2018年07月23日

暑さの中、懲りもせず家紋探索&城館ウォッチ

一昨日、黒井城跡で疲労困憊して下山したのち、喉を潤し
腹を満たし、チョッと体力を回復したところで
性懲りもなく陣城、属城をめぐりつつ、予め調べておいた
墓地を訪問、家紋探索に大汗を流した。(センテンスが長い・・・)

明智方の陣城である惣山城、茶臼山城の麓をめぐりながら
萬松寺の境内墓地にお邪魔した。車から降りると
思わず眩暈がするようなカンカン照り、暑さはピーク!である。

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踏み込んだ墓地には
荻野家「二つ引」、大槻「地紙に雁金」、近藤「対い鹿角」、
婦木「二つ引」、竹村「鶴の角字」、野村「二つ雁」
などが名字と家紋が対になった墓石がずらりと並ぶ。
大槻家の家紋は扇と雁金の組合せだが、紋形は一様ではなかった。

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扇の地紙に丸の内雁金
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扇の地紙に雁金
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五本骨扇に丸の内雁金
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鶴の角字

その他、山川、柿渕、畑、近藤の各家が「二つ引」
青木、藤本、佐々木が「違い鷹羽」などの家紋が目についた。
総じて、「二つ引」と「雁」紋の多さが印象的だったような。

炎天下の下の墓場、タブレットを片手に家紋を撮影、
いつものごとく名字と家紋名、紋ごとの数を入力していった。
ところが、突然、タブレットが異様な動きを見せ出した、
入力した文字が何故か消える、妙な文字に変換する。さらに、
タブレット本体もいつになく熱をもっているような・・・「熱い!」。
大きな液晶画面に直射日光をもろに受け、墓場の異常な暑さは
電子機器にも悪影響を与えずにはおかなかったようだ。

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ひとまず、炎天下の墓地から撤退。車で涼んだのち
萬松寺から北方の小山にある墓地に立ち寄ってみることにした。
日に晒されているようならあきらめようとお邪魔すると
生い茂った木々が蔭を作っており、木陰のなか家紋探索を続けた。
荻野姓の墓石がズラリ並ぶ、いわゆる荻野株の墓地で、家紋を見れば
「二つ引」が17基、「五本骨扇」が2基。先の萬松寺もだったが
春日町における荻野姓は「二つ引」が多数派である。ただ、紋形を見ると、丸に引両がくっついたもの、一体となったものがある

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丸に二つ引
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丸の内に二つ引

そもそも戦国期の春日では、黒井城主荻野秋清を惣領に荻野18家が
割拠していたという。秋清は甥にあたる赤井直正を養子に迎えたが
直正を盛りたてた18荻野家によって討たれ、直正が黒井城主となった。
明智光秀の丹波攻めに赤井一族とともに没落した荻野氏だが
その流れは脈々と故地に受け継がれているのだった。

さらに墓地を回りたいところだったがタブレットの調子も狂う暑さ、
無理せず帰ろうとした。とはいえ、せっかくなので野村構居に再訪。

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右手後方の山上、黒井城跡
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土塁の向うの山上に惣山城跡
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虎口に見えるが後世の破壊、道路は堀跡らしい

野村構居は平地城館で、土塁がよく残っており、
圃場整備で多くの城館が消失するなかで貴重な存在となっている。
構居跡からは北方に黒井城跡、周囲を茶臼山城・惣山城・野上野城などの明智方の陣城群が取り巻いている。城址を囲む土塁の中に立って
妄想を逞しくすれば戦国気分が味わえるところである。

朝一番に黒井城を歩き回り、干からびるような暑さにめげず
墓地で家紋探索、館城跡ウォッチ、流石にバテバテである。

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ということで、先日、開通したばかりの春日―栗柄ルートを越えて
我が家へと帰っていった。新しい栗柄への道、むかしの
くねくねとした姿はいまいずこ、感動する便利さであった。
posted by うさくま at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋
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