2019年02月24日

山名氏城保会の播磨篠ノ丸城攻めに参加

今日は快晴、予定していた山名氏城跡保存会の
播磨 篠ノ丸 城攻めに参加するため山崎に遠征した。
昨年末に持病を発症して以来、久しぶりの城攻めである。

朝九時半、宍粟市役所前に集合。
参加者は我々、宍粟城研の竹内さんらを含めて二十人近く、
今日のガイド担当は宍粟市役所職員で城郭談話会会員の堀さん。

簡単な自己紹介をしたあと、堀さんから資料をいただき
今日の見学先である篠ノ丸城跡などなどのミニ解説をいただく。
その後、車に分乗して今日のメーンとなる篠ノ丸城跡へ。

52663258_2573360036067831_5792215594287759360_n.jpg
宍粟市役所から篠ノ丸城跡を見る

久しぶりの篠ノ丸城跡、地元でガイドも務め、
篠ノ丸城跡へ深い思いいれをもたれている竹内さんのガイド
それに加えて堀さんのガイドを聞きながら山上の城跡に到着。

IMG_2324.jpg
登り口で竹内さんの説明を聞く
53121231_2573358889401279_4987951159583965184_n.jpg
中腹から秀吉が拠った聖山城を遠望
IMG_2494.JPG
山上の主郭で集合写真を撮影

ここで、堀さんにより篠ノ丸城の歴史解説を拝聴
主郭から北の曲輪群、北方斜面に築かれた畝状竪堀をめぐり
土塁を伴う横堀をたどって西の曲輪群へ移動する。

IMG_2337.jpg
主郭北方の切岸と腰曲輪
52684451_2573359826067852_5718316700525395968_n.jpg
主郭西方の横堀

今日は空に抜けもよく、北方を望めば宍粟郡一帯を支配した
宇野氏の本城とされる長水山城跡がバッチリ見えている。

IMG_2348.jpg
西方尾根筋を遮断する堀切
53112143_2573359579401210_8498344749420249088_n.jpg
西方曲輪より主郭の土塁を見る

篠ノ丸城は長水山城を詰めの城とするともいうが
いま残っている遺構は宇野氏のものというよりは豊臣大名の
手になるものと思われる造りである。とはいえ、西の尾根筋を
防御する三重堀切は古い時代の名残を感じさせている。

篠ノ丸城をグルリと見学したのち、城跡で昼食。
まったりしたあと下山、次の見学先である山崎陣屋跡に移動。
まず歴史資料館で山崎の戦国時代から江戸時代にかけての
歴史を勉強、堀さん自らが発掘された遺跡の解説
池田家の揚羽蝶紋の型、意匠の変遷など興味深い話を聞かせていただいた。

IMG_2361.jpg
近世、山崎陣屋跡
IMG_2365.jpg
資料館で堀さんの説明を拝聴
IMG_2363.jpg
宍粟藩池田家の家紋が打たれた軒丸瓦

つづく山崎陣屋の遺構見学では、河岸段丘に築かれた縄張り
段丘側に残る当時の石垣の跡など、山崎に生まれ育ちながら
なるほど知らないことの多さに気付かされたことだった。

IMG_2372.jpg
変わった意匠の山崎藩主本多家の立ち葵紋
IMG_2496.JPG
陣屋の門前で二度目の集合写真

山崎陣屋を堪能したあと宇野氏の居館跡となる五十波構に移動、
構は二度目の訪問、北方を見れば長水山城が間近である。
いまは福祉施設が建設され山側に土塁、西方の揖保川側は
河岸段丘の名残が切り立った自然の要害を呈している。

IMG_2373.jpg
五十波構の概説を拝聴
IMG_2374.jpg
唯一残る城跡遺構である土塁跡

秀吉の丹波攻めに抵抗した宇野氏は、長水山城をはじめ
篠ノ丸城、五十波構などの諸城砦はことごとく落城、
美作をめざして敗走した宇野一族も郎党とともに滅亡した。
戦国から近世に至る播磨山崎の歴史をたどった今日の見学会
堀さん、竹内さんの地元ならではのガイドもあって
おおいに楽しむことができた。加えて、参加者の一人で
城友のTさんから倭城の本をいただける恩恵にもあづかった。

IMG_2387.JPG

宍粟市役所で解散したあと、一宮方面に北上、
神河町寺前から粟賀、多可町、山南町を越えて篠山に帰還した。
久しぶりの山城攻めではあったが、疲労の度合いは少なかったような。
来週の土曜日は、周山城攻め、なんとか登れるだろう。
posted by うさくま at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 山名氏城跡保存会
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/185623142

この記事へのトラックバック