2018年10月21日

播磨徳久城に登り、広峯神社神職の墓地を訪ねる

こどもの頃から見なれた 志んぐ荘、
この夏に泊まった赤とんぼ荘と同様に
はじめて宿泊したわけだが、なんといおうか魅力に乏しかった。
そもそも、国民宿舎というコンセプトが、公務員的な
発想で作られたものであり、ユーザーに響かなかったのだろう。

播磨徳久城を案内いただく宍粟城研のTさんと合流する前に、
昨日、心に残った木南さんと菊水紋を新宮町篠首の墓地に訪ねた。

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墓石に彫られた菊水紋は一様ではなく、興味深かった。
佐用方面にも多いという木南名字とその家紋(菊水であろうか)
日を改めてジックリ探索に行きたい気分ではあった。

さて、宍粟市役所でTさんと合流したのち、徳久城に移動
徳久城登り口でFさんが加わり、総勢四人で城山に取り付いた。

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徳久情跡を遠望
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尾根筋より城下を眺望

城址へ至る急な尾根筋にうっすらと山道が確認され
城址まで約30分、迷うことなく西尾根先の薄い堀切にたどり着いた。
堀切の向うに岩盤を掘り割った二重の堀切、そして、曲輪が数段、
滑りそうな切岸を登りきると主郭部曲輪群となる。

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西尾根先の堀切

徳久城址は大きな城ではないが、城域は思っていた以上に広い、
技巧的とはいえないが、堀切、曲輪、切岸などシッカリ作られている。

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曲輪群と切岸
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後方尾根筋の堀切

この城を特徴付けるのは、西方の二重堀切、城域から東北へと続く
尾根筋を遮断する力の入った二重の堀切であろう。
とくに東北尾根筋は三重にも見え、おもしろい山城であった。

今日は朝から天気も好く、Tさん、Fさんはもう一つ
山城に登られるという。心惹かれるところがあったが、
昨日、広峯さんに聞いた広峰神社神職諸家の墓地へ行かねば!
と、お二人と別れて広峰神社へと移動した。

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広峯神社、随身門越しに姫路市外を眺望

今年、二度目の広峰神社、相変わらずガランとした駐車場。
江戸時代以前は、大いに賑わったというが、いまはむかしである。
目的地である神職諸家の墓地は広峰神社の奥の院がある
白幣山の北方、地理院地図を見ると一キロほど歩いた山中に
お墓のマークが記されているところだ。

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廃墟と化した御師屋敷

広峰さんに参拝し、御師さんの旧居(すでに廃墟)群を過ぎ、
ひたすら山道を歩いていくと、木立の向うに墓石群があらわれた。

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奥の墓地

死への穢れという意識もあるのだろうが、神社から遠く離れた
山中に墓地が営まれているのは、広峰さんもおっしゃっていたが
お参りするのに大変な労力がいることではある。
そのせいもあってか、墓地は荒れ気味で、墓石が倒れたり、
一ヶ所にまとめられるなど、省みられるところが少ないように見えた。

足元に気をつけながら墓石に彫られた家紋を拾っていくと
当然ながらといおうか古いものには家紋はない。とはいえ、
細に見ていくと、ポツリポツリと家紋を打った墓石があった。

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手前の墓地
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廣嶺家の墓石

最初にお邪魔した墓地には広峰家の墓所がなかったため、
さらに墓地は?と探すと、もう一ヶ所、神職諸家の墓所を発見。
そこに広峰家代々の墓石、さらに肥塚家の墓所などを確認
ずーっと心にひかかっていたモヤモヤがすっきりしたことだった。

江戸期から最近のものまでが林立する神職諸家の墓石の間を
彷徨いながら家紋を採取、撮影。ついつい、長居してしまった。
相方の「そろそろ帰ろう!」という声がかからなければ
日がトップリ暮れるまで墓地を彷徨していたのではなかろうか。
酔狂なことではあるが、広峰神社神職諸家の墓地調査
いろいろな意味で興味深いことだった。

参道の傍らに残る広峰さんの旧居跡を訪ね、帰途についたころには
陽が西に傾き、丹波に帰り着いたときはスッカリ日が暮れていた。
山城に登り、墓地紋を探った播磨遠征、おもしろかった!
できれば、広峰神社神職諸家の墓所、再訪、再調査したいものだ。
posted by うさくま at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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