2016年10月18日

「おもしろゼミナール」のガイドに出動

丹波篠山は曇り空。
予定通り公民館主催の「おもしろゼミナール」のガイドに出動。
一応、天気はもちそう (^_^)
中央公民館をスタートして、市民センター、城東公民館をめぐって
参加者のみなさんをピックアップして「おもゼミ」本番スタート。

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まずは、波々伯部氏にゆかりの波々伯部神社を訪問
あらかじめ用意していただいた波多野秀治の書状を拝見
宮司・近松さんによる神社の歴史と伝来品についてのお話を
独特の口調でタップリとお聞かせいただいた。

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二つ目は福住一帯に勢力を張った籾井氏にゆかりの如来寺
山門を入ると先代の住職が建立されたという
籾井教業の供養塔が祀られている。そこに刻まれた家紋は「稲」
おそらく籾井の「籾」にかけたものであろうが、
本来の家紋と思われる「三つ巴」も刻んでおいてほしかった。
また、下見のときに拝見した護摩堂格天井に描かれた色彩家紋は
参加者の皆さんに見てほしかったのだが、住職さんのご都合で割愛となった。

さんばやひぐち さんを開放いただいて昼食をとり
しばらく休憩をとってのち、おもゼミ一行は昼の部へ。 

福住から籾井氏の居館跡と伝わる本明寺の本休寺を横目に
山越えの道で立金を抜け、市野々の赤門で知られた澤山さん宅へ。

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澤山家は細工所城主・荒木氏の後裔といい
赤門は戦国時代の遺構といい、系図も伝来している。
そのすべてを信じるわけにはいかないが、相当の旧家であることは間違いない。
赤門を見学し、澤山家の菩提寺という久昌寺で
墓所に刻まれた「細三つ柏」紋を拝見させていただいた。

市野々から西方一帯は大芋庄の故地で
見聞諸家紋に大芋「二つ雁に菊水」として収録されている武家が割拠した地だ。
大芋の名字、山田、山上、山中さんなどの諸家は「雁に菊」紋を用い、
その由来は諸家紋の大芋に求められるのではないか。ということは
諸家紋の大芋は、おそらく大芋党というべき武士団だったのではないか。

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そのようなことを考えながら、大芋では山上家
戦国末期、大芋の中心勢力であった森本家の後裔に当たる家を訪問した。
両家とも、いまは農家であるが、住まいは土豪館を思わせる佇まいで
それぞれ、背後の山に山城遺構が残っているのであった。

ちょっと、早いペースかな?と思わぬでもなかったが
最後の訪問地となる八百里城主・畑さんのお宅を訪問。
畑家の先代は自家の歴史を調べられ、みたけの歴史にも詳しいとのことで
お話をお聞かせいただこうと訪問したのだが、すでに鬼籍に入られていた。
なんとも残念なことであったが、おうちの背後山麓に
祀られている畑守国の供養塔見学を許していただいた。

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守国の武勇伝は軍記物にも記され、供養塔にも同様のことが記されていた。
おそらく潤色はあるだろうが、それを他人がどうこうと論うものでもない。

畑氏に限らず、今日、めぐった篠山東部の戦国史に名を刻んだ
武家たちの歴史は分かり難いものがある。すなわち、敗者の側に立ったことで
家に伝来していたであろう文書のほとんどが戦火によって散失、
語り継がれる歴史も伝説の域を出ないものになっている。
しかし、丹波篠山(多紀郡)の中世を生きた武家の歴史は
失われてしまったということはなく、薄っすらとだが痕跡はとどめている。
それを訪ね、後世へと伝えるのも「おもゼミ」の一つの命題であろう。
来年は、多紀郡の西部に中世武家の家紋と歴史を訪ね歩きたいと目論んでいる。
posted by うさくま at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山歩き
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