2015年06月21日

福与城主藤沢氏と格闘

外は雷雨、なにやらヒンヤリする一日になりそうだ。
今日は武田晴信を迎え撃った福与城主藤沢氏と格闘。

20150621.jpg

今日の藤沢氏の草稿で、124,000字越え。
ペンで書いていたらタコができていたかも ?_?  
パソコンは便利なツールだな〜!を実感です。


Facebookで貴重な情報が

Mr. takazawa
『吾妻鏡』には文治2年11月8日条に藤澤余一盛景が出てきて、諏訪大祝の訴えで「御気色を蒙る」「‥返す々々不当なり。」という文が出て、それ以後登場しません。
翌年には藤澤次郎清親(清近)が登場し、海野や望月らと並べられて登場しています。
その後は藤澤四郎、藤澤左近将監時親などが登場しますが、「親」の通字からも前藤澤は断絶して、相模藤澤氏が遺領を受け継いだのかなぁと思います。

usakuma
藤沢氏は諏訪氏の一族と思っていますが、おっしゃるように親を通字とする相模藤沢氏との関連は気になるところです。信濃史源考に掲載された系図を見ましてもいくつかの流れがガチャポンされているように見えます。実際、諏訪御符礼の古書に出てくる藤沢氏も大出あり、箕輪あり、もちろん発祥地である藤沢谷にも一族がいたことと思われます。系図の記述はまず信じられませんが、藤沢氏に限らず滅んだ家の歴史は分かりにくいです。
関東に住んでいたころ福与城を訪ねましたがなかなかの規模でした。いま行けばもっと楽しめただろうな〜と思いますが再訪したいですね。また、高遠城の近くにあった保科家の墓がある墓地に藤沢氏の墓を見つけましたが(と言っても現代の墓ですが)諏訪梶葉紋が刻まれていました。あのときに撮影した写真はどこへ行ったのだろう?ネガ時代の写真の保存・管理も難しいですね。


posted by うさくま at 16:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/162356923

この記事へのトラックバック