている記憶を頼りに
改めてレジュメづくりにトライ、なんとか形にすることができた。
本来なら推敲をして、手直しをするところだが、
気分転換もかねて、予定していた相方のニュー山靴ならし登山に出発。
今日の行き先は、これも講座に関わりの深い山城の一つ
亀岡の神尾山城に決定。デカンショ街道を亀岡へとひた走った。

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北山麓、旧山陰道から神尾山城跡を見る

神尾山城は、丹波波多野氏が台頭するきっかけとなった神尾山の戦いの舞台となった山城で、戦国末期、明智光秀に降伏した波多野秀治が入城した「本目城」に比定されているところでもある。
十年ほど前に一度登って以来、篠山と京都を往来するたびに神尾山はいつも変わらぬ姿を見せ、いつか再訪したいものと思っていた。

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神尾山金輪寺 参道

神尾山城跡は、亀岡の古刹の一つである金輪寺後方の山に築かれ、その規模の大きさは丹波でも有数の山城である。金輪寺まで車一台がやっと通れる林道があり、お寺の駐車場に車を停めさせていただく。本堂横から半国山へと続く登山道がそのまま城址を縦断、迷うことはない。

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金輪寺旧跡の石垣
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国指定重文の石造五重塔(鎌倉時代)

今日は、山城に登る前に金輪寺東方の山腹に残る旧寺院跡の石垣群をウォッチ、なかなかの規模を誇った寺院であったことが実感される遺構が眠っているのだった。いわれるところの山城の多くが旧山岳寺院の寺域を転用していることも実感された。

d66035566_2896598063744025_955884889150849024_n.jpg 丹波康頼の供養塔という五輪塔
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曲輪切岸と横堀

さて、神尾山城へと登っていくと、金輪寺ゆかりの人物である丹波康頼の供養塔が祀られ、そこから切岸、平坦地、横掘が次々にあらわれ城域へと踏み込んでいく。城址遺構は尾根筋に曲輪を連ねる構造で、竪堀や土塁もなく切岸の高低差を防御とした大味なつくりであった。

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曲輪と切岸
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虎口の石積

とはいえ、尾根に構えられた城跡はそれぞれの曲輪が広く、途中に櫓台?と思われる土盛も残っている。ただ、南曲輪群はともかくとして、主郭に近づくほどに潅木が増え城址探索も難儀させられた。もっとも、城址というよりは、半国山への登山道とすれば、それなりに整備されていることではあった。

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潅木の茂る曲輪を縦断する半国山ルートの道しるべ
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山上に連なる大味な曲輪群

神尾山城は尾根筋の曲輪群と、山腹の寺院跡であろう平坦地群とに分けられ、寺院跡の平坦地は巨岩を取り込み、曲輪も数多ある。どこまでが城の曲輪でどれが寺院の平坦地か・・・迷うところだが、金輪寺と一体化した山城であったことは間違いない。

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磐座を連想させる巨岩
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山腹に平坦地が連なる

昨日の八上城でも思ったことだが、戦国史を語る山城遺構として整備されれば、素晴らしい戦国史跡が現れること必定なのだが、歴史認識、地権の問題、なによりも予算面で手が入れられないのだろう。

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神尾山城を歩き回ったのち、心にひかかったのが旧金輪寺へと登ってくる参道が残っていことだった。あとで、地図を見てみると東山麓に鎮座する宮川神社から金輪寺へと登っている山道がありそうな。おそらく、このルートが中世における金輪寺、神尾山城への登り道だったのだろう。
さらに調べてみると、宮川神社はかつて神尾山の山上にあり神尾神社と称されていたという。そして、明智光秀の丹波攻めに際して兵火にかかり焼失、現在地に遷され社名も改められたとのこと。なるほど、神尾山城、金輪寺、宮川神社は三位一体の時代があったような。
いつか、機会を見つけてこのルートを踏破したいものだ。
posted by うさくま at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城
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