2016年01月16日

おもゼミ 下調べ行

今秋に予定されている「丹波篠山おもしろゼミナール」の
「多紀郡の中世武将と家紋」。その下調べに篠山市東部を歩いてきた。

淀山城・東山城に拠った波々伯部氏、
安田(籾井)城・安口城に拠った籾井氏、
細工所城・本庄市谷城・栃梨城に拠った荒木氏、
八百里城・奥畑城に拠った畑氏の史跡と家紋を訪ねてきた。

色々えるところがあったが、なかでも旧知でもある波々伯部神社の神職さんとお話しをできたのは望外の収穫だった。いろいろ、資料をいただいたうえに、護摩堂内を案内いただき、波々伯部氏から預けられたという古い波々伯部氏の位牌に打たれた「舞鶴に根引松」紋を拝見できた。

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波々伯部神社と波部家の位牌に据えられた家紋


如来寺の境内には、「丹波の青鬼」で知られる籾井照綱供養塔があり、稲を象った家紋が刻まれている。籾井氏の場合、後裔にあたる家に伝来する文書では、三つ巴で替紋が梅鉢とある。この紋は籾井にかけた創作紋と思われる。

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如来寺から籾井氏が拠った安田城跡を見る


市野々では、細工所城主荒木氏後裔という澤山家(現在空き家)の屋根に打たれた「三つ柏」紋、後裔の家となりの久昌寺に残る荒木家の墓石に刻まれた「三つ柏」紋などを激写、久昌寺は無住で調査は挫折、後方の山は山城の風情を感じさせたが、登山は次の機会に譲った。

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澤山家の長屋門と家紋


細工所城を東方に見る本庄市谷城、県守集落入口の城跡と連携して荒木氏領の西方の守りに備えたところであったろうか。その本庄市谷城南山麓にある慈眼寺の荒木家の墓石には「三つ柏」紋が彫られている、久昌寺の澤山家との気になる関係はこれからの課題、できれば住職、ご子孫の方にお話しを聞きたいものだ。

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梅の花が咲く慈眼寺境内墓地の荒木家の紋と小畠家の紋


最後に訪ねた畑家、由緒を感じさせる住居の屋根には「二つ引両に守」紋が打たれ、住居ウラの山麓には戦国時代に活躍した畑守国の追善供養塔も祀られている。供養塔近くの古い墓石には「二つ引両」紋が刻まれている。そして、後方山上には八百里城跡があり、一帯の畑家の本家だといわれる。お訪ねして、供養塔を拝見させてもらった。その帰路、畑家の方から、亡父が残されたという家紋に関する簡単な資料をいただいた。なかなか、興味深いものではあったが・・・ (?_?)

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畑守国追善供養塔と畑家古墓の紋と、新しい墓地の紋

たった一日の調査ではあったが、得るところは多かった。残念だったのは、籾井氏ゆかりの如来寺が留守だったこと、荒木氏の墓所のある市野々の久昌寺が無住だったこと、さらに、本庄荒木氏の墓所のある慈眼寺も留守だったこと、なんども田舎のお寺は事前の調査が不可欠のようだ。
これからも、なんとか伝手を探って、家の歴史と家紋の調査を継続していきたい。
posted by うさくま at 07:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索
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