今年、最初の山登りは、昨年同僚のEGくんから
「ひょっとして山城では?」と情報を得ていた、
篠山市北西部に位置する東浜谷の名もなき山に登った。
熊谷側から城址のある山を見る
山城と思われる該当地は盃ケ岳に続く尾根筋で、
盃ケ岳山頂には盃山城、盃ケ岳から南西に伸びた尾根筋には矢代城、
該当地南すぐのところに遊谷城、
東すぐの山に熊谷城などが存在するところだ。
周辺の山城地図
東南山麓の古い墓地から取りつき、田んぼあとであろう平たん地を経て尾根筋の竪堀状の地形(おそらくキンマ道)を登る。キンマ道がきれたのちは急斜面となり、「えいやっ」と登っていくと、曲輪らしき地形があらわれた。曲輪切岸を越えると紛うことなき尾根を遮断する堀切、そこから階段状に削平の甘い曲輪が続き、ピークの主郭へと登りついた。
キンマ道であろうか、尾根筋を登る
曲輪と切岸状の地形があらわれた
尾根を遮断する堀切
堀切はシッカリした造りだ
斜面に二つ目の堀切
主郭からの眺望は木々に邪魔されているものの、東南方向に八上城跡がウッスラと見える。そして、盃ケ岳、遊谷城、熊谷城などが一望で、一帯を領した勢力としては押さえておきたい要地であることが実感された。
主郭は自然地形だろうな・・・?
主郭北尾根の堀切、熊谷の集落が眼下に見える
尾根側から堀切と主郭方向を見る
高低差のある切岸、向こうの山は盃ヶ岳
ピークの主郭から盃ケ岳へと伸びる尾根側に腰曲輪が一段、その先は力の入った堀切で遮断されている。南方、西方に伸びる尾根にも遺構があるように思われたが、今回は割愛した。古式で大味な縄張りの山城だが、堀切で明確に城域を区画し、分かりやすいつくりのものであった。なんとなく、半信半疑で登ったわけだが、結果は新しい山城の発見となった。
主郭の切岸
主郭から登ってきた尾根筋を見る、曲輪が連なっているのが分かる
城域をはすれた尾根にも曲輪状の地形が・・・
山麓からモヤに霞む八上城跡を遠望
山の山城を網羅した『戦国・織豊期城郭論』にも収録されていない無名の山城、ともあれ、仮に「東浜谷城」としておこう。室町時代から戦国時代まで、戦乱が絶えることのなかった丹波多紀郡(現篠山市)には、まだまだ知られぬ山城が残っているようだ。(仮)東浜谷城、機会を見つけて、スルーした西方・南方尾根筋、遊谷城との関係など探索を続けたい山城だ。