2018年06月24日

未だ、無名に甘んじている市内某所の山城再訪

朝一番に、一昨年の正月、確認した無名の山城に再訪してきた。
その所在地から、自分のなかでは仮に東浜谷城としている。
一昨年同様、村墓地跡の六地蔵かたわらに車を停め
前回、下ってきた尾根筋から城址へと登って行った。


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登り口より八上城跡を遠望
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うっすらと道らしきものはあるが、直登
天気もよく、気温がぐんぐん上がっていく
尾根筋にたどり着いたら汗びっしょりだった。加えて
最近の中途半端な睡眠時間のせいだろうか身体がだるい。

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東尾根先の曲輪状地形
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主郭から続く曲輪群の先端切岸
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一の堀切
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曲輪が連続する
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二の堀切
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二の堀切を横から見た

ともあれ、尾根筋の遺構群を吟味しながら山上の主郭曲輪まで登り、
主郭北尾根を遮断する大堀切、その先に伸びる尾根筋を
曲輪? 堀切? 竪堀? などと誰何しながら二年半ぶりに歩いてきた。

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主郭に到着、削平の甘いほぼ自然地形、土塁もなく防御は不完全
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主郭より堀切を見る
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横から見る、切岸の高さがよく分かる
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盃ケ岳を見る。北尾根を登っていけばたどり着けるが・・・
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北尾根筋の曲輪切岸か?

山城としては小ぶりで、曲輪を並べただけの技巧性に乏しいものだが、
城としての佇まいはよく伝わってくる。何よりも
東尾根を遮断する二つの堀切、主郭より北に伸びる尾根を意識した
主郭北切岸と尾根筋をガッツリ掘り割った堀切は見ごたえがあった。

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登り口に館跡を思わせる平坦地が、おそらく後世の畑か?

遺構は紛れもなく山城だが、歴史も城主も、まったく不詳。それは、大方の山城にあてはまること。これだけの遺構がを残っていながら、なぜ、篠山の山城バイブルといえる『戦国・織豊期城郭論』に採録されなかったのだろう? しかも、未だに無名のまま、意外の感をぬぐえない。

・お城周辺のマップ (2016年に作成したもの)
hamayaMap.png

posted by うさくま at 18:30| Comment(3) | TrackBack(0) | 篠山の山城
この記事へのコメント
うさくまさんお久しぶりです。
川西市のイッシーです。
やはり篠山市にはまだまだ埋もれた山城跡があるのですね。
堀切見所ですね。
盃山城跡の支城跡でしょうか?
こういった山城跡も登山道などを整備して守っていけたらいいのですが竹田城跡みたいに破壊されるのはと思います。
個人的には丹波八上城跡が一番大好きな山城跡なので大河ドラマで山城跡ブームが再来したら八上城跡の遺構なども竹田城跡みたいになってしまうのではと思ってしまいます。
Posted by イッシー at 2018年06月25日 09:37
イッシーさん

おはようございます。
東浜谷城跡、改めて歩いてみて
紛れもなく山城だと再認識しました。

地図に書いてますように
南には藤井氏の遊谷城跡、北に続く尾根筋を
たどっていけば畑氏の盃ケ岳城跡へと続きます。

遺構の堀切跡の明確さは
遊谷城跡、盃ケ岳城跡以上にしっかりしたもの。
どちらかの城の支城らしくないたたずまい
ひょっとして村人が古い城跡を改造?

などと妄想しているところです。
さて、どの実態は? 答えを探すのは難しそうです。

Posted by 播磨屋 at 2018年06月26日 07:02
大河決定を受けて、八上城跡も整備が入りそうですが
竹田城跡のようにはならないと思っています。

なんといっても竹田城跡は、石垣の素晴らしさ
眺望の良さ、城下町の存在、何よりも
映画やテレビなどに取り上げられて上に
恋人の聖地 なんてキャッチフレーズまである。

一方、八上城跡は明智光秀との戦いはあれども
地味なイメージ、北山麓の主膳屋敷の
ジメーッとした状態、山上曲輪群もややあれ気味
加えて眺望も限定的。とマイナス要素が多すぎです。

大河に向けての整備は、マイナス部分を
よりよい形にするにとどめ、妙な頑張りを
しなければ良い感じになると思っています。
私も、整備作業が始まれば参加したいと考えています。
Posted by 播磨屋 at 2018年06月26日 07:12
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