2018年07月30日

旧氷上郡春日町南部で家紋探索に汗を流す

昨日、予定されていた山城の整備作業が
東から西に進路を変更したおかしな台風によって中止となった。
溜まっていたドラマや映画などの録画をゴロンと横になって見続け
昨日は怠惰な一日を過ごしてしまった。

台風が通り過ぎた今日、なんとなく年休を取っていたことでもあり
晴れ間が出てきた十時過ぎ、先々週、先週と黒井城登山に汗を流した春日町に出っ張った。 三週目の今日は家紋と名字を採取しようと、 南部地域に散在する墓所を訪ね歩いた。 

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一番目は、先週、あまりの暑さにタブレットがおかしくなった萬谷寺墓地。 心にひっかかっていた婦木姓と近藤姓、荻野姓の墓所をチェックしたあと 萬谷寺境内にお邪魔して南北朝時代のものという宝篋印塔を拝見。
そのドッシリとしながらスッキリした佇まいは、市島の白毫寺に残る
赤松貞範の宝篋印塔に負けず劣らぬものであった。

38085885_1524505977655459_6164618305714782208_n.jpg 萬松寺、南北朝時代建立の宝篋印塔。

萬谷寺を皮切りにして、野上野の桂谷寺近くの墓地で義積姓の株墓地、
同じく野上野の村墓地は岡田株、いずれも家紋は同一のものに統一されていた。

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野上野城跡西麓の岡田家株墓地、六地蔵の一つ、いい顔です。後学のために六地蔵のお地蔵さんの姿を調べてみたら、左手に錫杖、右手に宝珠は「地獄道」、左手に宝珠、右手は与願印は「餓鬼道」、左手に宝珠、右手に如意は「畜生道」、左手に宝珠、右手に梵筺は「修羅道」、左手に宝珠、右手は施無畏印は「人道」、左手に宝珠、右手に経は「天道」とか。一般的には左手に宝珠、右手に錫杖とのこと。このお地蔵さんは六地蔵の一というより、一般的なお地蔵さんということになる・・・

ついで竹田川東岸に営まれた村墓地にお邪魔すると、近藤姓の多さが目立ち 古い立派な墓が林立する上田姓の株墓地、谷姓の墓所など もともとはそれぞれの名字株ごとに営まれていた墓地が新たに整備されたものと 見受けられ、古い墓石も集合されることなく祀られているのだった。

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谷名字の家紋、菊に二つ引の変遷がわかった

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黒井城跡を遠望、見る角度で印象が一変

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柚津の村墓地の一角に足立一族の墓所、家紋は「五本骨扇に酢漿草」

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右の二つは越賀名字の家紋

その後、あらかじめチェックしておいた野上野、柚津、棚原の墓地群を訪問、 最後に訪ねた東中の村墓地では近藤姓の多さが際立っていた、
さらに 村墓地と離れた林の中にも近藤姓の株墓地が営まれ、それぞれ 用いている家紋が異なっているのも、歴史を感じたことだった。

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東中の村墓地かたわらの林の中の近藤家墓所、家紋は「抱き鹿角」

今日、春日町南部の村々は黒井城と三尾山城の挟まれた一帯だけに
荻野姓が多く、丹波地域に多い足立姓も目立った。そして、荻野姓は「二つ引」 、足立姓は「扇」紋が多いのもこの地域ならではのものだった。

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そうじて「二つ引」紋が多く、面白かったのは「菊輪に二つ引」紋が、特定の名字に限らず散見したことだった。そして、谷姓の墓所で 「菊輪に二つ引」紋の変化が見られたのは今日一番の成果だった。

一昨年の夏から何となく続けている旧氷上郡(丹波市)の家紋探索
山南町から始めて氷上、柏原、青垣と続けてきたが、まだまだ未踏の
墓地の多いこと。丹波市の墓地悉皆探索は簡単には終わりそうにない。 
posted by うさくま at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋
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