2018年10月19日

篠山の史跡、あちらこちらをめぐる

予定されていた山城整備に出動したところ
にわかに雨が降り出し、現地に着いたころには本降り!
残念ではあるが、今日の作業は中止となった。

一旦、自宅に帰ってまったりしていら、ジワッと晴れてきた、
せっかく取得した年休である、むだにはできない。
ということで、月末に来篠予定の松平会さんのガイド予定地、
再来月に実施されるおもゼミの訪問先などの取材に出かけた。

まず、八上城が落城したとき、秀治の遺児を抱えて
城から落ちた女房たちが駆けた道 ― 女畷、
焼ける城を見て自害をはかった女房を祀る乙女塚を訪問。

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自刃した腰元を葬ったという乙女塚。右手後方に八上城跡
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落城の時、女たちが逃げ落ちたという女畷より八上城跡を見る

女畷、乙女塚に立って東方を見ると八上城が屹立している、
血に飢えた明智方の兵たちが取り巻く死地を命からがら
落ちた女房たちの恐怖はいかばかりだったろう。
文字通りに、戦国史の悲哀が実感されるところである。

ついで、八上城下の北山麓を通じる京街道に残る重兵衛茶屋。
篠山城が築かれる以前は、多紀郡の繁華街であり、
江戸時代は京から丹波を経て西国へと向かう旅人
あるいは西国から京方面に向かう旅人たちが往来した京街道
その要となる場所に位置する茶屋であり旅籠であった。
ちょうど茶屋に住んでおられるおばあさんがいらっしゃり
おもしろいお話をたくさん聞かせていただいた。
やはり、直に話を聞くのは楽しい。ちなみに、先の女畷は
ちょうど重兵衛茶すぐ南を通っているのだった。

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大芋衆の中心であった森本館の堀跡
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森本氏らと大芋衆を構成した山上氏の山上城跡を見る

八上城下から北上、戦国時代、武士団・大芋衆が拠った大芋地区へ。
大芋氏が勢力を失ったのち大芋衆の中心となったのが森本氏
いまも森本家の後方には城址があり、周囲には土塁、水堀の跡など
かつての館の姿をいまに彷彿とさせる遺構が残っている。
また、森本家からは同じく大芋衆を構成した山上氏、
その先には中馬氏などにゆかりの城址、居館跡なが点在している。
篠山の戦国時代を知るうえで、ぜひ、訪ねてほしいところだ。

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戦国時代に築かれたという赤門の屋根が葺替えられていた。
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市野々八幡神社。山側に伝説を秘めた洞窟。

森本城界隈を歩いたのち、篠山の東北端に位置する大芋の市野々へ。
市野々には、戦国期の築造になるという赤門と呼ばれる茅葺門があり
先年、「景観重要建造物」に指定された見ごたえのある建造物だ。
その赤門を有する家が、細工所城主荒木氏の家系図を伝えるS家で、
赤門は、先日、屋根の葺き替え工事もが終わったところだ。
屋根の葺き替えに係る話と、S家の北方に鎮座する八幡神社の
伝説をお聞きしたかったのだが、残念ながら留守であった。

今日、予定していたことは雨で流れたが、
その後の天気の回復で、心にひかかっていたあれこれを
いくつか解消できた。さて、明日は、播磨方面に遠征である。
posted by うさくま at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山歩き
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