2018年03月11日

丹波篠山の山城をバラエティに攻める

山名氏城跡保存会の「丹波篠山 山城見学会」の案内役として出動。
案じていた天気も快晴、集合は篠山市民センターに午前十時である。
西尾会長、川見事務局長ら但馬勢を中心に、遠く鳥取、大阪吹田市、
兵庫の尼崎、姫路などから13人の山城好きが集合した。

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今日の見学会は八上城を主体に、奥谷城、大上西ノ山城、大渕館の四か所
ちょっと大盛り気味の見学会となった。

一番目の八上城
八上城跡には、まとまった駐車場がないため三台に分乗して、
某所に車を停め、もっともオーソドックスな春日神社口から登山スタート。

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攻め込む前に、ミニ歴史解説

いつものウォーキングイベントなら主膳屋敷の解説し、本来の大手道、櫓台、土塁などをジックリ見学するところだが、今日は山城の猛者集団、余計な解説は措いてサクサクと登っていった。

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やっと主郭部に到着
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主郭、西の腰曲輪より篠山盆地を遠望
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主郭の中心曲輪、木々がバッサリを切られている

以前に登ったとき、前途を阻んだ倒木はきれいに片付けてある。城下町を遠望したり、曲輪、切岸を攻略したりしながら主郭部へと攻め込んだ。ここも、なんとなくきれいに整備されているような。とはいえ、主郭の中心をなす曲輪の東切岸に積まれた石垣が伐採された木々で覆われており、早速、片付けに着手、きれいに石垣が見えたところで記念撮影、弁当タイムとなった。
おもいおもいに弁当を使ったのち、サクッと波多野氏と八上城の歴史を解説

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主郭の本丸切岸の石垣前の倒木を除去
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みんな元気に下山

下山は蔵屋敷から東池番所を経て、朝路池に下る堀切を踏破。通常ならそこから朝路池曲輪に下り、南尾根を遮断する堀切、さらに・・・と行くところ。今日はそれらは割愛して、磔松馬駆け場と西斜面に落された竪堀を見ながら、西蔵丸手前の堀切から藤ノ木坂口へと下っていった。

二番目の奥谷城。公民館の駐車場を使わせていただき、いつものルートから登山。西の帯曲輪を攻略したのち中腹の広い曲輪から登り土塁、斜面の曲輪群を経由して、主郭部へと攻め込むいつものルートを想定していた。
ところが、山腹の曲輪は切られた竹で前途がふさがれておりそれならばと、急斜面を直登して主郭部へ攻め込んだ。

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奥谷城、主郭切岸と南の腰曲輪
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主郭南の腰曲輪、ついで主郭に踏み込む。一部の面々は、腰曲輪からそのまま東斜面の竪堀を探索。
われわれは広い主郭を踏破し、奥谷城の見どころである竪堀を踏破し、北尾根を遮断する大堀切へ下った。奥谷城の小さいながら山城パーツを揃えた遺構は、何度、登ってもおもしろい。西尾会長の見解としては、高城山山上の八上城に対する居館城であろうと。おそらく、そうであろうと思われたことだった。

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大堀切

奥谷城をあとにして明智方の陣城を横目に見ながら、三つ目の大上西ノ山城へ。
ひさしぶりの西ノ山城、藪化が進み取り付き口が分からなかった。

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西ノ山城の張出(櫓台か)
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塹壕状の帯曲輪の土塁

登った城跡も藪化が進んでいる。とはいえ、南斜面の横堀、主郭南西部の櫓台、西斜面の塹壕状帯曲輪と畝状竪堀主郭と北の曲輪を区画する堀切、北の曲輪と尾根筋を遮断する堀切など小さな城ながら見どころは多い。
八上城を包囲した明智の陣城中、いや、篠山に残る戦国山城のなかでも特異な縄張であることを改めて実感した。

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竹が繁茂しているが、見事な堀切

大上西ノ山城は、八上城と八百里城を詰めの城とした畑一族とを分断する意図で築かれたものだけに、北尾根のピークにある畑方の武路城と対峙し、西方を流れる畑川を境にして畑氏の居館・大渕館と向かい合っている。呼べば聞こえる位置にあるそれらの関係は、戦国時代の緊張感をいまに感じさせてくれる。

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大渕館、一昨日の雨で水濠化した堀

大渕館は国人・畑氏の居館で、周囲を囲繞する土塁と堀は、往時の姿をとどめたもので県の指定文化財となっている。
昨年秋にガイドを務めた歴史ウォーキングなどのイベントや、先日の家紋オフ会などでスッカリお世話になっているところだ。今回も当主の畑さんをわずらわせ、畑氏と大渕館の歴史を解説いただいた。

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大上西ノ山城を見る
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当主の畑さんより歴史を拝聴

大渕館は山城とは一味違った戦国遺構であり、そこにご子孫が続いているというまことに希少な史跡で、参加者一同、満足度は高かったようだ。

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大渕館と詰めの城―八百里城を見る

かくして、予定していたスケジュールを一通りこなすことができた。とはいえ、八上城、奥谷城はもとより、全体的に駆け足の見学となってしまった。あれもこれもと欲張り過ぎた結果というしかないが、怪我人も脱落者もなく見学会を終えることができたことは、案内役としては何よりのことであった。
ただ、八上城登山において、眩暈のような感覚に襲われ、フィーとなることがしばしば。まだ体調は完全ではないような。いや、ひょっとして老化がもたらしたものかも知れない。
posted by うさくま at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 山名氏城跡保存会
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