2015年12月27日

「家紋夜話」をアップ

12月24日、巷ではクリスマスイブの夜、
サンタがくるわけでも、サンタになることもない。
そんなイブの夜、ここのところ、ずーっとサボっていた
家紋Worldの更新作業を思い立ち、前から温めていた
新しい家紋コンテンツ「家紋夜話」作成に着手した。


yawa_rogo.png


久しぶりの更新作業、ところがアップしたコンテンツが
なぜか、妙な文字化け現象が起こった。
『名字』の「名」の字が「吊」に、『 」 』 が 『 《 』 に化ける。
表示フォントを「メイリオ」に指定しているせいだろうか?


yawa_20151224.jpg


フェースブックなどから文字化け解消法を
教えてくださる方もあり、あれこれ試した結果
なんとなく文字化けを解消することができた。
なぜ解消したのかは不明だが、よしとしよう。


yawa_20151227.png


ということもあって、26日の昼過ぎから
コンテンツの文字化け調整、追加コンテンツの作成作業で引き籠ってしまった。
久しぶりのマイサイト更新作業、ひさしぶりのデスクワーク三昧、
こういうのって楽しい。

明後日から始まる年末年始の休みは、(酒が飲めないことでもあり)
なんとなく新しいコンテンツ作成で引き籠りになりそうな予感。
posted by うさくま at 13:13| Comment(13) | TrackBack(0) | 家紋
この記事へのコメント
家紋夜話興味深かったです。

大芋党についてですが、

上山市指定文化財の森本氏住宅に使われている家紋が
剣にカタバミのようです。

以下は参考リンク

http://y-fudousan.net/log/?l=23997

この森本氏は

「森本家は丹波国多紀郡大雲郷(現在の兵庫県多紀郡福井村)出身の武士」

と書かれています。

Posted by 歴史好き at 2016年01月16日 22:01
素晴らしい情報、ありがとうございます。
旧丹波国多紀郡(現篠山市)の中世武家は
明智光秀の丹波攻めによって運命を翻弄されました。

大芋党は戦国時代を生き抜き
森本氏は秀吉の朝鮮出兵にも従い
その後、帰農するもの、武家奉公するものに
分かれたと伝えられています。

丹波から備中、さらに奥州へと歴史を紡いだ森本家
名乗りの「秀」の字もゆかしいですね。
リンク先の森本家の家紋は「剣花角」ですが
剣カタバミから変形したものかも知れませんね。
Posted by うさくま at 2016年01月28日 23:13
森本家の家紋は「剣花角」でしたか。
やはり、専門家に判断してもらわないと、
正確なことはわからないものですね〜

ところで、「秀」の字が名前によく使われているというのは、もしかして、これがよく日本史で出てくる偏諱というものでしょうか? もしそうなら、もともとだれが使い始めたのか、主君からいただいたものなのか。また、他の大芋党の武士も使用したのか、という疑問が次から次へと湧いてきます。何かご存知でしたら教えていただきたいです。
Posted by 歴史好き at 2016年02月01日 00:29
多紀郡(篠山市)大芋の森本氏は、同じく大芋の国衆(土豪)であった山田氏、山上氏との関係が深かったようです。
山上氏の系譜は不明ですが、伝によれば藤原秀郷流足利氏から分かれたといい「尊卑分脉」の系図などを見ると山上氏は「秀」の字を名乗り(いわゆる通字)に用いたことが知られます。
丹波の森本氏の出自は不詳とされ(夜話は未修正)ますが、「秀」の字つながりで山上氏との関係が特に深かったのでは?と想像されます。
ただ、家紋を見る限り、山上氏と山田氏は「雁に菊」ですが、森本氏は「剣カタバミ」「桐」「藤」が用いられ、山上氏とは別流を感じさせています。ちなみに関東の山上氏は上杉謙信がつくらせた「関東幕注文」に名を列ね「いほりの内十方(七宝=輪違)」を用いたとあります。
いま、多紀郡の中世武家の歴史(家紋と山城を主体として)を調べていまして、森本氏らの大芋衆は気になる存在で、近いうちに森本家をお訪ねしようと思っているところです。何か情報をお持ちでしたら、ぜひ、ご教示ください。
Posted by うさくま at 2016年02月06日 02:15
森本家とは関係がないので恐縮ですが、山田家の家紋について、掲載されている写真の物は、菊の花びらが片方7枚で、計14枚描かれています。しかし、これは、明治時代に16枚の花弁を描くことを禁じられた結果のデザインであり、本当は片方8枚ずつの計16枚の菊の紋です。

この正式な紋を石に刻んだ墓石か碑のようなものが、どこかにあるはずです。

そこには、一番上に正式な家紋が刻まれていて、その真下に


新羅三郎義光六代目
山田左京亮義員
(員の字はム+貝)
http://glyphwiki.org/wiki/u8c9f

というのがあります。
私は、大芋を訪れたことがないので、どこにあるのかわかりませんが、写真で見たことがあります。
Posted by 歴史好き at 2016年02月07日 19:51
歴史好きさん、情報をありがとうございます。
山田家は「丹波志」に系図が載っていて
清和源氏の末裔という伝承も併記されています。

書かれているお墓は古いものと思われますが
大芋一帯は新しい墓地が造成されて
昔ながらの墓地はほとんどなくなった状態です。

山田家のお墓も新しい墓地に移り
いずれも真新しい墓石ばかりが並んでいます。
山田左京亮と刻まれた墓石は大事にされていると
思われますが、何処にあるのでしょうか?
探ってみたいですね、そしてこの目で見たいものです。
Posted by うさくま at 2016年02月11日 23:24
例の墓石についてですが、聞いたところによると、「大芋小学校の裏の山」の中にあるらしいです。

昔は、墓石のあるところと埋葬場所は違うところだったらしいです。したがって、あそこには墓石しかないそうです。

豊林寺のご住職なら、もしかすると何かご存知かもしれません。
Posted by 歴史好き at 2016年02月14日 02:40
大芋小学校の裏山ということですと
山上城跡のあつやまでしょうね、きっと。
おそらく、山麓のお寺跡なのか? と思われますが
以前、訪ねた時には気付きませんでした。

豊林寺さんが残念ながら、現在、無住です。
近いうちに改めて大芋の歴史探索に出かけて
あれやこれや調べて来ようと思います。
Posted by うさくま at 2016年02月15日 07:31
大芋小学校の南で、川を越えた山の中、だそうです。

情報が錯綜してすみません
Posted by 歴史好き at 2016年02月15日 18:20
山田さんの本家にあたる方を紹介いただいて
ぜひ古墓を探し出したいですね。
なんとなく、スッポリ嵌ってしまった感じです。
なんとか、古墓が残っていることを願ってます 。
ほんと、探し出したいですね (*^^*)
Posted by うさくま at 2016年02月15日 19:50
大変古い家なので、どこが本家化ももしかしたらわからないかもしれませんが、てがかりとして、過去帳を調べてもらった結果、

山田九兵衛(宝永4年9月8日没)
諱不明

の系列だそうです。それ以外の系列も入ってるかどうかもわかりませんが。これより古い人は記録がありませんが、参考になるでしょうか?

Posted by 歴史好き at 2016年02月21日 17:53
大芋氏が楠木と関係があるかどうかについてですが、

http://nawate-kyobun.jp/masatsura_tusin_10.pdf

この楠木正行通信には、楠木と小芋は同族と書かれています。

私は、山田家の清和源氏末裔の言い伝えは、信ぴょう性が怪しいと思います。

もしかすると、楠木氏との関係を隠蔽しているのではないかと思うのですが、今となっては真実はわからないですね。
Posted by 歴史好き at 2016年02月25日 21:19
大芋の 森本家と山田家
また、大芋でしょうか「菊と雁」紋を用いる家々
調査継続しようとしつつ
日々の忙しさで調査停滞中です。

大芋氏について、見聞諸家紋の家紋から
楠木氏ではなかろうかという方もいらっしゃいます。
なんとか、大芋の「菊と雁」紋の由来と
森本家、山田家の歴史に迫りたいですね。
Posted by うさくま at 2016年03月05日 10:17
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