2015年03月15日

篠山家紋探索行ー細見氏を中心に

朝、相方を某所に送り届けたのち、
篠山北部の本郷から藤坂、筱見方面の墓地紋をウォッチ!

本郷には篠山の中世領主の一人であった細見氏の山城が残り
子孫が開いたという菩提寺だという松隣寺も残っている。
そして、一帯は細見さんが集中するところで、
歴史探訪、家紋探索に何度か訪れたところでもある。

「丸の内に半菊と三つ星」で統一された細見家の墓地で家紋を撮影していると、傍の畑で野良仕事をしているおじいさんに気づいて声をかけると果たして細見さんであった。
細見家の家紋の由来を尋ねると「半菊に三つ星」で、菊は天皇家の十六菊の半分をもらったのだと。となれば「半菊の花弁は八つが正しいものですね?」と聞くと、墓石屋がいい加減に彫ったものが多くて出来上がった墓石に文句を言いにくいからそのままになっているんだ、とおっしゃる。おじいさんのお話しを額面通りに受け取ることはできないが、なかなか面白いお話しを聞かせていただいた。

さて、墓地を辞したあと細見家の菩提寺松隣寺にも訪問細見家の墓紋をウオッチ、こちらは「三つ星」の墓石が並ぶ。
以前にも考察したが、丹波細見氏の場合、菩提寺の一角にある細見家の家紋が主流であろうと思われ、半菊を組み合わせたものは支流で、さらに菊の花弁数でさらに本支をあらわしたものと考えている。そして、菊の花弁八つが基本でさらに七弁、九弁のものが派生したようだ。

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上段は本郷の墓地、中断左二つは松隣寺、中断右は筱見の墓地

つぎの筱見に分布している細見家の墓石群は、細見の一字を取った「細の角字」で統一されていたのであった。さらに、城下町の寺院墓地を訪ねると「三つ柏」「半菊に三つ星」「笹竜胆」などを用いる細見家があった。
家紋の場合、町と村の差がある。すなわち村の場合は集落まとめ同じ紋であることが多いが、町の場合は出身地により家紋が異なっているものが一つの寺院に集合しているケースが多い。また、村社会に属していないことから、家紋を変えたという例も少なくない。今日の細見家の家紋からは村の家紋と、町の家紋とが成立する背景が見えて実に面白かった。

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城下町の寺院にある細見家の墓石に刻まれた家紋

細見さんの家紋を楽しんだあとは、本日のメーンミッションであるディスカバーささやまガイドに出役である。
予定は尾道から来篠いただいたみなさんを大先輩の石塚さんと組んで、篠山城を中心に城下町のガイドに務めるというものだった。待合せ場所でみなさんと落ち合うと、すでに出来上がっている人が多く「ありゃ〜」って感じだったが、ともあれ城下町散策にスタートした。

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篠山城二の丸をガイドする

はじめは二つのグループに分かる予定だったが、添乗員さんの一緒に行動したいという要望に応えてガイドは石塚さんに任せて、最後尾でトラブルシューティングを担当した
ほどよく酔われたみなさんはあっちへふらふら、こっちでわいわい、なかなか手こずらせてくださった。さらに、途中、気分が悪くなられた方が出て、バスまで送り届けるという一幕もあった
ガイドは16:00までということだったが、早めに切り上げたいという希望があり、お徒士町散策は割愛、ほろ酔い城下蔵まで案内したところで15:30、ガイド役は御免となった。なんといおうか、ガイドらしいガイドの出番はなかったが、無事に終わってヨカッタ!ヨカッタ!

さて、せっかく城下町にいることでもあるし、寺院墓地をウォッチすることにした。
ターゲットに選んだのは観音寺と小林寺、いずれも旧篠山藩士にゆかりの家々の墓所がある寺院で、古い墓石もたくさん残っている。すでに何度か訪れたところだが、見落としていたり、撮影していなかったりした墓もあり、ついつい日暮れまで墓地を徘徊してしまった。いや〜、古い墓地は面白い!
posted by うさくま at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋
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