2018年07月01日

旧船井郡は南八田で史跡巡り

朝、相方の要請を入れて畑作業の手伝い。
たった一畝とチョッとのところに綿をメーンに、トウモロコシ、トマト、キュウリ
などを植えている。黒マルチをかけ、イボ支柱を立てる作業だけだったが
その作業のしんどい事、農業の大変さを実感した。
作業を終えた後、すぐ近くのうどん屋さん“風輪里”で早めの昼ごはん
昨日の晩御飯もカレーだったが、カレーうどんを注文、おいしくいただいた。

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腹を満たした後は、南丹市南八田方面に移動
先日、知人から得た明智光秀と波多野秀治の戦跡めぐり。
多紀郡を出た船井郡で両軍の激戦があったとは!

八上城防衛、山陰道の抑えからも八田は要衝の地
戦いがあってしかるべきところ!迂闊なことであった。
まず、南八田集落内の波多野氏方戦死者を供養する五輪塔、

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ついで曹源寺さんの山門傍らに集められた明智方の五輪塔群、

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「ん?」両者は八田川を境に東西に分かれて戦った
それに従えば、それぞれの五輪塔のある位置が逆のような・・・?

いらっしゃった住職さんによれば、そのような伝承があって
いまに五輪塔が伝わっているだけで歴史的な史料はないらしい。
また、むかしは集落の路傍、山麓などに五輪塔が散在していたが
圃場整備や道路工事などで、その多くが行方知れずになったとか。

お寺のこうほう後方山麓に営まれている墓地にお邪魔すると
新たに墓地整備が行われ古い暮石は別の場所に移動されていた。

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その中に古い一石五輪塔群、五輪塔に残欠なども多く
集落内に散在していたものは墓地に集められていたのだろうか?
そうであったとすれば、祀られた古人も「以って瞑すべし」か。

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お寺を辞し、もう一つの目的地ー南八田城址へ。
城址は山陰道(国道372号)を眼下に押さえる位置を占めている。
道脇の登り口から取り付くと、ウッスラと山道がある。
道は稲荷神社への参道で、あっさりと尾根先の城址堀切へと至る。

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城址は東西に堀切、南北に帯曲輪を設けた単郭の小さな山城、
その規模からして波多野氏に属した土豪の城だったのだろう。

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八田を血の海にしたという激戦に城主と一族らも参加
装備に勝ったであろう明智方を相手にして一溜りもなかったろう。

大河決定を受けて、八田の地も着目されるのだろうか?
静かな集落が一過性と言うしかない大河観光熱に
浮かされることなく、今あるままの風景を守っていただきたいと願う。
先の住職さんが、大河を受けて関係部局との会合が控えている
とおしゃっていたのが気になる。大河熱のウィルスは
今は静かな激戦地にも襲いかかってくるのだろうか?
posted by うさくま at 07:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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