2017年12月24日

淡路島、家紋講座の調査行

きょうの丹波は曇り。あと一か月を切った淡路島での家紋講座取材のため、淡路島に遠征。目的は、文化会館までの時間を量る、田村氏、舩越氏、安宅氏、賀集氏ら国人衆の家紋探索。

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相方と次女・孫のウーさんの四人で寒さが沁みる早朝、篠山を出発。淡路文化会館まで約一時間の行程、淡路島も近くなったものだ。
あらかじめ、インターネットで調べておいた国人の名字が残る、城址・寺・墓地を順番に訪ねていった。

まず、文化会館まで到着、おにぎり弁当のおそい朝ごはんを食す。腹を満たしたのち、すぐのところにある田村氏ゆかりの妙京寺にお邪魔した。山門のかたわらに田村城主顕彰碑があり、その横に簡単に田村氏の歴史が叙述されている。読んでみたものの新しい発見はなかった。

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お寺の墓地もお邪魔してみたが、田村氏に関わると思われる墓所などは発見できなかった。
ついで舩越氏が拠った倭文高にある舩越氏の墓が集中する法華寺、家紋は期待していた「三つ巴」ではなく、「三つ柏」を多数派に「横木瓜」「違い鷹羽」であった。近くに残る舩越氏が拠ったという庄田城跡を訪ねると、城址石碑が佇むばかりで城址をしのぶものはなかった。

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つぎは野口氏が拠った志知城。道中、見事な鳥居が現れ、寄ってみると「おのころ島神社」であった。説明版によれば、イザナギ、イザナミも二尊が最初にもうけた島で、国生みの聖地といい大きな鳥居は高さ21メートルとあった。

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さて、志知城は水堀・曲輪・切岸など遺構はよく残っているが、竹藪が生い茂る荒れた状態で探索はあきらめあるしかなかった。城址近くには野口氏ゆかりの伊勢神社、声明寺などがあり野口氏の歴史が記されていたが、野口氏の家紋そのものにはめぐりあえなかった。

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つぎは安宅氏の墓所がある賀集八幡と護国寺かたわらにある墓所を訪ねた。すぐに安宅氏の墓石があり家紋は「違い鷹羽」、しかし、広い墓地を歩いたが安宅氏の墓石は二基だけ、これではちょっとデータとして弱いが止むをえない。

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相方らが「腹が減った」と言い出し、手ごろな昼食所を探しつつ、賀集氏ゆかりの万福寺を訪問。お寺の道向かいには江戸時代、一帯の庄屋であったという賀集家が残っている。まず万福寺の境内墓地を訪ねると賀集(加集)家の墓石が祀られていたが家紋はない。お寺の方を訪ねたが見当たらず、賀集家を訪ねても応答はない、失礼と思いつつ賀集家にお邪魔させていただくと「重ね三階菱」紋があったが、はたして賀集家の紋であったのだろうか?

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賀集は淡路国衙にも近く、古くから開けたところであったようだ。先の賀集八幡・護国寺もだが、淡路に流された淳仁天皇陵があり、賀集氏が拠ったという城の腰城跡もあった。ところで、淡路島の中世城郭は、庄田城、志知城、そして賀集城など、平城というか居館的なものが多い。

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つぎは北阿万筒井の薬王寺、事前調査では、田村氏の後裔にゆかりの寺である。境内墓地にお邪魔すると、さっそく田村家の墓石があり家紋は「抱き茗荷」が彫られている。「抱き茗荷」は京都にある田村氏の先祖といわれる坂上田村麻呂の墓地の石標にも彫られているものだ。墓地を歩くと田村氏の墓石が散在し、いずれも「抱き茗荷」紋が彫られている。ちなみに、遠く東北に続いた田村家の家紋は「一関おおばこ」紋で、別名「田村茗荷」とも呼ばれている。はたして、淡路田村家の家紋が中世以来のものか否か答えは得られなかったが、大きな収穫ではあった。

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さて、相方たちの空腹対応である。ネットで調べると「淡路ファームパーク イングランドの丘」がよさそうということになった。ところが、たどりついたら広いうえに入場料もいるような、孫もいることだし断念してサービスエリアで食事をとることにした。相方たちは急ぎたいところだが、イングランドの丘すぐのところに淡路守護細川氏の養宜館跡がある。せっかくなので立ち寄ってみると素晴らしい土塁が残り、畑地となっているが曲輪跡もよく残っている。かつての堀は農業道になってしまっていたが、守護居館跡としては素晴らしい遺構であった。館跡に墓地があり、訪ねてみると武田・赤松・武市そして細川など「おっ!」という名字があったが、家紋はばらばらであった。

ここで淡路での調査行は切り上げて、インターチェンジに急ぎ、サービスエリアで遅い食事にありついたのであった。今回の淡路行でいささか気になったのが異常に小便がちかかったこと、それも持病ともいうべき病気を思わせる厭な感じであった。ともあれ、今日の淡路調査で、来年の一月に迫った家紋講座の発表資料の最終仕上げに着手できそうだ。
posted by うさくま at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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