2019年03月24日

出石に遠征して、山名会のミニ歴史講演会を聴講

山名氏城跡保存会の年度末恒例の歴史講演会を聴講。
お題は「但馬山名家・磯部豊直の丹波侵攻と城郭
ー 山垣城と周辺の城 ー」、講師は城郭談話会の高橋成計さん。

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久しぶりにあった高橋さん、変わらぬ元気ハツラツ!
周山城と宇津氏の話が盛り上がってしまった。
講座は自筆になる縄張図を次々と見せつつ
但馬山名氏と赤井直正との抗争について読み解かれた。

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件の抗争とは、但馬の大名・山名祐豊が丹波青垣の領主
足立氏を攻めたというもので、山垣城が攻められた。
元亀2年の出来事で、毛利氏、織田氏が角突き合わせる前で
山名氏の侵攻に対して、黒井城主赤井直正が足立氏を後詰、
その勢いで但馬に攻め込み山名氏の本拠出石まで兵を進めた。
窮した山名祐豊は織田信長に救援を頼んだ。
それが一つの要因となって、信長が丹波攻めの陣を起こした
ともいわれるが、実際にそのような事件があったのか?
謎とされている。しかし、祐豊の丹波侵攻を物語る文書が伝来し
その発給者が磯部城主の磯部豊直であった。

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磯部豊直も謎の多い人物で、但馬山名氏の一族とされるが
系譜的な位置づけは不明である。また、兄といわれる豊次は
丹波の夜久野に城を構えている。磯部と夜久野はすぐ隣だが
かたや但馬国、かたや丹波国、国を越えて城を構えるのは
夜久野の領主らが黙っているとは考えにくいのである。
永禄末期に羽柴秀吉に追われた山名祐豊が但馬はもとより
丹波まで勢力を及ぼせたのか?疑問と言うしかない。

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そのようなことをあれこれ考えさせる戦国末期の山名氏の
起こした丹波足立氏攻めの一件、謎が多すぎるのである。
その不可思議な出来事を山城群、侵攻ルート、わずかに残る文書
から解説された高橋さん、相当に梃子摺られたように見えた。

さて、講座の終わったあと、別行動をしていた
相方と次女、孫ウーと合流、丹波へと帰っていったことだった。
せっかく、出石に遠征しながら蕎麦抜きになったのが心残りだったかも。
posted by うさくま at 15:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 山名氏城跡保存会
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