2018年04月21日

河内国、飯盛山城を再訪

かねて予定していた河内国、飯盛山城登山に遠征。
篠山口7時16分発の丹波路快速で集合地・星田駅まで一気通貫
むかし懐かしい片町線を通る二時間のミニ旅をエンジョイ。
今日の天気は快晴、予報では夏日というなか
集まった山城好きは総勢12人、ワイワイと飯盛山城に攻め上った。

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30年ほど前になろうか、飯盛山の西麓にあたる野崎に住んでいたが
ついぞ登ることはないままに奈良・兵庫・横浜・京都へと引越し人生。
結局、飯盛山城に登ったのは2009年の8月、いまから9年前のことだった。
文字通りの夏、三箇城を訪ね、野崎観音後方尾根先の野崎城から
尾根筋に取り付き、汗まみれになりながら飯盛山城を踏み越え
四条畷神社まで縦走したことが思い出された。

さて、今日の城攻めは枚方在住の山城マニアS氏のアテンドにより
氏が発見した谷筋の石垣をメーンに飯盛山城を歩き回るというものだ。
三台の車に分乗して飯盛山城へ。楠公寺に通じる道の途中空き地に
車を停め、分かりやすい山道を南千畳敷曲輪へと登っていった。


尾根筋を辿っていくと、南千畳敷曲輪の虎口があらわれる。
かつて城門があったといい、石積が確認でき、左手には横矢掛をきかせる曲輪の切岸が伸び、右手は急斜面、なかなかの備えであった。虎口を入ると、広い千畳敷曲輪が広がり、そこから飯盛山の山容に沿って城址遺構が連続するのであった。

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記憶の彼方にある飯盛山城の遺構群は、よく削平された広い曲輪、切岸、枝尾根を遮断する堀切、斜面に設けられた腰曲輪・帯曲輪などが城址を固め見ごたえがあった。

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NHK の電波施設を越えると、深い堀切、その向うに連なる主郭部曲輪群へと至る。主郭には楠木正行の像がスックと立ち、目を西方に転じると大阪平野から神戸方面までが一望である。織田信長に先立って天下に覇を唱えた三好長慶もこの風景を眺め、自らの権勢を実感したことであろう。

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室町幕府を牛耳った長慶が本拠とした城だけに飯盛山の山上に広がる城跡は規模壮大、要所に築かれた石垣も飯盛山城に風格を添えている。とはいえ、全体的には曲輪を連ね、曲輪間、尾根先を堀切で区画したやや大味な造りであることは否めない。

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さて、今日の飯盛山城攻めのハイライトである、御体塚の東谷筋の石垣探査である。S氏が発見した石垣は、滑落しそうな急斜面を下った中腹にあった。地元の古老によれば治水のためといい、石垣研究家は城の遺構ではないという。一方、山城研究者は、かつて城道があり、そこを固める石垣として築かれたものであろうとのこと。実際に石垣を見た印象としては、山城遺構としての石垣ではないかと思われた。

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メーンの石垣踏破で盛り上がったあと、二の丸曲輪で改めて大阪平野を眺望、長慶の遺体を安置したという御体曲輪を踏破し、登山道に沿って残る堀切、石垣、腰曲輪などを見たり、踏み込んだりして飯盛山城跡を堪能したことだった。

ジックリ三時間半、飯盛山城を歩き回ったあと遅めの昼食。

二つ目の山城は、飯盛山城の支城といわれる田原城。戦国時代、長慶はキリシタン布教に理解を示したことから、北河内の武士である三箇氏、結城氏らはキリシタンに入信した。田原城主の田原氏もその一人で、受洗名レイマンを有しフロイスの書簡にも名が記されている。

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田原レイマンの名を高からしめているのは、そのキリシタン墓碑が菩提寺千光寺跡から発見され、歴史人物と墓碑名とが一致したことであろう。また、田原城山麓の月泉寺の墓地にはかつて千光寺にあったという田原氏ゆかりの五輪塔も祀られている。田原城主・田原氏の歴史はいまも、その故地にしっかり伝わっているのであった。

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田原城は独立した小丘陵に築かれ、主郭には住吉神社が祀られている。先の飯盛山城に比べると、豆粒のような山城だが、よく削平された曲輪を空堀で区画された縄張となっている。主郭からは田原集落から東方の村々が一望で、飯盛山城の東の守りとして機能したことが実感された。

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田原城を下山したあと、わがままを言って山城から離れて、田原レイマンにゆかりの場所、墓地を訪ね、さらに四条畷の歴史資料館に所蔵されているレイマンのキリシタン墓碑を目の当たりにさせていただいた。山城三昧も悪くはないが、その土地、その城に関わる歴史にふれるのも悪くない。

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予定通り二つの山城をめぐったあと、私市城跡に行こうという話しが出た。心はおおいに揺れたが、丹波に帰ることを思えば割愛せざるをえまい。ということで、楽しい時間はおしまいとして星田駅から篠山口まで帰っていった。ありがたいことに、木津発篠山口駅快速電車に乗ることができ、片町線いや学研都市線も「便利になったことだな〜」と時の流れに思いいたしたことだった。 
posted by うさくま at 16:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 山城探索
この記事へのコメント
お疲れ様でした。
飯盛城と田原城、そして墓碑を堪能して頂きありがとうございました。
次は、内藤ジョアンの八木城攻めですかね(^ー^)
Posted by S at 2018年04月25日 21:26
Sさん

飯盛&田原、よかったです。
飯盛はもう一度、行ってみたいですね〜

2020の大河が明智光秀に決定
それを受けて丹波は光秀ゆかりの
山城が注目を集めつつあります。

丹波三大山城といわれる
黒井・八上・そして八木城、さらに周山・宇津、
それらに関わる山城群などなど。

八木城、ぜひ!


Posted by 播磨屋 at 2018年04月30日 07:56
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