2018年05月27日

但馬と丹波の境目近く、諏訪城跡・与布土氏館跡を踏破

今日は朝から快晴。
予定通り、山名氏城跡保存会の
「諏訪城&与布土氏館見学会」に参加せんとて
昨日の尾根筋縦走の疲れを残しつつ
但馬へと出かけていった。

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集合場所・慈照寺に着いたのは九時前、篠山から40分、意外と近かった。
お寺の駐車場には、昨日一緒した戦国同人S氏をはじめ、参加者のみなさんが集合されている。その数、約30人ばかり。

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諏訪城跡へ

まず、事務局長の川見さん、会長の西尾さんらの挨拶のあと、参加者一人ひとりが自己紹介。なんとなく参加者一同に知り合い感が流れたところで、一番目の諏訪城跡へと踏み出した。城跡はお寺から見える小山で、徒歩十分くらいで到着。おなじみの獣防柵を開け、笹薮を掻き分け、城址へと登っていった。

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諏訪城跡概略図(西尾会長作)
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横堀と竪堀
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畝状竪堀
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土塁

諏訪城は二つの曲輪を主体として帯曲輪、横堀、竪堀、堀切、土塁などで防御し、曲輪切岸も高い、など山城パーツが満載された館城址である。会長の解説によれば、城址は何期かに分かれて修築されたとのことで、あたりまえながら畝状竪堀を多用した現在の縄張りが最終形ということになる。畝状竪堀は帯曲輪を戦国後期に改修したものであるようだ。

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堀切
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竪堀
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腰曲輪
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城主は、残された文書によれば、中路氏と目されている。ただ、伝来文書は応仁の乱における激戦「夜久野合戦」における軍功を記したもので、戦国後期の諏訪城主は中路氏の所領を受け継いだ武家とも考えられる。ただ、諏訪城の城域は思った以上に広く、一応の勢力を有した国人以前、地侍レベルの武家であったろうか。

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与布土氏館へ

諏訪城を踏破したあと、二つ目の与布土氏館へ移動。
与布土氏館も名前の示すとおり、小丘に築かれた館城である。南麓に鎮座する八幡神社そばの空き地に車を停め、サクッと城址へと登っていった。城址は笹薮に覆われているが、歩き回るのに難渋するほどではない。

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与布土氏館跡概略図(西尾会長作)
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横堀
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曲輪切岸

与布土城も二つの大きな曲輪を主体にして、帯曲輪。越曲輪を配し、竪堀、横堀などで防御をしている。諏訪城同様、遺構の残存度は悪くなく、おもしろい城址ではあった。

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切岸、竪堀、腰曲輪
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西尾会長の解説を拝聴

城主は与布土氏で、応仁の乱における夜久野合戦で軍功をあらわしたことが文書から知られる。また、地元のお寺に発給文書も残っているなど、戦国後期なでこの城に拠っていたようだ。
興味深かったのは、軍功への恩賞として「宍粟郡味方東」に所領を得ていること、そして、後裔は山崎姓を名乗っていることだ。宍粟郡三方東は現在の宍粟市山崎町の北方に位置する一宮町にあり、ひところ、三方に勢力を有した田路氏を調べたとき馴染んだ地名であった。そして、応仁の乱のはじめのころにおいて、山名宗全が播磨地域に勢力を及ぼしていたことを示すものでもあった。

与布土城跡の花々
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ササユリ
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諏訪城、与布土城、ともに、地侍クラスの勢力ながら城の遺構は見るべきところが多かった。また、ともに応仁の乱に活躍したことは、二つの城が立地する山東町域が山名氏の重臣で竹田城主・太田垣氏の勢力下にあったことを傍証するものと思われた。
すなわち、夜久野合戦は東軍細川氏の将・内藤孫四郎らが西進、それを竹田城主・太田垣新兵衛が夜久野で迎撃、丹波勢を打ち破った戦いである。諏訪城主・中路氏、与布土館主・世布土氏らは太田垣氏に属して出陣した。おそらく、それぞれの館を出た両氏は竹田城に参集、夜久野に押し出して力戦、功をあらわした。それが文書で知られるのは、なんとも興味深いことである。

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さて、二つの城をサクッと登ったあと、事務局長と会長の締めの挨拶、解散となった。そのとき、今回の参加者の一人・Y氏が編集された「大蔵の山城」を配布された。先日の戦国倶楽部出陣式で、その存在を知り、見学会のあと図書館に貰いに行こうと思っていただけにラッキーであった。
時間は、いまだ十二時過ぎ、気分的にはもう一つくらい山城を攻めようか?とも思った。しかし、二つの城踏破の疲労と昨日の疲れとがあいまって、無理はやめようと決断、S氏と別れて帰路に付いたのだった。とはいえ、諏訪城近くの諏訪神社、墓地、遠阪峠を越えた遠阪の西方寺墓地を再訪、神紋・家紋採取に勤しんだのだった。こうして、二日間の山歩き、城めぐりは怪我することもなく終わった。

【付記】
帰って、妙にかゆいと思ったら、ダニにやられていた。諏訪城、与布土城跡ともにダニがいそうな所に思われ、虫除けスプレーを噴いたのだったが、効果はなかった!残念(≧∇≦)
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posted by うさくま at 15:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 山名氏城跡保存会
この記事へのコメント
川西市のイッシーです。ご無沙汰しております。
うさくまさん丹波、但馬地方の山城跡はやはり素晴らしいですね。
個人的には最近ほとんど山城跡巡りはしていません。
ヤマトマダニは能勢町の山城跡巡りで噛まれました。
その後皮膚科の先生に診てもらいました。
これからも丹波地方の山城跡巡り頑張ってください。
Posted by イッシー at 2018年05月29日 18:31
イッシーさん

こちらこそ、ご無沙汰です。
但馬の諏訪城、前から行きたかったところ
西尾会長のガイドで踏破達成できました。
できれば、もう一度、ゆっくり訪ねたいところではあります。
与布土氏館も、いい感じの山城でした。

丹波もいいですが、但馬の城砦もいいですね〜
そうそう、再来年の大河が明智光秀に決定
丹波の山城も注目を集めそうです。
いろんな意味で、これからが楽しみです。
Posted by 播磨屋 at 2018年05月30日 12:58
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