2018年08月18日

帰省、佐用郡の史跡をめぐる

同窓会に出席するという姉を三田駅で迎えて、
一路、田舎に向けて中国道をひた走って帰省。
生谷温泉まで姉を送り届けたあと
目論見通りに佐用方面に移動して史跡巡りだ。

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福原城址
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城址切岸と曲輪

まずは福原城跡、横浜に住んでいる頃以来の再訪
簡単にたどり着けるとタカを括っていたが
迷いに迷い、ヒトの記憶力のいい加減さを実感した。

城址は昔のままで変わるところとはない。
大河「軍師官兵衛」のとき、上月城の支城の
一つとして注目を浴びたようだが、
大きな改変もされず、夏草に覆われていた。

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横堀と曲輪切岸
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近くの墓地の隅切角にカタバミ紋

福原城跡近くの墓地にお邪魔したあと
中華料理屋さんで昼食をとり腹を満たす。

平安時代、陰陽師として活躍した
安倍晴明を祀る晴明塚、晴明のライバルで敵役の
芦屋道満を祀る道満塚を訪ねる。

39441967_1701501733281732_2717977501023338496_n.jpg 安倍晴明塚 室町期の五輪塔
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塚に寄り添う祠の絵馬には晴明判紋
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道満塚 江戸時代後期の五輪塔

乙大木谷というまことに鄙びた山間の集落
なぜ、そこに晴明と道満が祀られたのかは不明だが
二つの塚はよく手入れされ、いまも谷を隔てて
向かい合っているのだった 。

乙大木谷の集落を特徴付ける段々に連なる田圃は
「乙大木谷の棚田」として「日本棚田百選」にも選ばれている。
また、道の路傍には何気なく五輪塔が祀られており、
鄙びたなかに優雅さを感じさせるところだ。

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日本の棚田百選に選べれる乙大木谷の棚田
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道端に中世のものと思われる五輪塔群

さて帰ろうかと思うと、「桜山六人塚」というカンバンが
目に入り、誘われるままに行ってみた。説明板には、
江戸時代のはじめ、隠田を摘発された井原與右衛門が
小さな子を含む親子六人死刑に処されたところで
お地蔵さんと祠が祀られいまも冥福を弔われているとのこと。

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桜山六人塚

名字があることから中世土豪の子孫と思われ、その存在を嫌った
平福領主松平氏に抹殺されたものか。
いまに祭祀が続けられているのは、
ひょっとして村のために犠牲になった故かもしれない。

さて、ここまで経巡ったところで姉に連絡
同窓会は終わったとのことで、山崎の某所で姉と合流
生家へと移動した。多くは回れなかったが佐用郡、
赤松氏、利神城など以外にもなかなか面白いところである。
posted by うさくま at 10:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 街歩き
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