2015年11月28日

西脇で山城、家紋三昧

11月26日の神戸新聞に、
道路工事に伴う発掘調査が行われていた
西脇・黒田庄の山城跡の現地説明会が
土曜日に行われるという記事が掲載されていた。

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城跡は、調査が終われば道路と化し遺構は消滅するらいい。
これは行かねば!と西脇に出かけた。


遺構は、室町時代のころ一帯に関わった村上氏に係る城跡ともいわれ、何とか保存することはできなかったのだろうか?将来的にも残すべき遺跡ではなかったか !
西脇市の対応は、昨今の黒田氏発祥に関わる系図論争も含めて、首をひねるところが少なくない。ともあれ、現説に出かけてきた。
行ってみると、戦国倶楽部で知り合いのSさんと友人はじめ、藤原さん、竹内さん、木内さん、近松さんら山城仲間がいらっしゃっている。

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南方より城跡を見る

喜多・城山城は、主郭を中心に、帯曲輪が付属した小さな山城だが虎口の石段、土塁の内側に石積を施した遺構など、いろいろ妄想を掻き立てられる興味深い城跡であった。

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すごい人の波
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土塁内側の石積跡
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城跡から伝村上氏居館跡を見る
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城跡から出土した遺物群

来てはった藤原さん、木内さんらの独自の発想による解説は、現説の担当者の方のものより(当然)おもしろかった。驚いたのは、この小さな山城の現説に100人近い方が来られていたこと。
山城ブームはまだまだ続いていることを実感したことだった。

喜多・城山城の現地説明会が終わった後、せっかくなので藤原さんのガイドで近くにある大木城跡を攻略。大木城は野中城とも呼ばれ、伝承によれば黒田庄の黒田重勝の弟光氏が野中六郎を名乗って居住したといわれる。

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大木城主郭跡
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北尾根を遮断する堀切
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城友である三宅さんの手になる城跡概略図


せっかくなので家紋ウォッチ

村上氏に関わる山城跡の現地説明会に行く道すがら、
西脇市内の墓地をウォッチ、鹿野町の共同墓地では「蔦」紋だらけというなかに
芹生家の「上り藤に違い鷹羽」、千頭家の「下り藤に輪鼓」紋が目立った。

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また、現説が行われた喜多城山城跡より南方すぐのところにある
村上氏ゆかりの極楽寺の寺紋は「丸に上文字」、
寺院境内の村上家墓所の家紋も「丸に上文字」だった。ところが、
城跡近くの墓地にあった村上家の墓所の紋は、「隅立て井筒の上に違い鷹羽」、
「違い矢」「井桁に違い矢」「平井筒に違い矢」「隅立て井筒に違い矢」と、
井と矢を組み合わせたものが多かった。

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城跡南方すぐのところにある兵主神社の神紋は「五七の桐」
この神社は一帯を所領した村上氏ゆかりのものか?と思ったが
境内には黒田如水とのゆかりを記す看板が立っていた。
大河ドラマはあれやこれや、地域の歴史を引っ掻きまわすのだな〜。

posted by うさくま at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 山城探索
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