2018年04月14日

たつの市で家紋採取、町歩き

播磨の中世武家島津氏の家紋探索に たつの へ遠征、
併せて梶山城主肥塚氏の家紋採取、
室津の町歩き、神社、お墓巡りに精を出した。

天気予報では雨とのことだったが午前中は曇りとか。
善は急げと、朝、8時前に出発。
国道372号を西進、途中で嬉しいお日さんが出てきた。

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姫路城西方の実法寺集落の墓地で浦上家の墓地紋探索。ついで集落西方の墓地にお邪魔、浦上家の墓はなく一角に「三つ星」を刻んだ古い墓石が並ぶ小国家の墓地が目に留まった。他には芦田家、浅野、福永家など、酢漿草紋が多いところであった。

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姫路から太子町を経てたつの市御津町に移動。

以前、歴史と系図を調べたことがある梶山城主・肥塚氏、御津町中島に肥塚姓が集中しているとの情報を得て集落の墓地を訪ねると並び矢羽を刻んだ肥塚家の墓石がズラリ。他には円尾(圓尾)家が二つ引が図抜けて多い、岩田家の五瓜に藤丸、孝橋家の三つ巴、苦瓜家の折れ三つ笹が目に付いた。

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今日の主目的は、中世下揖保荘を領した島津家、
その故地にあたるたつの市揖保町の一角に島津姓が多い。
果たしてそれら島津家は「丸に十字」を用いているのか?
それを現地で確認したいということであった。

とはいえ、相方も一緒であり、主目的はあとにして御津町の観光スポットである室津湊を訪ね、昼ごはんに海に近い御津町らしいものを食べようと室津港へ。

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室津は梅の名所でもあり、高校時代、社会人になった頃などに訪ねたが、すでに40年前のことであり、その時に一緒だった友人は鬼籍に入って久しい。そんな時の流れに思いをいたしつつ、資料館に入り平家一門ともゆかりの深い賀茂神社に参拝した。

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室津は賀茂神社の御厨だった歴史から神社が勧請され、本殿、回廊などの建物が国の重文指定を受けている。神社が鎮座する岬は自然の要害をなし、神社の東方の山上には浦上氏が本拠とした室津城も構えられていた。

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人一人いない境内は寂び寂びとした空気が漂い、荘厳ながら若干荒れた気配もまとっている。そして、賀茂神社らしく建物のあちこちに神紋「二葉葵」が打たれているのであった。

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賀茂神社をあとに室津城はスルーして、道の駅で昼食。
海を眺めながらのオーダーは海鮮丼天麩羅セット、それに浅蜊の酒蒸、美味しくいただいたが、海鮮の量が物足りなかったような。駅の売店でお土産を買って外に出ると空模様が怪しい。

やれ急げ!と、事前に調べておいた島津家の墓石があるであろう揖保川町から揖保町方面の墓地へと車を飛ばした。
予想では「丸に十字」紋揃いであろうと思っていたが、探し当てた揖保川町の墓地の島津(嶋津)家は「丸に横木瓜」紋であった。

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期待を裏切られつつ揖保町の揖保川沿いの墓地にお邪魔すると、ずらりと島津家の墓石が並び、家紋はこぞって「丸に十字」が刻まれていた。

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ついで、揖保町の式内社・中臣印達神社前の墓地、おりからお墓の掃除をされているご婦人に島津家のことをうかがうと、「剣カタバミ」と「丸に十字」との二つの島津家があるらしく先の墓地の島津さんとの一族関係はないとのお話だった。

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ここの墓地で目に留まったのが「佐用」「赤松」、いずれも播磨の中世史を彩った名字である。家紋は「三つ巴」と思ったが、どちらも「カタバミ」を用いていた。
名字と家紋、その歴史は表裏一体などというが、長い時間の経過のなかでそのセオリーも揺らいでいることを感じたことだった。

今回、家紋採取したたつの市の島津家が下揖保荘の地頭であった島津氏の系譜をひく家かどうかは明確には分からなかったが、まず何らかの関係があったと認めていいのではないか。
というようなことを思いながら、今日の成果はまずまずだったと播磨から丹波へ帰路についた。

posted by うさくま at 15:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋
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