鴫野駅7時過ぎの電車に乗り京橋駅、天王寺駅まで、
天王寺駅で立ち食いうどんを食し近鉄阿倍野駅。
吉野行きの急行に乗って40分ばかり、8時37分に
壺阪口駅着、そこから歩いて集合場所に9時に到着。
今日の参加者は横浜から、富山からの遠距離組など
総勢13人という大人数であった。
二度目の高取山城攻め、今日は快晴、心が逸る。
一同、車に分譲して壺坂口門までひた登る
壺坂口郭を右手にみながら登っていくと壺坂口中門、高取山城の高石垣が前方に現れる、心が躍る光景である。
二の丸下段の石垣と城代屋敷との間の城道を通過すると大手門、こから二の丸下段、二の丸、太鼓櫓と続く、目の前に次々と現れる石垣が本丸への侵入を防御する。土の城も悪くないが、石垣の城もまた格別というしかない。
壺阪口門跡
大手門
城内はおりからの紅葉で、観光登山の方があちらこちらに。一行は、本丸の高石垣を正面にみながら本丸へと進む、複雑に折れを持たせた城道を通過すると大天守があった天守台、ここまで40分、本丸をジックリと堪能したあと、集合写真を一枚。本丸周囲の石垣と紅葉を満喫したのち、七つ井戸に下る。登りかえしたところで午前の部を終え、二の丸で昼食タイム。
植村家の紋を打った本丸の幟
本丸の紅葉を見上げる
太鼓櫓石垣と紅葉
思い思いに弁当を使ったあと、大手門に引き返し、
そこから吉野方面に続く尾根方面に設けられた曲輪を横目に
吉野口門を抜け尺度郭、その先を遮断する弥勒堀切まで。
尾根筋の堀切
最南端の弥勒堀切
尺土曲輪の土塁
弥勒堀切から吉野口郭まで戻り、倒木に覆われた武家屋敷跡を踏破する。一帯は、やや湿気が強くダニの棲息を予感させるところだが、石垣で囲繞された屋敷群の北方は大堀切が尾根を遮断する。
吉野口郭侍屋敷、北尾根先の大堀切
いわゆる搦め手といえる吉野口、若干の古さを感じさせながらも石垣が多用され、二万五千石の身上に過ぎないい植村氏にとって高取山城の維持管理は荷が重かったのではないか。
さて、ふたたび大手門に立ち返ったところで、
高取山城のほぼ半分を踏破したに過ぎないのである!
宇陀門跡
ここから、城代屋敷を左手に見つつ、千早門、宇陀門、松の門と続く城道、こちらも総石垣の郭が続く。松の門を過ぎると、石垣が孕んだり、崩落するなど、や荒れた空気が漂う。江戸時代の植村氏もだが、高取町も城跡の維持管理には苦労していることであろう。
国見櫓跡から大和平野を眺望
北の曲輪群
折れを持った矢場門を過ぎ、左手の国見櫓から大和平野の眺望が広がる。なかなかの絶景である。北郭群を通過していくと三の門、そして高取山城の北端に位置する二の門へと至る。二の門を過ぎたところに、名物であり謎の石像物「猿石」、城道はここから高取の城下町へと下っていくことになる。
ニノ門の分岐
猿石
岡口門跡の堀切
このルートが大手道になるのだが、高取山城をテッテ的に歩こうとする一行は猿石から明日香方面へと下っていくルートへ踏み出す。目的は明日香口を防御する岡口門、たどり着いた岡口門は弥勒堀切と同様の造りを見せ、おそらく架橋され、敵が来れば橋を落とし堀切で遮断するように見えた。猿石まで戻ってきたところで再びの集合写真を撮影。
猿石からひたすら山麓まで下山、高取山城を振り返りながら武家屋敷跡をぶらぶら観光案内所で資料をゲット、高取の町を通り過ぎて城の門が移築されたという子嶋寺を訪問。(ここでバッテリ切れとなった、残念!)ここまでで、壺阪山口からスタートしてのち歩き回ること7時間、集合地に戻るとヘロヘロ状態であった。
城下町を歩く
出発地までひた歩く
ここで、ドライバ組が高取山城に置いた車を取りに戻り、待機組は一休み。万歩計で測っていた参加者いわく、約16kmの歩きだったとか。今日は、近代城郭ということで、山靴ではなく普通のズックで登るという舐めたことをした結果、マジに疲労困憊したことだった。
ともあれ、参加者一同、次の山城攻めを約して解散、近鉄八木駅まで送ってもらい、近鉄特急で鶴橋、京橋、海老江駅と乗り継いで鷺洲で家族と合流。
家族と一緒に買い物をすまし、食事をしビールを一杯、美味い! 腹を満たしたのち鷺洲のマンションで汗を流して初宿泊、今日の高取山城遠征は終わった。いや〜!ちかれた。