2018年08月04日

またまたまたまた、春日町に遠征

赤井直正の居城・黒井城跡の東方の集落小多利、多利から
先週廻った野上野にある墓地を巡ってきた。
これで4週連続の春日町遠征、今日も相変らぬ酷暑
目的は家紋採取とはいえ、無謀な行動ではある。

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墓地より小富士山を見る

さて、一番目の小多利の墓地は黒井城を攻めた明智光秀が本陣を布いたという小富士山の東麓。遮るもののない墓地は噎せ返る暑さ、綾部に多い由良家の墓石が多く、家紋は綾部と同じく全て「三つ引両」紋。目にとまったのは高橋家、よく言われる竹笠紋ではなく「酢漿草に二つ引両」紋、三村家の「折敷に三文字」紋は信濃三村氏との共通性が感じられ心に残った。

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由良氏の「三つ引両」紋と三村氏の「折敷に三文字」紋
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市島町に多い吉見氏の「一つ引に酢漿草」紋

次の村墓地は高見姓が多数派で「桔梗」紋
ここでも三村氏の墓石は挙って「折敷に三文字」紋が印象的、
ほか伴中氏の「」、大江氏の「一文字三つ引両」など。

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春日町は舞鶴自動車道の建設により墓地移転を
強いられた所が多い。次の墓地も石碑に移転の由来が書かれ
高見氏「桔梗」、畑氏「二つ引」、足立氏「酢漿草」らの
株墓地が行儀よく区画ごとに墓石が並んでいた。

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足立家の「酢漿草」紋、剣あり、逆さになったものも
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ついで天台宗寺院の蓮華寺にお邪魔して山麓の境内墓地へ。
舟川姓の墓石、家紋はすべて「丸に地紙」紋、
名字、家紋ともに丹波では少数派、おそらく寺院開創、
運営を担ってきた一族であろうと思われたが、詳細は不詳。

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黒井城跡を遠望

小多利、多利界隈からは黒井城跡が視野に入ってくる。
墓地に眠る人々の先祖は赤井氏に属して明智の丹波攻めに
抗したのだろうか? なにやら気になるところであった。

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多利の南端に位置する墓所で、六地蔵を撮影。墓地の入り口ではお馴染みの六地蔵だが、それぞれ六道の能化、錫杖、宝珠など持ち物も違うらしいが、よく分からない。
この墓地も移転したようで、畑家の株墓地の石標にその経緯が、墓石の家紋は「菊一文字」だが、紋型はバラバラであった。

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菊一文字にもさまざまな紋形が・・・

先週お邪魔した野上野地区に移動、北山家の「菊輪に二つ引」紋、
能勢家「並び矢」紋、小田家「笹竜胆」紋、株墓地らしく
名字と家紋がピッタリ統一されている。

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続く墓地は上山家「竹笹」紋、義積家「九曜」紋を刻んだ
墓石がずらり並んでいる。墓地の一隅にはお地蔵さんと
戦国以前のもと思われる古い五輪塔、宝篋印塔が祀られ、
この墓地に祀られている家々の歴史の古さも偲ばれた。

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戦国以前のものであろう五輪塔、宝篋印塔が・・・
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紋形の変遷がよくわかる

次の墓地は近藤家「鹿角」紋、野花家「二つ引」紋、
山本家が「根笹」「笹竜胆」紋が用いられていた。

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百日紅の赤が映える夏の墓地は暑い
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昔ながらの村墓地を訪ねると、紋形の微妙な相違、古い墓石に彫られた紋の稚拙さ、よくあるのが二つ引の引両が丸に付く付かない、酢漿草の剣の有無などなど、昔の人たちの家紋の図柄に対する無頓着さを実感する。また、鷹羽紋と矢羽紋との混同も多い。ここの山本家では「笹」という共通項で、紋の図柄が別物になっている。田舎の古い墓石を見ると、分譲墓地のように型にはまっていない自由さが実に面白いおもしろいのである。現代、古い墓石が整理されたり、新たに墓所が整備されたりすることが多い。しかたのないことだが、味気ない墓石、墓所が増えていくのは何とも残念というしかない。

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墓石の古さで紋形が微妙に違う
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扇紋も一様ではない

暑さもピークになった二時過ぎ、今日最後の墓地となった村墓地は尾松家「剣酢漿草」と秋山家「五本骨扇」の墓石がスラリと並んでいた。仔細に見ていくと、ここの墓地でも紋形が微妙に違う、とくに「五本骨扇」紋は日の丸のあるものないもの、地紙と中骨が付く付かないと墓石によってバラバラであった。

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墓地より黒井城跡を遠望

家紋の本などを見ると紋の図柄は均一的で、新しい墓石などに彫られた紋は場所は違えど家紋の本に忠実である。それはそれで時代振りというものだが、古い墓石に据えられた捉えられることのない自由な家紋を見ると、なんとも嬉しく楽しい気分になる。また、田舎の村墓地では名字と家紋が揃っていて、総じて紋形はオーソドックスで変わった図柄の紋は少ない、それこそがその土地の歴史を物言わず語っていてゆかしいのだった。それゆえに、田舎の墓地めぐりはやめられないのである。

posted by うさくま at 17:24| Comment(5) | TrackBack(0) | 家紋
この記事へのコメント
柏原町在住の由良と申します。自分のルーツを調べていて、このページに行き当たりました。私の本家は春日町小多利にあるのですが、本家に伝わる家系図には江戸時代に、本家の次男が2代にわたり、何鹿郡(現綾部市)に分家していると記されているので、小多利と綾部の家紋(丸の内に三つ引き)が一致しているのだと思います。
系図を読むと由良一族が小多利に居住しはじめたのは江戸初期のようで、もともと(平安時代より?)は氷上郡由良(由良荘?)を領有?していたように読めるのですが、私は中学生程度の古文読解力しかないので、本当のところはよく解かりません。しかし、その由良荘・・・氷上町北油良の由良氏の家紋は、貴殿もご調査されているように地紙紋なのですね。ということは、私の先祖とはまた違う、江戸時代以降に北油良に住んでいた一族が、新たに由良を名乗り始めたということになるのでしょうか?
私は浅学のため、自身のルーツを調べるにも限度を感じております。家紋のなりたちや古文書については全く門外漢ですので、また学ぶ機会(一般向け講習会)などございましたら、一度是非、参加してみたいと思っております。
Posted by ゆら at 2019年01月03日 16:59
ゆら 様

書き込み拝読しました。
ここ数年、旧氷上郡(丹波市)の旧荘園域ごとに散在する墓地を訪ねて家紋採取に励んでいます。
わたしの目論見としましては、赤井、荻野、芦田、足立、本庄、久下、余田、細見、吉住 などなど中世以来の系譜を今に伝えているであろう名字と家紋の分布を調べる。できうれば家々の系図にも出会いたいものと牛歩ながら調査採取作業を続けている次第です。

二年以上をかけて、春日町の東部の再調査を残して大凡の墓地巡りはすませましたが、調査のやりっぱなし状態を今から整理する作業が手付かずのまま、全ての作業が終わるのにはまだ時間がかかりそうです。
続けてきた旧氷上郡の名字の中で 由良 姓は綾部との関連も含め気にかかっている一つです。系図や伝承など詳しく聞かせていただければ嬉しく存じます。
Posted by うさくま播磨屋 at 2019年01月08日 23:42
ご返信いただきありがとうございます。
実は、系図の内容をたよりに、綾部市の当該住所の由良さん宅に、あてずっぽうで電話してみたところ、その由良さんの本家にも古くから伝わる軸物があるということで、コピーを送っていただきました。
軸物には「宇多天皇皇子敦實親王五世之孫曰義定初称由良氏蓋以食丹波氷上郡由良邑之故也」とあり、春日町の由良本家の系図の義定のところにも「長徳五(年?)九月二日依軍忠氏紋 丹波國一郡賜之傳ル ?経頼公自之氷上郡由良ト云」と添え書きがあり、同一の先祖であることが判明しました。
私は当初、自分のルーツを丹後由良や由良川から流れてきたものでは?と想像していましたが、上記の古文書から、氷上郡由良、つまり今の氷上町北部の地域が苗字の由来であり、ルーツなのかな、と思い至った次第です。
系図は偽造されることがあると聞いていますので、特に宇多天皇の末裔というのは、いささか眉唾物のような気もしますが、自分のルーツを探るうえで、系図や家紋は有力な手掛かりになると今回再認識しました。系図には、戦国時代の事と思われる軍功なども添え書きされております。しかし、古文の解からない私には暗号のように思えます。もし、ご関心がおありでしたら、メールアドレスをお知らせいただければ、画像データをお送り致します。

追伸 由良とは別の話ですが、私の曾祖母の家が谷垣石見守の末裔だと聞いたことがあります。墓地で確認した家紋をネットで検索してみると「隅入り角に木瓜」というものでした。集落(柏原町大新屋)内に谷垣姓はたくさんありますが、他は、矢羽の交差した家紋ばかりでした。何か由来のある家紋なのでしょうか?
Posted by ゆら at 2019年01月09日 17:02
補足です。
綾部の由良さんによると、跡継ぎのなかった加藤家に氷上郡から婿として入って、由良を名乗ったのが始まりとのことです。綾部の由良さんの家紋は丸の内に三つ引きとのことですが、加藤氏の家紋が下り藤ということなので、貴殿の取材記事の中で、下り藤の家紋の由良家があったと書かれていましたが、ひょっとすると、その辺の事情が影響しているのかもしれませんね。
Posted by ゆら at 2019年01月10日 10:08
書き込み、拝読しました。
綾部の由良家は由良川に由来するものと思っていましたが、氷上の由良家の分流だったのですね。ただし、綾部における由良姓の分布から推して、別流れの由良さんもあるように思われます。が、氷上も綾部も家紋は「三つ引両」ということは限りなく同族であろうかと思うことです。
それぞれの本家に伝来する系図が、ともに宇多源氏に出自を求めるものというのは、やはり同族であったと思われます。一般的な佐々木系図を見ますと、敦実親王五代に義定は見えませんが、四代に系図に書かれています経頼が見えています。この経頼に関しましてはウィキペディアに簡単な経歴が紹介されています。そして、系図に書かれている長徳五年(999)と同期するごとく長徳四年に従五位下に叙爵されています。が、はたして由良系図の経頼と同一人物でしょうか?
「名字由来ネット」によれば、由良姓の分布は 兵庫・京都・大阪に多く、由良さんからの投稿がアップされていました。
「由良姓は、私の本家(兵庫県丹波市春日町)に伝わる家系図によると、宇多源氏の源経頼の末裔となっております。由良姓は全国で兵庫県丹波市が最も多く、次いで隣接する京都府北部(綾部市、福知山市)にも多数あり、その地域を中心に近畿地方に拡がっています。(戦国武将の由良国繁の本拠であった関東にはあまりありません。) 系図にどの程度の信憑性があるかはわかりませんが、姓の分布から見ると由良姓の大半は宇多源氏である可能性が考えられます。ちなみに家紋は「丸の内に三つ引き」です。」、ひょっとしてお知り合いの方が投稿されたものではないでしょうか?
由良さんが用いられる「丸に三つ引両」紋は、一般的な家紋由来としては桓武平氏三浦氏流の紋として知られるもので、三浦氏から分かれた蘆名氏、横須賀氏、佐久間氏などなど挙って同紋を用いています。由良家の家紋「三つ引両」を見たとき、思ったのは三浦氏の流れなのだろうか?ということでした。姓氏家系辞典などを見ますと由良名字は清和源氏新田氏流、村上源氏赤松氏流、小野姓横山党の一族に見られるとありました。系図にあるごとく宇多源氏佐々木氏流であれば、まず第一に思い浮かぶ家紋は「目結」紋です。系図などに家紋の由来は書かれているのでしょうか?もしくは、中世の記述があれば旗印、幕紋などのことは書かれているのでしょうか? そこらへんも含め、系図の内容に興味をひかれます。お言葉に甘えさせていただきまして系図の画像を下記メール
kamonworld@gmail.com  宛て送付いただけると嬉しいです。

谷垣名字の件、書かれていますように柏原もですが丹波地域に多い名字の一つです。京丹波市などでは中世山城の城主としても記録に残っているようです。書かれている「隅切角に木瓜」の木瓜は「横木瓜」?「五瓜」?いずれでしょうか?また、多くの谷垣家が矢紋を用いるとありますが、「隅切角に木瓜」は少数派なのでしょうか? 柏原の大新屋方面の墓地も歩き回り、谷垣家の家紋も採取しているはずなのですが、なにぶん整理が行き届いていないことでもあり、曖昧な書き方になっていること恐縮です。

ともあれ、系図画像の到来をお待ちしております。
Posted by うさくま播磨屋 at 2019年01月10日 13:29
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