2019年04月26日

竜胆車紋に翻弄される

帰省してくる長女と孫を亀岡まで迎えにいった帰りに、桜石(菫青石仮晶)があるという桜天満宮と積善寺に寄り道した。いい感じの古刹と古社、しかし桜石は見られず。今度、背後の山上にある山城登山を兼ねて探してみようかな。

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ところで積善寺は浄土宗の西山派禅林寺流に属し、寺紋は「竜胆車」であった。日本の仏教寺院で「竜胆車」紋といえば、道元を宗祖とする曹洞宗の寺紋として知られる。

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浄土宗のそもそもの宗紋は法然上人の実家である漆間家の家紋 「杏葉」に月影を添えた 「月影杏葉」である。月影は法然上人が読んだ「月かげのいたらぬさとはなけれどもながむる人の心にぞすむ」に由来するといい、「杏葉」は漆間家が分かれ出た大友氏共通の家紋である。
それが、何故、竜胆車紋なのか?調べてみると、法然の弟子で浄土宗西山派の開祖となった証空は、村上源氏の源親季の子に生まれ、同族である久我内大臣通親の養子となった。将来を約束されながら、元服に際してにわかに出家、法然の弟子となったのだった。以後、法然の弟子として研鑽を重ね高弟の一人に数えられるまでになった。
証空は西山義の教えを広めたことから、浄土宗西山派が成立した。かくて、西山上人証空を祖とする浄土宗西山派に属する寺院は「竜胆車」を寺の紋に用いるようになった。曹洞宗の宗祖・道元と浄土宗西山派の流祖・証空とは系図的上では兄弟、当然ながら紋も一緒ということなのである。

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そもそも、浄土宗寺院でありながら寺紋が「竜胆車」であることに興味を引かれたのは、多紀郡を治めた中世武家・波多野氏にゆかりの十念寺さんを訪問したときであった。十念寺さんお内陣に描かれた紋が「竜胆車」で由来をお尋ねすると「よく分からない」とのことで、それならと調べたことだった。

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十念寺さんは波多野秀治が庇護した足利義輝の嫡男という義高が、義輝殺害事件のおり浄土宗西山派の京都誓願寺に逃れ、のちに出家して覚山天誉を名乗り八上城の北西麓に誓願寺を開いた。十念寺さんの開山は覚山天誉上人で、西山派の紋をそのまま用いたということのようだ。

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一方、八上城山麓にあった誓願寺は篠山城が築かれたのち篠山城下町に移転していまも存続している。宗派は十念寺と同様に浄土宗西山深草派だが、こちらは波多野氏の家紋「丸に抜け十字」と足利氏ゆかりであろうか「丸に竪二つ引両」とを用いている。
それぞれ、波多野秀治の位牌を祀っているが、近世において盛衰があったようで、誓願寺さんはよく寺勢を保ったようだが、十念寺さんは寂れた時期もあったようだ。そのことが、それぞれのお寺が用いる紋の背景に垣間見えたことだった。
何気なく心にひかかった「竜胆車」紋、調べてみると家紋の有する家との深い関係を改めて実感。いやはや、家紋はおもしろい。
posted by うさくま at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋
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