2014年07月12日

丹後行。一色氏の吉原山城に登る

台風の被害もなく、今日は快晴。
相方の宮津行きにくっついて丹後の山城へ。

IMG_4988.jpg
与謝天橋立ICを目指して走る、将来は豊岡から鳥取まで通じるらしい

丹後は室町幕府の四職家の一に数えられた一色氏が守護に任じたが、
一色氏は将軍の謀略にあって勢力を後退。
戦国末期、織田信長から支配をまかされた細川幽斎は、
一色氏に娘を嫁がせるなど協調路線をとったが、本能寺の変後、
謀略を弄して一色氏を斃し一国支配を果たした。

一色氏の本拠は丹後府中にあり、天橋立を見下ろす山上に今熊野城を構えていた。そして、丹後の要所に重臣、国衆らが築いた山城群が残っている。
今日のターゲットは一色氏領国における拠点城郭二つ。一家衆の吉原氏が拠った峰山の吉原山城と重臣石川氏が拠ったという与謝加悦の安良山城(加悦城)。いずれも、細川氏が一色氏を滅ぼしたのち、細川氏によって改修された山城で、両城が丹後における要所を押さえていたことがわかる。

IMG_4996.jpg
案内看板に描かれている概略図

まず、吉原山城。登山前に城下のスーパーで飲み物と昼ごはん、相方のゴム長をゲット。かつては丹後ちりめんで栄えた峰山の町だが、店内にお年寄りが多いのをみて過疎を感じさせられた。
城址への登り口は、江戸時代峰山一万石の大名、京極氏の陣屋跡が目印となる。一帯は公園として整備され、案内板、パンフレットなども配備されている。そして、城跡中腹まで自動車で登ることもできるのだ。
われわれは公民館のグランド片隅に車を停めさせてもらい、「大手道」だったという登山道から城址へと踏み込んだ。道はよく整備されていて迷うところもなく、東南端の曲輪へアッサリと登り着いた。

IMG_4998.jpg IMG_5005.jpg
峰山陣屋跡かたわらの山道を登る  整備された山道

そこから稜線にそって曲輪が連なり、大堀切を越え、見上げる高さの切岸を登り、主郭部の北側を捲くように山道が続く。

IMG_5015.jpg IMG_5021.jpg
曲輪切岸と横堀    東尾根曲輪と主郭部を遮断する大堀切
IMG_5028.jpg
大堀切を主郭側より見下ろす

やがて、主郭北部を固める三の丸と主郭を分かつ横堀、三の丸は中央に櫓台とそれを取り巻く帯曲輪、さらに北西尾根に曲輪を構えている。櫓台に立つと、はるか北方に丹後の海が陽光にきらめき素晴らしい眺望だ。

IMG_5051.jpg IMG_5061.jpg
三の丸曲輪へ         三の丸と主郭(右手)とを分かつ横堀
IMG_5070.jpg
三の丸から丹後の海を眺望

三の丸から主郭の切岸を横目に進んでいくと前方に二の丸の切岸があらわれ、左手は大堀切で遮断されている。

IMG_5077.jpg IMG_5082.jpg
二の丸と主郭を分断する大堀切   大堀切越しに二の丸を見る
大堀切を見下ろしながら急斜面を捲いていくと、金峰神社が鎮座する主郭へと至る。主郭の周囲は歴史を感じさせる大木が多く、眺望は利かないが吹く風が汗だらけの身体に心地よい。

IMG_5084.jpg
主郭。金峰神社の社殿が往時の館のスケールとなってくれる

金峰神社で昼食をとったのち、城址最大の広さを有する二の丸、二の丸より南に伸びた尾根曲輪群を探る。それぞれの曲輪は広く、切岸も明確である。

IMG_5094.jpg IMG_5118.jpg
広い二の丸、奥の高みは櫓台らしい  二の丸の南尾根曲輪群
IMG_5125.jpg
大堀切を下方より見上げる
ふたたび主郭部に戻り、主郭の南に伸びる谷筋を固める曲輪群を歩く。曲輪はキレイに削平され土塁も認められる、さらに塹壕状の横堀、大堀切と続き、広い善明砦に至る。

IMG_5136.jpg IMG_5143.jpg
主郭部南腰曲輪、切岸が高い    塹壕状の横堀

主郭南の谷筋を歩くと、道幅も広く曲輪群は谷筋を防御するように配置されていることが実感された。まず、こちらのルートが大手道だったのではなかろうか。

IMG_5145.jpg IMG_5156.jpg
善明砦の切岸と堀切状の地形    大手道であろうか広い登り道
ともあれ、吉原山城は規模の大きな山城であった。いわゆる土の城だが、曲輪群を区画する切岸が石垣に覆われていたならば近世城郭そのものだ。
下山は主郭南の帯曲輪を経て、大堀切から斜面を下っていった。すると尾根尾根に小曲輪が構えられ、水場らしき谷もあった。あらかじめ入手していた縄張り図には掲載されていない遺構群で、山城は登れば登るほど新たな発見があるということが実感されたのだった。
IMG_5164.jpg IMG_5165.jpg 
主郭部南斜面の広い腰曲輪、高い切岸  虎口を兼ねた(?)竪堀
吉原山城は、一色吉原氏が滅亡したのち細川忠興の弟興元が城主となった。いま残っている遺構が一色吉原氏時代のものなのか、興元によって改修されたものなのかはよく分からない。しかし、主郭から二の丸、善明寺砦へと続く遺構群は、興元期に改修されたものではなかろうか、と思われた。このようなことを妄想するのも山城歩きの楽しさだ。

●有吉城(安良山城)へ
posted by うさくま at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹後の山城
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/101892485

この記事へのトラックバック