昨日に引き続いて、播磨の中世武家にゆかりの名字と家紋探索に出動。同行者は昨日と同じく相方、次女と孫ウーである。
今日のターゲットは、中世、依藤が勢力を張った小野市小田をメーンに、西脇にある墓地を歩き依藤さんの家紋を採取すること。小野一帯は依藤氏の城跡が散在し、本流であろう依藤さんの家紋に出会える可能性が高いところだ。
昨日同様、グーグルマップでチェックしておいた小田地区北方の墓地、まず一つ目の墓地を訪ねると依藤さんの墓はなかったが久後さんの墓が林立、彫られた家紋は「カタバミ」であった。
久後さん 五百蔵さん
つぎの墓地で依藤さんの墓石を発見「抱きオモダカ」であった。しかし、その墓地では服部さんが多数派で「三つ柏」紋、依藤の家紋をオモダカとするには心もとない。そこから歩いてすぐのところにある墓地を訪ねると、ずばり依藤さんの墓が林立し、家紋はそろって「花菱」紋が彫られていた。ここで閃いたのが見聞諸家紋に収録された「ウキクサ」紋で、それが花菱に変形したと思われたのだ。まず、中世の東播磨に割拠した依藤氏の流れを汲む家と見たのだが、どうだろう。
小野市小田町 依藤さん 花菱 小野市 三木さん 折敷に三
依藤さんの株墓地のすぐそばに立派な墓所があり、お邪魔してみると三木さんの墓所であった。家紋は播磨に多い三木さんらしく「折敷に三文字」、おそらく英賀城主・三木家ゆかりの家なのであろう。
小野で大成果を得て、つぎの目的地の西脇市に移動。最初の野村墓地では藤原さん、長井さん、有元さんらの墓が営まれていた。家紋は「桐」、「井桁」「梅鉢」で、梅鉢の有元さんは美作菅家党の流れを汲む家であろうか。長井さんは西脇の古い家らしく名字をあらわす「井桁」紋がゆかしかった。
二つ目の和田墓地にお邪魔すると「抱きオモダカ」紋が彫られた依藤さんの墓を発見、さらに墓地を歩くと依藤さんの墓石が並ぶ一角があり、すべて「抱きオモダカ」紋で統一されていた。
西脇市 依藤さん 抱きおもだか 西脇市 在田さん 二つ引き
さらに墓地を歩くと「二つ引両」「菊輪に二つ引」の在田さん、「桐」「鷹羽」の村上さん、「二つ引」「藤丸」の嶋田さんなど、同苗同紋、いわゆる株墓地が新たに営まれたものと思われた。古い状態のままの墓地時代に家紋採取していれば、古形の家紋が見られたのにと惜しまれたことであった。
西脇市 在田さん 菊輪二つ引き 西脇市 安好さん 五瓜におもだか
ここで、同行者たちが空腹を訴え、不機嫌さが露わになってきた。依藤家、在田家の家紋も採取できたし、国道沿いにあった「蔵寿司」で遅い昼食をとることにした。初めて入った蔵寿司、システムが分かりづらく、ゆっくりのんびり食事をすることができなかった。お店側には便利なシステムなのだろうが、ユーザフレンドリーとは言いがたい、つぎに行くことはないな、きっと。
ともあれ腹を満たしたあと、戦国仲間のSさんがやってはる猪肉屋さんで「猪肉」を購入。しばし、雑談に時間を過ごした。聞けば野村墓地にあったS家のお墓はSさんところのものだったといい、S家の紋は「桐」であった。
ともあれ腹を満たしたあと、戦国仲間のSさんがやってはる猪肉屋さんで「猪肉」を購入。しばし、雑談に時間を過ごした。聞けば野村墓地にあったS家のお墓はSさんところのものだったといい、S家の紋は「桐」であった。
こうして、連日の家紋探索はそこそこの成果を得られた。今日の晩御飯はSさんにサービスしてもらった猪肉を「焼ぼたん」で食した。ボタン鍋より美味ではあるが、いささか脂っこい、ビールが飲めればさらに美味しくいただけたのだろうが禁酒の身。ともあれ、これからも播磨の中世武家の家紋探索は続く。
県内各地依藤氏一族の有志が集い歴史を探求しているグループの一人です。
ご訪問いただいた墓所等について少し詳しくご説明できるかと思いますので、もしご興味がおありでしたらメールを頂戴できましたら幸甚です。
書き込み、ありがとうございます。
私のハンドルネームが示すように播磨出身の者で
播磨の中世を生きた武家の歴史を
家紋を主体に山城や史跡などを調べています。
依藤氏は東播磨の中世史に小さからぬ足跡を刻んだ
国人領主であり気にかかる存在です。
ぜひ、いろいろ教示いただきたく存じます。
よろしければ、メールをいただけますでしょうか。
お待ちしております。
メールアドレスが表記されませんでした。
kamonworld@gmail.com
上記です。よろしくお願いします。