2018年09月25日

丹波国氷上郡は市島竹田方面で墓地紋探索

朝、来週に予定されている家紋講座のレジュメ・プレゼン資料を作成、一作業終えて外を見ると雨が止んでいた。となれば、せっかくなので丹波氷上の市島町の竹田方面に出っ張って墓地紋ウォッチに精を出した。
竹田の最北、氷上郡と天田郡の境目に位置する法楽寺を訪問、境内墓地には土田姓が多くこぞって「二つ引」。

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その西方の村墓地も土田姓が多く「二つ引」、横江姓がこの地域らしい名字のようで「扇に三つ鱗」、吉見姓の「一文字に酢漿草」などが目にとまった。また、余田姓の「藤巴」、大槻姓の「結び雁金」、そして高見姓が多いのも市島町らしかった。

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いつも感じる田舎ぶりというか、「おおお!」という家紋は少なかった。そのようななかで今日の成果としては、映画「超高速参勤交代」で有名になった湯長谷藩の丹波飛地領の在地代官に任じた依田家の菩提寺に営まれていた「北依田家」「西依田家」の墓所、下竹田でみつけた桐村家の墓所である。

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依田家は前木戸城主であった城主・高橋大和守の後裔が「依田」名字を名乗ったもので、江戸時代の文書群が地元の歴史研究会の方々の手で刊行されたと聞く。墓石に彫られていた家紋は「笹竜胆」であった。

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一方の桐村家の墓石には「三つ巴」が彫られ、古い墓石群の一角に建立される墓誌には「一つ引に並び巴」「桐」紋が彫られている。そして、天田郡大呂の国人領主・桐村家の一族で、信長に敗れたのち浪人、竹田に土着したとあった。
蛇足ながら、吉見姓は鹿集城主であった吉見氏の流れを引く家々であろうと思われ、市島町においては定番といえる名字である。依田・桐村・吉見氏らは中世の名残をとどめる名字群、丹波はモノ残りのよいところであることを改めて実感したことだった。

posted by うさくま at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋
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