2017年09月30日

おもぜみ、東部から北部へ調査行

午前中、講座を聴講する相方をゲットして、おもゼミ取材のため篠山東部方面へ。今日のターゲットは藤坂の中馬家と本郷の細見家の歴史、そして、古戦場のあとの踏査。

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スッカリ木々は伐採されてしまった。


移動していると、明智の陣城の一つ野間砦後方曲輪部の木々がバッサリ。「なしたもんで」と寄り道してみると丹波県民局ふるさと創生推進事業の助成金が出たようだ。整備されるのはよいのだが、重機を使った切りまくり状態は、城と認識したうえでの作業と思われないのが・・・残念だ。

0930image1.jpg ひさしぶりに食す

風輪里でうどんを食してのち、中馬さんのお宅を突撃取材。ちょうど、畑にいらっしゃって来意を告げると快諾いただき、伝来の系図、弓・矢などの武器をお見せいただいた。むかしは刀剣もあったそうだが、家の盛衰はいずこも同様で、いまは手放してしまったとのこと。

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武具と系図の家紋

見せていただいた系図の冒頭には、中馬家の家紋「丸に一つ引」と「鳳凰に截竹二本」の紋図が。『丹波志』などに書かれていた中馬氏の紋「鳳凰に截竹二本」、やっとその図に邂逅できたのだった。そうか、こういう紋図だったのだ、眼福でした。あつかましくお墓の所在をお訪ねすると、お宅の裏山にあるとのことだった。ともあれ、おもゼミへの協力もいただけるとのことで、中馬さん宅を辞した。

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館跡と詰の城を見る
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住職さんからのいただきもの

つぎは、七月にも取材に歩いた本郷の細見氏にかかる史跡。前回、お留守であった松隣寺を訪ねて住職さんにお会いしてお話を聞かせていただいた。松隣寺は細見将監の創建になるというものの、ゆかりの品というものは伝来していないとのこと。お寺より北方、川をはさんだ向かいの山麓に細見氏を祀る祠あると教えていただき、早速、訪ねてみた。確かに祠はあったが、中は自然石がひとつ入っているばかり。また、その手前の沢に梵字が刻まれた一石五輪塔の残決があったが、果たして?

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細見将監ゆかりの祠

22050180_1372599109505331_7755064104604330850_n.jpg 一石五輪塔

前回、おとすれたとき教えていただいた旧庄屋の細見さんおお宅を訪ねたが留守。住職のお話では近くの畑に出ておられることが多いと聞いていたので、周囲を見回すと村墓地近くの畑におじいさんを発見。あいさつをすると細見さんその人だった。系図や文書などが伝わっているが、いまから蔵から出すのは大変なので日を改めてくれとのこと。もっともなことと、再訪をお約束して本郷をあとにした。

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鼓峠古戦場の説明板
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福徳貴寺より見た風景

本郷からの帰途、細見将監と畑牛之丞が明智光秀を挟撃したという鼓峠古戦場、ついで波多野氏と中沢氏とが雌雄を決したという福徳貴寺を訪ねた。鼓峠のことはともかくとして、福徳貴寺合戦については感状なども伝わっていて史実であることは疑いない。ただ、波多野氏が戦ったのは細川氏という説もあり、歴史を調べるのはなかなかに手強いのであった。

posted by うさくま at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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