2019年04月13日

八上城北麓の曲輪跡、寺跡を歩く

波多野秀治の後裔にあたる波多野各家の系図を調査・研究されているО氏、
氏は篠山城の石垣刻印の研究もされており教わるところが多い方である。
その氏から誘われて、八上城の北麓にある十念寺さんを訪問した。
目的は北麓に残る前田主膳館に関わるであろう曲輪跡群の探査と
八上城跡東北麓の藤ノ木坂口に残っている誓願寺跡の踏査であった。

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10時に十念寺さんに集合、メンバーはО氏、Eisoさん、Kitagawaさん、
十念寺の奥さん、そしてわたしの五人である。
十念寺さんには波多野秀治の位牌が伝来しており、せっかくの機会、
内陣の奥にある位牌堂の最奥に祀られている位牌に詣らせていただいた。

位牌に打たれた紋は「丸に十字」で、丸から抜けていないのが意外だった。
さらに、内陣の調度に打たれた紋を見ると「竜胆車」。竜胆車といえば曹洞宗の宗紋、浄土宗の宗紋は「月影杏葉」もしくは「桐」が定番。由来を尋ねたところ「分かりません」とのことであった。

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波多野秀治のお位牌、十字が抜けていない

家紋のことは個人的に調べることにして、十念寺さん周辺に残る堀跡、曲輪跡などを探査、切岸や平坦地がよく残っており、おそらく前田主膳時代の武家屋敷跡ではなかったかと誰何された。しかし、ジメジメしているうえに薮がひどい状態には閉口させられた。

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東陽寺後方尾根の平坦地。出曲輪跡? 庵の跡?

そのようななかで、探し求めた古墳は発見に至らず、そのまま登った尾根先に切岸をもった広い平坦地を確認した。見方によっては八上城の北尾根曲輪とも思われたが、平坦地に山麓の東陽寺からの山道が登ってきていることから、東陽寺の別庵跡であろう見えた。

さて、平坦地から東陽寺に下り、境内の墓地で家紋ウォッチ。
東陽寺は無住、喜多川・五十川・酒井家の墓が並ぶ墓地も小さなもので墓石には亀甲・下り藤・五瓜の中に横木瓜が配されているのであった。名字は違えど、そこには何やら繋がりがあるように思えたことだった。ひょっとして、八上城主波多野氏に属した武家の子孫なのだろうか?

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東陽寺すぐ東の谷川を越えると誓願寺跡があり、平坦地が段状に残っていた。誓願寺だけの跡地とは思われない広さであり、おそらく寺町を形成していたのだろう。

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誓願寺跡の平坦地と切岸

いわゆる八上城の鬼門にあたる場所でもあり、鬼門除け、藤ノ木口を防衛する出曲輪として機能していたのだろう。藤ノ木口から十念寺に帰る道すがら、山麓に残るという土塁を探し、すさまじい薮を漕いでスタート地点に帰着、今日の探索を終えた。

誘われるままに参加し、何やら「これ!」といった目的もなくО氏のあとを着いて歩き回ったことだった。前田主膳時代の遺構を明確に実感することもなかったが、ま、こんな日もあるということで。

posted by うさくま at 12:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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