2018年10月14日

市島町に遠征、家紋調査に汗を流す

今日も好天。
昨日に引き続いて、朝はやくから市島町竹田に繰り出し、家紋調査に汗を流した。

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栗柄峠を越えると左手に三尾山城
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石像寺山門

まず、重森三玲の庭で知られる古刹・石像寺近くの墓地にお邪魔する。市島に多い吉見、荻野、尾松さんらの墓石が並ぶ。石像寺は飛鳥時代の建立にはじまり明智光秀の丹波攻めで焼失、のちに曹洞宗寺院として再興された寺で境内一帯はなかなかよい雰囲気だ。紅葉のころに再訪、寺名と地域名のもととなった後方山中にある磐座にも登ってみたいところだ。ついで、段宿の井上家の株墓地、家紋は「井の字」と「違い鷹羽」とに二分されていた。

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竹田川を渡って中竹田の友政集落に移動、ここでは常石家の株墓地が「根笹」紋、見谷家の株墓地が「山形に横木瓜」と「違い鷹羽」であった。そこから南下して前木戸城近くの森集落の墓地は、大槻家と渡邊(渡辺)家の株墓地にお邪魔する。

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大槻家は「結び雁金」と「三つ頭合せ雁」、渡邊家は「源氏輪に並び矢羽」に統一されていた。大槻家では講が行われるとかで、大槻さん方が墓地に参集されてきた。当然ながら怪しまれるわけで、家紋調査の話をすると色々「雁」紋への質問をいただき、なんとなく家紋で話が盛り上がったのだった。

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今日の調査は、相方の都合から午前中限定ということもあって、早めに帰路につき目にとまった道端の墓地にお邪魔した。依田氏の菩提寺という成願寺のある表集落はずれの墓地では依田家「笹竜胆」、余田家「丸に一つ引」、吉見家の「一文字にカタバミ」と定番の墓石。
さらに南下した久良部の墓地は吉見家、井上家、細見家、そして余田家の墓が林立、再訪になるが今日は悉皆調査を行った。吉見家は「一文字にカタバミ」が多数派、井上家は「二つ雁」、細見家は「三つ星に半菊」と「巴」、余田家はこぞって「丸に一文字」であった。

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今日の市島町歩きで、一昨年よりコツコツとやってきた丹波市域の墓地紋探索は、ほぼほぼ巡りおえた。とはいえ、取りこぼしや雑にまわった墓地(とくに春日町の東部)などを改めてまわろうと思う。まだまだ、丹波界隈の墓地を歩く日々は続きそうだ。

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本殿の右手、稲荷神社後方に土塁

ところで、今日のの墓地紋探索でお邪魔した見谷家の株墓地の傍らに城跡?と見える地形があり、登ってみると八幡神社が鎮座していた。神社南西方にある山上に残る友政城を築いた吉松氏の家老だったという三谷牛右衛門尉友政、吉松氏に代わって友政城主になり明智光秀の丹波攻めで落城したという。友政城は市島町域を領した吉見氏の本城鹿集城の北方の備えとして築かれた支城といい、吉松氏は吉見氏の誤伝かも知れない。八幡神社は「いぼ取り八幡」といわれ、社地は三谷友政の居館跡に建立されたと本殿にあった社伝に記されていた。

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尾根側の横堀
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主郭西の腰曲輪
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腰曲輪切岸と帯曲輪

神社に立つと友政集落から竹田川一帯が一望、友政城を詰め城とした居館であったことが実感される要害である。八幡神社一帯は社殿のある高所平地を主郭として、東側は谷側と断崖、南方尾根側には土塁、横堀を設け、西方に腰曲輪が数段確認された。小振りではあるが、遺構そのものはよく残っているように見えた。さて、先の墓地に林立していた見谷家は、城主三谷氏ゆかりの家だったのだろうか?

posted by うさくま at 12:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋
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