2017年11月07日

丹波ささやまおもしろゼミナール山城編に出動

篠山市の公民館事業の人気コンテンツ「丹波ささやまおもしろゼミナール」
今田町域の中世領主・小野原氏の山城をめぐる「山城編」の
ガイド役T先輩のサポート役として出動した。

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訪問先は、春より整備を続けてきた丹波木津城跡と居館跡比定地、
小野原氏にゆかりの稲荷を祀る市原城跡。市原城跡は神社に因んだ
城山稲荷の社名の方が有名である。

今日の篠山は天気もよし、参加者はスタッフを入れて35人、
一同、バスに乗り込んで、一番目の山城である木津城へ。

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高齢者が多いこともあってゆっくりゆっくり山上の山城へと登る。
春以来の整備の甲斐もあって、城跡はいい感じの姿を見せている。

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印象としては、埋もれつつあった山城遺構が目覚めたという感じで
また、眠りにつかせることなく地元の方が整備を担われることを期待したい。

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地元から参加された方が、山城とその周辺の整備に意欲をもたれ
かつてあった谷筋の道などの草刈をされるとのこと
また、居館跡の横堀の雑草なども刈り取っていただいたとのこと。
集落の若手の方々が、それに続かれたならば忘れられていた
戦国時代の史跡がよみがえり、村おこしに寄与することだろう。

二つ目の市原城跡。
稲荷神社が鎮座したことで、相当の改変を受けていることは間違いない。
とはいえ、尾根筋を登る参道の傍らの地形は曲輪、切岸の
様相を見せ、山上の神社周辺も山城の雰囲気を漂わせていた。

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波多野氏が滅亡したのち秀吉に仕えた小野原氏は、朝鮮の陣に従い
勧請した稲荷神社に祈願して無事帰国することができたのだという。
それが所以となって、出征ののち無事に帰国できる、それが
出征遁れにご利益があるということになり、戦前は多いに賑わったという。

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戦国時代、今田一帯を領した小野原氏、地名を冠しているだけに
開発領主であったと思われるのだが・・・。
朝鮮の陣に出征、帰国したのち忽然と消息を絶ってしまった。
神社のご利益を思えば、おおいに栄えて近世に生き残った。
ということになるのだが、果たして、どこへ消えてしまったのだろう?

一説に、九州の伊万里に小野原姓があり、
和田寺に祀られる小野原何某の位牌に参ってこられるという。
ひょっとして、朝鮮の陣から帰国したのち、丹波の地を踏み
その後、なにかの機縁があって伊万里に移り住んだものだろうか。
なんとも謎に満ちた話だが、今日、登った山城は
小野原氏が確かに存在したことをわれわれに語りかけているのであった。
posted by うさくま at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城
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