2019年04月27日

たつの古城から城山まで縦走

今日はかねてよりの念願だった、たつの古城から
的場山経由で城山城までを縦走せんと、たつの市に遠征した。

城山城東麓の船渡交差点角のローソンに9時待合せ
1時間と少しで行けると踏んでいたが、10連休の初日!
いつもガラガラの国道も、中国道も、ローソンへの道も
交通量の多いこと、集合時間ギリギリにローソンに到着。

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今日のトレッキングルートとなる山並み

今日の参加者は、いつものTさん、Sさん、タケさん、
そして相方と自分を含めた気心の知れた小グループである.

登り口の一つである馬立古墳側に車を駐車、
Tさんの車に移乗して今日の登山口となる
たつの城内の歴史資料館に移動、近世龍野城跡を横切って、
まずはたつの古城を目指して登山開始。

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たつの古城、石垣と切岸
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たつの古城、主郭北西の石垣跡
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d58608436_2710656655671501_3602035654923386880_n.jpg たつの古城、北端の堀切

たつの古城はもう何度目かの登山だが、Tさんの解説もあってよく削平された曲輪、切岸、土塁、石垣などなど面白く山城歩きが楽しめた。本丸で記念撮影をしてのち主郭部後方の堀切を越え紅葉谷分岐へと下っていった。

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的場山手前の尾根より、たつの市街を眺望
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分岐から的場山へ登って行ったが、未踏の山道は急斜面をひたすら登るという思いがけぬ試練となった。とはいえ、途中で瀬戸内海の家島群島、北には新宮の屏風岩が目のあたりに見え、それはそれで楽しい山登りであった。
的場山に着いたところで雨がパラパラと降ってきた。今さら引き返すのもつらい、ともあれ、遠くに見える小豆島を見ながら昼食をとり「亀の山を目指そう」と踏み出した。

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はしり雨に濡れたツツジ
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前方に城山跡のある亀の山

雨はすぐに上り、陽光が差してきた山道は明確で、緑も鮮やか折々のビューポイントから見える眺望も抜群の景色!やがて前方に目指す亀の山が姿を見せてきた。いい感じの姿だ。
疲れてきた足腰に気合を入れつつ歩き続けると堀切、ついで曲輪と思しき平坦地が次々と現れてきた。そして、嘉吉の乱で赤松満祐と一族・郎等が自刃した城跡の主体部に到着した。

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赤松満祐、終焉の地
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館跡の石積

城山城は、前期赤松氏が拠点城郭としたところだけに城域は広い。いまは樹木にさえぎられているが往時は姫路方面、瀬戸内海などが一望だったことがうかがえ、礎石や庭跡などが確認できる御殿跡が連なる平坦地に残っている。
なかなかの結構だが、全体として防御的な技巧に乏しい大味な山城跡である。後期赤松氏の置塩城もそうだが、赤松氏は山城を政庁として機能させていたのだろう。

嘉吉の乱では城山城に千人以上の将兵が籠り、二ヶ月近く幕府軍を相手に戦ったというが、往時はいざ知らず、いまに残る主体部の遺構からはどれほど人数が籠れたものか疑問が生じる。
もっとも、城山城は北方の祇園山にも出城があり、その間の尾根筋2キロ近くに兵を分散すれば相当な人数の籠城は可能ではある。何よりも城山城には水にかかる伝説があり、山上の亀池の原型は当時も存在していたと思われ篭城に不可欠な水にも困らなかったのでは?

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古代、城時代の高石垣
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西方尾根筋の堀切

ところで、城山城は「シロヤマ」ではなく「キノヤマ」と呼び、山の名も「亀ノ山」である。それは、筑紫や備前などに残る古代の城(キ)が築かれていたことに由来している。いまも亀ノ山には古代の高石垣、往時の城門を支えていた門礎が残っている。そして、それらは警戒すべき西方からの敵に備える位置に構築されているのだ。

l58784906_2710661322337701_3128146632978202624_n.jpg 古代、城の城門礎石

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さらに亀ノ山には播磨に侵攻してきた尼子氏が構築したという土塁と横堀がセットになった遺構も残っている。それは赤松時代の主体部とは離れた亀ノ山山頂北の斜面にあり、播磨を席捲した尼子の手になるとしても、兵が駐屯しただろう曲輪群が見当たらない。居住区は赤松時代の主体部を利用したのだろうが、北方を遮断する横堀遺構はどのような勢力に備えたのだろう? 
亀ノ山から派生する尾根にも尼子時代のものと思われる堀切があり、播磨に侵攻した尼子軍は敵国内にいることを思えば過剰に亀ノ山に防御を施したのであろうか? そのようなことが妄想されたがその実態は知るべくもない。

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下山するたつの市新宮町を眺望
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たつの古城から的場山、城山城までの縦走は、戦国から近世への過渡期の山城から始まり、中世の山城、古代の城遺構、そして尼子氏の名残の遺構を巡ることができた。かねてより思い描いていた山歩き、十二分に堪能できた。
下山は車を置いた馬立登山口への激斜面との格闘、途中に開ける風景を楽しみつつ、油断のならない山道を下っていった。降り着いた馬立には古墳群があり、累々と古代の権力者が葬られた古墳が連なっている。口を開けた玄室に入って見るといがいな広さで、今日のトレッキングの最後は古墳時代で締めくくりとなった。約7キロの道をワイワイと歩き通すこと7時間、古代、中世、戦国時代までタップリと歴史を楽しめた。
posted by うさくま at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 播磨の山城
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