2019年06月02日

因幡毛利氏の山城をめぐる日帰り小旅行

昨晩、城歴友のSさんが拙宅に訪ねてこられ
嬉しい品を届けてくださった。そして、明日、いわゆる今日
因幡の市場私部城と山崎城に行きませんか?と誘われた。
両城は因幡毛利氏にゆかりの山城であり、京都に
住んでいたころから心にひかかっていたところ。
躊躇うことなく二つ返事でお受けさせていただいた。

今朝、八時半、拙宅まで迎えにきていただき合流
豊岡道を終点日高神鍋高原ICまで、そこから、482号、9号を経て
雨滝街道で山越え、いわゆる但馬経由で因幡に攻め込んだ。

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道路越しに城址を見る

まず、因幡毛利氏の庶家が拠った山崎城を攻撃。
北側に築かれた殿ダム建設において消失するのでは?と危惧されていたようだが、城址は無事!しかも、城址を示す立派なカンバンまで建設されている。そして、登り口まで道路が通じ、城址までも整備された山道が建設され、おそらくダム工事にともなう交付金を利用して整備したものと思われた。

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城址に不釣合いな立派なカンバン(LED照明あり)

址は山上の主郭を主体に東西に曲輪を並べた単純な構造、東尾根側の堀切の左右斜面に竪堀が落とされる。北側は藪に覆われているが、南側の四条はシッカリと造成されまさかの見応え十分な遺構であった。

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城址東の堀切と切岸
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畝状竪堀、意外にもシッカリ築かれていた

城址は堀切から段状に曲輪が続き、主郭には東屋、公園として整備された時代があったようだ。しかし、全体に荒れ気味で山道を外れると藪化が深刻、そのような城址を歩いてみると切岸に小規模ながら石積が確認できた。

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主郭のあずまや
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主郭切岸の石積跡
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城址中央部の堀切

山崎城主の毛利氏は但馬との境目を領していたことから但馬山名氏と接近するようになり、本家の因幡毛利氏に攻められ、あっけなく落城、城は因幡毛利氏が支配下においたという。

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向うの山並みを越えた谷に市場私部城がある

山崎城の位置のコピー.jpg

山崎城の次は、私部郷を領する因幡毛利氏の本城である市場私部城へ。
城址は山崎城南の山並みを越えたところに位置し、南西の若桜には毛利次郎の乱でともに戦った国衆矢部氏の居城、鬼ヶ城がある。

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北西より見た城址、意外に小さく見えるが・・・

因幡毛利氏は安芸毛利氏と同族といい、鎌倉時代のはじめより私部郷に根を下ろし有力国衆となった。応仁の乱ののちの文明年間、毛利次郎貞元は近在の国衆と一揆を結んで守護山名氏に反抗して兵をあげるなど、自立の道を歩もうとした。私部城はその間に拡張、整備され、毛利氏は一揆の中心となって勢力を振るったようだ。二度にわたる毛利次郎の反乱は失敗に帰し、私部城も落城の憂き目をみた。しかし、勢力は温存したようで戦国末期の豊元まで私部城主として一帯を領した。

『図説中世城郭事典』に収録されている市場城の概略図を見ると、市場集落の南方に位置する小山全体に曲輪が構えられ、なかなかの規模である。おそらく南北朝時代のころより営々と改修が続けられていたのではなかろうか。そして、いまに残る遺構は、毛利氏に敗れた尼子氏の再興を目論む尼子鹿之助時代のものという。

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かえる岩

もあれ、コピーした事典の概略図を片手に城址へと攻め込んだ。私部城といえば「かえる石」といわれる有名な巨岩が残るルートに取り付き、山上の尾根曲輪を目指して急斜面を登った。山上ピークに構えられた主郭群は高い切岸とよく削平された広い曲輪が連なる。

IMG_3382.JPG 大竪堀

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曲輪と見事な切岸
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岩を活用する切岸、曲輪も広い
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切岸に石塁の址

城址は、主郭部を中心に東西に伸びる尾根筋に連なる曲輪群を背骨として南北の斜面に伸びる尾根筋に小曲輪群が段状に築かれている。城域こそ広いが総じて大味な造りである。とはいえ、丁寧に削平された曲輪と切岸、南に続く尾根筋を遮断する三重の堀切、要所に落とされた竪堀など、見るべきところは少なくなかった。

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主郭 東尾根の曲輪切岸
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南尾根の堀切

概略図を見ながらまわる城址は、とにかく広い。尾根曲輪群から主郭部、南尾根の堀切をめぐり、北東尾根の曲輪を下り、取り付いたルートへ下っていこうと城址を歩き回った。下りルートになる北東尾根は藪化が進行中で、手持ちの概略図と照らしても立ち位置が分からなくなってしまった。最後は迷走、高い切岸を滑落しそうになりながらも、なんとか山麓の墓地(曲輪のひとつ)まで降りつくことができた。

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南尾根 土橋を伴った堀切
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馬場が平の土塁
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馬場が平切岸と玄蕃が平曲輪
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山麓曲輪、現在墓地に利用されている

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赤の矢印が登りで、青の矢印が下り

おりからの蒸し暑さもあって、3時間以上の城歩きで汗だく、文字通りに疲労困憊であった。今日の山城探索はここまでとして、すぐ近くの福地集落にあるという伝毛利豊元の墓所を訪ねた。かつては毛利氏の菩提寺址であったという山麓の広場に豊元のものという宝篋印塔がポツンと立っていた。

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市場私部城主 伝毛利豊元の墓所

往路、休み休みしながら二時間半の行程。帰りは鳥取道を経由して中国道を利用することとし、一路丹波へと帰っていった。
山城に登ったあとは麦酒である、先日のオフ会で好評だった「ふじわら」によってみたが日曜でお休み。さてどうしよう?そうだ大手食堂に行こうということになり、篠山に暮らして十年、はじめて大手での食事となった。
いかにも田舎の食堂という店であり料理だったが、マズマズの美味しさ、四人でたらふく飲み食いして一万円でお釣がきたことだった。かくして、因幡日帰りの山城攻めはお開きとなった。

posted by うさくま at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 山城探索
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