先週、再訪した墓所で確認、心に引っかかっていた「舞鶴」紋の波部家。
その由緒に関して、 丹波の祇園さんの神職 T さん に問合せると
北嶋集落の波部家の墓所といい、本家波部家の墓所ではない
別途、確認してみます。と嬉しい回答をいただき
その後、波部本家の墓所を確認したと連絡をいただいた。
ということで、今日、神職 T さんのお手をわずらわせて、
波部本家の墓所を案内いただいた。中世武家の系譜を引き
江戸時代は大庄屋として名を馳せた波部本家の墓所であれば
五輪塔や宝篋印塔が立ち並ぶ様子を想像していた。
ところが、訪ねた墓所は篠山川のそばに営まれた、まことに質素な
佇まいのもので、いささか拍子抜けしたことだった。ズラリと
並ぶ小さな墓石には戒名が彫られるばかりで家紋はなかった。
その後、波々伯部神社に戻って、神社に伝来する
波部本家の当主が祭礼に着用したという古い衣装が保管される
行李に描かれた家紋を拝見させていただいた。
さらに、波々伯部氏の調査資料、神域に生える柚子の実まで
頂戴した。いつもいつも、まことにありがたいことであった。
帰路、八上城西麓に存在する松谷寺の境内墓地と
本堂の背後に営まれる墓所にお邪魔した。
目的は、殿町(奥谷)に波々伯部さんの墓石に彫られた家紋。
14基あった墓石には横木瓜を多数派に下り藤、三つ柏、
木瓜と思われる角字などなどが彫られていた。波々伯部氏の
直系とされる波部氏の家紋と共通性のないところは何故?。
神職のTさんのお話によれば、波々伯部氏の場合、
波部と名乗った波々伯部神社氏子の家々、奥谷をはじめ
篠山市内に散在される波々伯部さんとは、元をたどれば
同族関係らしい。家紋を見る限り、近代から近世の歴史のなかで
さまざまな変化があったのか、もしくは、そもそも
異姓同名であったものか、名字と家紋の謎は実に深いのである。
さて、今日の篠山は、天気予報で言っていた如くに寒かった。
奥谷から見た多紀連山も雪が舞っていたような。
丹波も、いよいよ冬本番だ。