2015年06月26日

市河氏の草稿、綾部から甲冑

今日は年休をもらって、朝早くからパソコンの前に鎮座して、
信濃最北端の国人領主市河氏の草稿作成にチャレンジ。


20150626.jpg

昼過ぎ、雨にも関わらず約束通りに綾部から
久後さんとお仲間の方々が甲冑を持って来てくれはった、
鎧櫃から取り出した甲冑は程度もよく、佩楯もついた
中級クラスの武士が着用したと思われるもの。
伝来に関わる話が伝わっていないこと、
胴が紙(皮か?)を漆で塗り固めたようにも見え、
覚束ない知識で、甲冑についてあれこれ話させていたいた。
が、肝心の甲冑の写真撮るのを忘れてた。

20150626-2.jpg

台風のように来られて、あっという間に帰られた後
なんとか市河氏の草稿をアップ!とはいえ、
草稿アップの嬉しさも、甲冑の写真を撮り忘れたことで半減 (T_T)。

貴重な情報

Dr. takazawa
・私の親戚のときがわ町、市川家はこの子孫と考えています。
もっとも当の市川家は甲斐源氏と言い張っていますが(^^;

usakuma
発祥の地市河庄は甲斐源氏ゆかりの地ですから源氏を称したのでしょうか。志久見郷いまの栄村に拠った市河氏は藤原姓を称し「藤原姓市川氏系図」を伝えています。が、その系図は初期は中野氏のもの、戦国時代の部分から近世初頭に関しては疑問あり!というものです。あの「米府鹿子」では滋野姓・信州として三つ巴紋を記していますね。ま、市川という名字はありふれていますから源氏あり、藤原氏あり、滋野氏あり・・・といったところなのでしょうね、きっと。

Dr. takazawa
・『吾妻鏡』では市河左衛門尉祐光は伊豆の伊東や宇佐美と行動を共にして登場することが多く、また一族に「行」「祐」「光」の諱を多く使うようですからも工藤氏の族ではないかなぁと考えています。市河掃部助入道見西(高光)の妻が藤原氏ということで、中野五郎能成の娘だったのではと考えています。市河掃部助入道見西(高光)は信濃の国船山内青沼村・伊勢の国光吉名・甲斐の国市河屋敷を領していたようです。

usakuma
市河高光の妻が中野氏の女、興味深いですね。わたしも、中野氏と市河氏とは近い関係にあったと思っています。・・・が、それを確かめるすべがないのが残念です (^_^)

 
posted by うさくま at 16:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/162357076

この記事へのトラックバック