今日は城友Mさんの誘いを受けて、
城郭談話会の皆さんに混ざって美山の今宮城に登ってきた。
美山といえば茅葺古民家集落で注目を集めているところだが
中世山城もいい感じの城址が残っているのだ。
城郭談話会の皆さんに混ざって美山の今宮城に登ってきた。
美山といえば茅葺古民家集落で注目を集めているところだが
中世山城もいい感じの城址が残っているのだ。
今日のターゲット今宮城は、戦国時代において美山一帯を領した
国人領主川勝氏(下田氏)の北備えの支城として築かれた山城。
川勝氏は美山町の中心部である島に本城を構え
今宮城、中村城、殿城などを築いて戦国時代を生き抜いた。
国人領主川勝氏(下田氏)の北備えの支城として築かれた山城。
川勝氏は美山町の中心部である島に本城を構え
今宮城、中村城、殿城などを築いて戦国時代を生き抜いた。
*城跡概略図は「京都府中世城館跡調査報告書」から転載しました。
十年前、島城に登って以来、
おりおりに美山を訪ねることがあり、今宮城は
いつかは登りたいと思っていた山城の一つだった。
今日、にわかに登城が実現、Mさんの車で美山に向った。
おりおりに美山を訪ねることがあり、今宮城は
いつかは登りたいと思っていた山城の一つだった。
今日、にわかに登城が実現、Mさんの車で美山に向った。
今日のグループは、城郭談話会のみなさんとわれわれと併せて七名
今宮城の麓に車を停めて、城址西方の谷から城址を目指した。
今宮城の麓に車を停めて、城址西方の谷から城址を目指した。
道なき西谷筋の激斜面を登る
見る限り登山道らしきものはなく、滑落しそうな道なき激斜面を直登。
登りついた尾根筋に圧巻というべき四重の堀切、
そこから南西に続く尾根筋に曲輪が築かれ、総延長は250メートル!
北尾根筋の四重堀切
四重堀切 主郭切岸を北から見る
主郭北の虎口(後世の破壊であろう)地形 主郭東土塁
城郭談話会のメンバーのみなさんが
早速、今宮城の縄張り作成にとりかかられる一方で、
こちらは、勝手気ままに城址探索を楽しんだ。
季節柄、視界を遮る樹木は木の葉を落としているものの
馬酔木の木々、倒木などが前途を遮る。
早速、今宮城の縄張り作成にとりかかられる一方で、
こちらは、勝手気ままに城址探索を楽しんだ。
季節柄、視界を遮る樹木は木の葉を落としているものの
馬酔木の木々、倒木などが前途を遮る。
主郭で記念撮影
尾根筋の曲輪と西側腰曲輪
島城を遠望する
尾根筋曲輪切岸と帯曲輪 曲輪群南部を区画する堀切
城址は四重堀切を背後の守りとした主郭より南西尾根へ
曲輪が形成され、ところどころに帯曲輪、竪堀を設け
主郭から伸びる曲輪群と南端部の虎口曲輪群とを遮断する
竪堀を伴った大堀切で南部からの攻撃を防御している。
縄張りそのものは単純ではあるが、堀切群は見応えがあった。
曲輪が形成され、ところどころに帯曲輪、竪堀を設け
主郭から伸びる曲輪群と南端部の虎口曲輪群とを遮断する
竪堀を伴った大堀切で南部からの攻撃を防御している。
縄張りそのものは単純ではあるが、堀切群は見応えがあった。
曲輪群南部堀切、土橋が伴っている
堀切は東斜面に竪堀として落ちる 最南端曲輪の虎口
11時前に城址に登り、主郭で弁当を使い、下山は16時半ごろ
通常なら雪が積もっていてもおかしくない美山は晩秋のたたずまいであった。
個人的な山城攻めと違って長丁場の城址滞在となったが
陽射しもポカポカと暖かく、談話会の皆さんと離れて
水場を探したり、斜面を探索したり、結構、楽しむことができた。
通常なら雪が積もっていてもおかしくない美山は晩秋のたたずまいであった。
個人的な山城攻めと違って長丁場の城址滞在となったが
陽射しもポカポカと暖かく、談話会の皆さんと離れて
水場を探したり、斜面を探索したり、結構、楽しむことができた。
南尾根筋斜面を下山
念願の登城が、意外なかたちで実現した今宮城、
激斜面の登り下りはきつかったが、
ひっさしぶりに山城を堪能した (^ ^)
持参したカメラにメディアを入れ忘れていたのは
痛恨のミスだったが・・・ 囧rz
http://ameblo.jp/esqi-oyaji/entry-12131792009.html
このあと島城・中村城 http://ameblo.jp/esqi-oyaji/entry-12160427230.html に行きすっかり川勝の城にハマってしまいました。島城は鋭意聖書中です。
またご一緒できればうれしいです。
当日は皆さんの縄張りに対する
熱さとこだわりに圧倒されました。
あの日から、もう半年ばかり
時間の経つのは早いですね。
また、機会があれば、お声をかけてください。