今日は戦国倶楽部のミニオフ「綾部の山城攻め」で綾部に遠征。
メンバーは、いつものMiyaさんと
大和郡山オフ以来、一年半ぶりのPeroさんの三人。
訪城先は、綾部に割拠した国人領主大槻氏にゆかりの
高津城、将監城、石原城、そして舘城の四城。
メンバーは、いつものMiyaさんと
大和郡山オフ以来、一年半ぶりのPeroさんの三人。
訪城先は、綾部に割拠した国人領主大槻氏にゆかりの
高津城、将監城、石原城、そして舘城の四城。
心配した残雪もなく、いまの時期ならではの見通しのよさ、
ダニの心配もないコンディションの城跡、
それぞれ個性的で、なかなか楽しめた。
ダニの心配もないコンディションの城跡、
それぞれ個性的で、なかなか楽しめた。
丹波篠山で落合い、最初の山城・高津城跡をめざす。
由良川の南岸に鎮座する高津八幡宮の後方の山上にあり、
東曲輪群と西曲輪群で構成された二城一郭の山城。
二度目の訪問だが、なんとなく手入れがされている感じだ・・・。
由良川の南岸に鎮座する高津八幡宮の後方の山上にあり、
東曲輪群と西曲輪群で構成された二城一郭の山城。
二度目の訪問だが、なんとなく手入れがされている感じだ・・・。
東曲輪群西端の堀切 西の曲輪
主郭から綾部市街を遠望
主郭切岸と東腰曲輪 南曲輪切岸とつなぎの曲輪
南曲輪主郭切岸 西曲輪群中央部の横堀
城址説明カンバンの概略図
西曲輪群西尾根を遮断する横堀 西曲輪群西端曲輪の土塁
高津城は、公園に整備された歴史もあるようで、
荒れ気味ながら山道もバッチリ、さくっと登れた。
が、主郭北尾根の堀切探索は前日の雨の影響もあって
斜面の状態が悪く割愛した。
二つ目の将監城は、先に登った高津城とは
谷を隔てた西方の尾根上に築かれた山城で、
林道から分け入れば、すぐに城址というお手軽な立地。
城址北西に位置する最大曲輪の虎口(取り付き口) 切岸と曲輪
土塁を伴った堀切 曲輪が連なる
全体に植樹と雑木があるものの、残存度は抜群だった。
城址は曲輪を尾根に沿って並べ、谷筋を囲繞するU字状の構造。
城址最大の堀切 武者走りを伴った畝状竪堀
力の入った畝状竪堀 最南端の尾根筋を遮断する大堀切
城址外縁にびっしりと畝状竪堀を設け、
曲輪群を区画する堀切が見応えがあった。
竪堀となって落ちる大堀切 U字状の左側突端の二重堀切
とはいえ、主郭はどの曲輪だったのだろう?
おそらく、とっつきの広い曲輪であったと思われるのだが・・・
高津城、将監城を堪能したのち、遅めの腹ごしらえをすませ
三つ目の山城、石原城へ。
石原城は、高津城、将監城とは由良川を隔てた対岸にある山城。
縄張り図を見ると、二つの曲輪で構成された館城で、
曲輪を区画する横堀と、それぞれの曲輪を囲繞する土塁が特徴的。
山麓の武大神社 東の副郭の土塁
曲輪を区画る横堀ろ主郭部切岸 主郭部切岸の横矢状折れ
南東山麓の武大神社あたりより取り付き、たどり着いた石原城跡は
植林がされているものの、虎口や横矢など、一歩進んだイメージを与える山城だ。
主郭部切岸と北腰曲輪
主郭部土塁上から副郭を見る 折れも見事な主郭土塁
主郭部南の虎口
主郭と副郭を区画する横堀 主郭南虎口から伸びる塹壕状の堀
おそらく、館として江戸時代はじめのころまで使用されていのでは?
と思わせる佇まいで、発掘調査は行われたのだろうか?
今日、最後の攻城先は舘城跡。ここも再訪となるが
山道そばに車を停め、あっさりと城跡へ。
先の石原城と同様に二郭で構成され、背後の尾根筋を横堀で遮断
南西側に帯曲輪を設けた新しさを感じさせる平山城だった。
じっくりと探索をしたかったが、夕闇に包まれてザッと見るだけとなった。
かろうじて尾根側の土塁跡を撮影 城の外はまだ明るかったのだが・・・
山城らしい高津城跡、将監城跡、居館城というべき石原城跡と舘城
いずれも見応えのある城跡ぞろいであった。
明智光秀の丹波攻めに抗した綾部の山城群だが、
同じく明智勢と戦った丹波篠山の山城と比べると、
綾部の山城は、総じて大がかりで技巧的な印象を受けた。
その差はどこからきたのだろう?