2018年05月26日

丹波石龕寺から高見城山までを縦走

今日は戦国同人・S氏と相方の三人で、
丹波市山南町の古刹・石龕(ガン)寺から高見城山までを縦走。

これまで高見城山登山、石龕寺奥の院登山は個々に踏破、
高見城山と石龕寺奥の院を結ぶ尾根道歩きを目論んでいた。
しかし、交通の問題でアキラメモードであったが
今回、Sさんと意気投合、車を登り口、下山口にそれぞれデポして
石龕寺から高見城山までの尾根筋縦走が実現したのだった。

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朝九時、丹波悠遊の森キャンプ場で集合、一台、車を置き
登り口とした石龕寺へ移動、朝九時半のスタートとなった。

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毘沙門天を祀る奥の院
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観応の擾乱で京から逃れた足利義詮が丹波武士に擁せられた館跡

まず、石龕寺奥の院を目指す。石龕寺は観応の擾乱に敗れた足利尊氏・義詮を受け入れ、丹波国衆らも石龕寺に留まった義詮を支援した。義詮の居館跡が奥の院の傍らにあり、それを固めるように曲輪群が尾根に連なっている。

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奥の院の後方尾根に曲輪が連なる
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頭光嶽山頂の石垣、ここも曲輪跡か?

奥の院後方のピーク頭光嶽にも古い石垣、平坦地が認められ、岩屋山へと続く尾根筋には堀切跡も残っているのだった。つぎに目指す岩尾山も山城跡があるが、その東尾根側は金屋鉱山によって大きく抉られ遺構は消滅してしまった。

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頭光嶽西方尾根の堀切、頭光嶽山頂、やはり城跡のような?
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当時の作業車も放置されたままの鉱山跡

金屋鉱山跡は昭和50年代まで操業していたといい、事務所跡、選鉱所跡、そして、当時の重機、トラックが捨て置かれていた。ここも昭和の遺跡といってもよいところではあろうが、省みられることはないようだ。

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岩屋城跡北端の堀切跡
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岩屋城跡主格部直下の大堀切

抉られた鉱山跡より、岩屋城へと再び激斜面を登っていく。岩屋城跡は北尾根を三つの堀切で遮断しており、その最北の堀切へと登りつく。そこから岩屋山ピークの主体部まで三つの堀切、その東側は鉱山跡の断崖絶壁である。堀切は岩盤を掘り割ったもので、北からの防御に心を砕いたことが実感される。山頂の城跡主体部は小さな曲輪だが、鉱山で消滅した部分に何段かの曲輪が設けられたいたのだろう。
実際、石龕寺への道から岩屋山を見ると、パックリと抉られている部分は石龕寺後方を防御するうえに欠かせないところであったことが分かる。岩屋城跡は石龕寺城跡とも称されるように、頭光嶽から岩屋山の尾根筋には城砦が築かれていたことは疑いなさそうだ。

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石戸山山頂の一等三角点

岩屋城を踏破したあと、一等三角点のある石戸山をめざす。尾根筋の道は明確だが、展望はない。石戸山山頂手前にはかつてあったという無線中継所跡の平地があり、その向うに三角点が鎮座していた。期待した見晴らしはない。

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岩尾城跡? を遠望

石戸山で一休みしたのち、高見城山に続く尾根筋を踏み出した。すぐ北の鉄平石採掘場跡を越えると、やっと南西方面に見晴らしのきく場所へ出た。あれが岩尾城?むこうは笠形山?などと景色を楽しみ、ふたたび展望のきかない尾根道を北進した。ほどのよいところでチョッと遅めの昼食を摂り、また高見城山をめざした。

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高見城山に向かって、ひたすら尾根を歩く
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中の台曲輪から高見城山を見る

岩屋山までは上り下りの連続で捗が行かなかったが、尾根筋は新緑爽やか、道もアップダウンの少ない快適なコース。途中、柏原方面へのビューポイントから、篠山方面の山定めに疲れを癒す。行程はサクサクと進み、思ったよりも早く高見城山の南方を固める中の台曲輪に到着した。中の台曲輪からは今日のメーンデッシュ高見城山が目の当たりであった。

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まだ、躑躅が咲いていた

中の台曲輪から竪堀、小曲輪、岩場、石垣を踏み越え、14:06分、高見城山に到着した。山上からは360度のパノラマである、東方には柏原の町と篠山の山並み、北方は氷上の町、西方には赤井氏の本拠地・後屋城跡、南を振り返ると石戸山が見える。主郭に立ってみて、高見城を中核とした山城の有する防御力というべきネットワーク性が実感されたのだった。

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高見城山に到着
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赤井氏の本拠地、後屋城跡を遠望

高見城山主郭から北方尾根に続く曲輪群を踏破し、さらに北尾根筋に展開する曲輪群を探索する。高見城は山上から伸びる各尾根に曲輪が設けられ、その規模は丹波随一といわれる。そのすべてを踏破したいと思わぬではないが・・・、その実現は遠い夢物語になりそうだ。

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高見城跡、北曲輪
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高見城山、北尾根先の出曲輪
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北西尾根の曲輪切岸

ともあれ、石龕寺から高見城までを縦走、道々に残る城跡遺構群も踏み越えてきた。すでに足はガクガク、身体は疲労困憊である。が、気力を奮い立たして下山地である悠遊の森へと下っていった。

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下山途上、氷上方面を見る
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伝仁木頼章の墓所

そして、最後の目的地である仁木頼章の墓所に着いたら16時だった。しめて、六時間半の山歩き(山城・古刹)をタップリと堪能したことだった。
あとは悠遊の森から石龕寺まで移動し、デポした車を回収、今日の山歩きは大満足に終わった。さて、明日は山名氏城跡保存会のオフ会に出動、気力と体力を回復しておかねば。

posted by うさくま at 12:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 山歩き
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