2019年01月13日

後藤氏の家紋探索と史跡をめぐる

いま、某誌(歴史民俗誌Sala)で連載をさせていただいている「播磨武士の歴史と家紋」、振り返れば赤松氏をはじめに数家を取り上げてきた。次回のターゲットとしたのは播磨後藤氏、ということで、播磨後藤氏の家紋探索と史跡めぐりに播磨西部の福崎界隈に出張ってきた。
まずは、後藤家直系の後藤氏とその一族が集住するという山崎集落を訪ね、探し当てた後藤家の墓地には後藤家の暮石がズラリ、その全てが下り藤紋であった。その他の地区で見つけた後藤家の墓石には、剣酢漿草紋、橘紋などが用いられていた。

後藤家の墓を探して墓地を訪ねつつ、後藤氏が拠った春日山城跡界隈の史跡も歩いてみる。さらに、播磨後藤氏の一族であったという後藤又兵衛基次ゆかりの南山田城跡、福田寺などにも寄ってみた。おおお!という史跡はないが、播磨後藤氏の存在がいまも地域に残っていることは実感された。

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後藤家の墓所、新しくされたようで五輪塔、宝篋印塔の残欠や古い墓石は一箇所に集められていた。
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下り藤紋
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播磨後藤氏が拠った春日山城跡を見る
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春日山城の鬼門除けに建立されたという嶺雲寺
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播磨後藤氏の一族、後藤又兵衛の父祖が拠った南山田城跡
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竹藪に覆われた南山田城跡の曲輪、保存状態は悪くない。ぜひ、整備したい物件だと思ったことです。
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後藤氏ゆかりの福田寺墓地の多数派を占めていた大谷家の 二つ丁子巴に一文字 紋。境内墓地の一角に又兵衛の両親の供養塔が祀られている

合間に訪ねた墓地で出会ったのが「違い山形」紋。珍しい家紋に分類されるものだが、永田家ではこぞって、稲積家では半数くらい、雲丹亀家でも用いる家が・・・。

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同地域において異姓同紋を見かけることは少なくないが、その背景には婚姻があるように思われるが、単にカッコいいからと真似ちゃったということもあったりしたのだろうか?

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今日一番の珍名さん 雲丹亀 家。ウニガメ と呼ぶそうで、家紋は 抱き沢瀉、三階菱、違い矢羽、剣酢漿草 とバラバラであった。

さてさて、田舎の墓地をめぐると、名字と家紋と地域の歴史が絡みあっているのが感じられる。ムラ社会においては大きな変化がなく、家紋、名字も固定化され変わるところが少ない。一方、中世以来の町はさまざまな在所から転入した家々が多く、とくに江戸期は大名の転封、商人などの城下町集住施策などにより名字、家紋がバラバラということになった。とはいえ、城下町の家紋(名字も)をみると、その地域のムラ社会とのつながり、大名転封の足跡などが見てとれなかなか興味深いものがあるのだ。そして、町へ出た一族は家紋の図柄をチョッとカッコよくしたなんてこともあったのでは? 当然、流行り廃りもあったことだろう、きっと。田舎の墓所を訪ね歩き、そこらへんをジワッと考えるのも楽しい(^^)

posted by うさくま at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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