2018年10月20日

広峯家を訪問、揖保郡界隈を歩く

一泊二日の予定で、相方と播磨方面に遠征。
今日の目的は、いま取材を進めている播磨の中世武家の歴史に
係る資料採取に姫路城内図書館を訪問、
かつて広峯神社の筆頭神職であった広峯氏の後裔にあたる
広峯さんが神職を務められる稗田神社を訪ねることである。

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昨日、調達しておくべき手土産を、今朝、購入したことで
出発時間が大幅に遅れてしまった。その結果、
今田の陶器祭りと姫路城手前の交通渋滞に巻き込まれ
姫路図書館はゆっくりまわる時間がなく
駆け足で資料を探ったのちメーンの目的地稗田神社をめざした。

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稗田神社

稗田神社は「古事記」の編纂に関わった人物といわれる
稗田阿礼を祀る神社で、中世、鵤荘の総鎮守として崇敬された。
神仏混淆時代は隣接する斑鳩寺の下風に立ったが
明治維新ののち広峯神社の神職であった広峯家が神職を務める。
広峯家は、鎌倉時代以来の文書を伝える歴史的名家、
広峯社の神職に任じながら、社家を被官として武士団化した。
南北朝期には足利氏に属し、室町時代は赤松氏に属して
あなどれない勢力を有した。最近では「軍師官兵衛」において
黒田家との関係から改めて注目を集めた。

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廣嶺家の旧屋敷跡の蛙股に彫られた蔦紋

訪ねた広峯(廣嶺)家は、みなさん気持ちのよい方々で
あつかましい訪問にも関わらず広峯神社、広峯家の歴史を丁寧に
お話いただいた。かつて広峯山上にあった屋敷の蛙股、軒瓦に
彫られた広峯家の紋を拝見、さらに古文書まで見せていただけた。
とくに心躍ったのは、広峯家をはじめ広峯社の神職諸家の墓所が
広峯神社北方の山中に営まれているとの情報をいただいたことだった。

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斑鳩寺の山門
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赤松政秀が再興した三重塔

後ろ髪をひかれながら広峯家を辞したあと、すぐ隣の斑鳩寺を訪問
高校時代、龍野周辺をウロウロした身ながら、斑鳩寺にお邪魔したのは
はじめてのこと。赤松政秀が再建したという三重塔をはじめ
境内を形づくる伽藍など、思いのほか見ごたえのあるお寺であった。

さて、広峯家訪問と取材、斑鳩寺を訪問したあとは
今日の宿になる志んぐ荘へと移動していった。

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播磨新宮、池田家陣屋跡。売りに出されていて、ビックリ!

まだ陽も残っていることでもあり、播磨新宮陣屋跡をウォッチ
さらに墓所にお邪魔して家紋採取に勤しんだ。
名字も家紋もオーソドックスなものが多かったが、
「菊水」紋を打った「木南」さんの墓が印象に残った。

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播磨新宮駅近くの墓地から志んぐ荘を見る
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木南家の菊水紋

あとで調べてみると、木南さんは「楠」の偏と旁を名字に
したもので、ほとんどの家が「菊水」紋を用いるとのことだった。
新宮の「木南」さんは高校生のころから目にしていた名字で
こういう歴史、家紋を有しているとは迂闊にはじめて知った。
さらに調べると、新宮の篠首というところにもあり
そこなら明日の城攻め待ち合わせ場所へ行く道筋近くだ。
これは、明日、寄らずにはなるまいと心躍ることである。
posted by うさくま at 17:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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