2017年06月30日

2日目・館、城三昧

二日目は、蝦夷管領とも蝦夷守護ともいわれた安東氏の一族・下国氏が拠った茂別館からスタート。茂辺地川を外堀にした小丘にあり、主郭部には矢不来天満宮が鎮座している。周囲は土塁が取り巻き、城粋の東部から北部は自然の切岸が要害性を高めている。コシャマインの乱では、館が相次いで落ちる中でよく落城をまぬかれた。

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素晴らしい好天の下、白神岬経由で松前町へと移動。最初の目的地は、武田信広の孫・義広が拠ったという松前大館。のちに松前城を築くまで、武田蠣崎氏の本拠として機能した。『図説中世城郭事典』の縄張り図によれば土塁・空堀などおおいに興味をそそられていた。が、実際に来てみると生い茂る雑木林、そばにあった郷土資料館で状況をうかがうと、熊も生息していることでもあり入山禁止とのことであった。山麓に鎮座する徳山大神宮の傍らにはゴローニンの幽閉された牢跡があるらしいが割愛した。

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徳山大神宮、左手の山が大館

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ということで、松前城に移動、松前城は二度目の訪問、以前にはなかった城門や城壁などが復元され面目を一新していた。復興天主は相変わらずだが、以前には見落としていた土塁や空堀など見所も多い。ぶらぶらと松前城北方の寺町に足を伸ばし、松前藩士のものと思われる墓石をウォッチ、松前藩主家の墓所も訪ねる。古い墓地は荒れ気味の感はあるが、下国家、蠣崎家の墓石などなど総じてよく残っているなと思われた。小林家の歴史を尋ねた資料館の学芸員の方が、うれしいことにみずから案内をしてくださり、思いがけず松前城下の墓石ウォッチを堪能できたことだった。

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重職松前家の家紋              重職下国家の家紋

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松前藩主家の墓所              重職蠣崎家の墓所

松前の次は今日の宿泊地である上ノ国に残る勝山館。公園として整備されていることは知っていたが、実際に訪ねてみるとまるで分譲地のように往時の武家屋敷の区画が連なり、説明板もアカデミックな内容である。城域は南北を谷川に囲まれた高地を占有し、海側に二重の堀切、北側も竪堀を伴った堀切で遮断している。勝山館で特徴的なのは、城域の北方斜面にアイヌの人々、松前氏やその一族らのものも含む中世募跡が広がっていることだ。言ってみればひとつの町がそのまま営まれていたところ、それが勝山館の印象であった。
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下山したころには夕暮れが迫っていたが、登山口の上国寺・境内墓地をウォッチ。これという珍しい家紋はなかったが、墓石に屋号を彫っているのが印象に残った。

posted by うさくま at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2017年06月29日

北海道の旅、まずは函館から

孝行息子の心尽しで四泊五日北海道の旅、大阪空港より函館空港へ出発。

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初日は、函館空港で車をレンタル。最初の訪問地は空港すぐ近くにある志苔館。道南十二館の一つで小林良景が拠ったといい、コシャマインの乱で陥落したという館。土塁で囲繞された主郭を主体として、二重堀切が特徴的。南側には津軽海峡の海、その向こうに函館山が見える立地は、要害性はともかくよい景色であった。
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昼食は函館朝市で海鮮三色丼を喰らい、すぐ近くにある青函連絡船記念館摩周丸を見学。いまは鉄路で繋がった北海道と本州だが、かつては連絡船が数々の歴史を刻んできたのであった。

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チョッと感傷的になったあとは五稜郭へ移動、ずっと昔、仕事の延長で訪れて以来の再訪である。当時は仕事絡みだったこともありショボかった記憶があったが、今回、ジックリ歩いてみて、外堀、内堀、石垣、土塁、空堀などなど実に面白かった。もっとも、城塞としての評価は低いが、城郭遺構としてはガッツリ堪能できたことだった。

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最後は、お約束の函館山登山。自動車道を利用すれば、アッサリと登りつける。頂上からの展望は素晴らしいもので、眼下に函館の街並み、津軽海峡越しに本州北端の町大町が見える。本来ならば夜景を楽しむところなのだろうが、太陽の下の眺望も十分に満足できるものだった。

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posted by うさくま at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2017年06月24日

木津城整備、第三ラウンド

丹波は晴れ。月一で実施している丹波木津城の整備作業に出動!今日のメンバーは四人、予定作業部分は西尾根曲輪群。
木津城址を歩くと、下見登山に来たときに比べて城址遺構も見やすくなり。格段に歩きやすくなった。山城整備は、擬似築城体験でもあり、木津城跡もどんどん城らしくなってきたといえそうだ。

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主郭、南西に位置する帯曲輪もスッキリ

T先輩たちが西尾根曲輪の土塁あたりを整備さているのを横目に、前から気になっていた主郭西方の横堀から竪堀に続く部分の木々伐採に精を出した。整備作業が進んだとはいえ、実際に作業をやってみると未だ道遠しではある。

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横堀

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西尾根曲輪群、雑木が茂る

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木々の伐採で土塁と曲輪が明確に

可能ならば、建物を設けられるぐらいに木々を伐採、当時、見えていたであろう眺望を取り戻したいものだが、それは遣り過ぎというものだ。昨今の山城整備が木々をバッサリ切り払ってしまって禿山状態にして、返って城址を損ねていることが多い。それらの失敗を他山の石とし、山の雰囲気を残しながら程のよい伐採作業を進める、それが重要なのだ。

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横堀も程よく雑木を残してスッキリ

西尾根曲輪群の木々を伐採すると、谷筋を隔てた西方に聳える清水寺のある山が間近となった。もっと木を伐れば、もっと見やすくなるのだろうが、ここも遣り過ぎには注意というところで我慢。

image3.JPG ダニ

今日も厳しい暑さの中、汗だくでの作業となった。ということで七月と八月は作業を行わず、次は九月に実施るつこととなった。帰って、ビールを飲んでシャワーを浴びる。ふと何かが付着しているな?と見るとダニにやられていた。やはり、夏の整備作業はいろいろと厭な奴らが登場してくることだ。
posted by うさくま at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城

2017年06月23日

西尾会長と八上・奥谷を歩く

早い夏休みを一日もらって、山名城保会・西尾会長をアテンドするかたちで八上城と奥谷城の遺構調査に汗を流しました。
会長いわく、丹波に残る石垣のある山城に係る講座依頼が予定されているとのことで、先日ご一緒した金山登山を含め、山南町の岩尾城、春日町の黒井城などに登られてきたそうだ。
八上城と奥谷城は、この十二月にウォーキングイベントでのガイド登山が予定されていることもあって、会長との登山はおおいに勉強になった。とくに、主郭部本丸の虎口のあり方、石積のこと、そして馬駆場の竪堀が谷川に落されている意味などは今日の成果となった。

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奥谷城に関しても、登り口の枡形虎口、南端部の竪堀、主郭部の折れをもった虎口と櫓台であろう土塁、そして、竪堀の考察などなど、こちらも大いに勉強させていただいた。

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posted by うさくま at 09:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城

2017年06月18日

此隅山城整備作業に混ざって一汗

久しぶりに但馬に遠征して、山名氏城跡保存会による此隅山城整備作業に混ざって一汗かいた。整備作業は主郭部周辺に生い茂る雑草と雑木・篠の伐採に注力。今年は草刈り機携行の方が多く、スピーディな作業となった。

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作業前

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スッキリ

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参加者そろって記念撮影

作業後、恒例の出石そばを食し、帰路、城址を振り返って見ると、遠すぎたからでもあろうか折角の整備作業の成果が実感されなかったのが残念。つぎは、九月に予定されている有子山城整備に汗を流す予定。

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(此隅山城整備作業を一緒した人の返信によれば、近くから見ると主郭部は作業成果が見て取れたとの事)
posted by うさくま at 11:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 山名氏城跡保存会

2017年06月17日

淀山城整備作業に出動

丹波篠山は淀山城整備作業。東の池側の竹林に新しい登山道を開き、竪堀・横堀・塹壕状の遺構の竹・雑木を伐採。

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くぼんだあたりの曲輪群で作業

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竹林の伐採は思いの他、危険が伴うため、一人離れて東尾根の横堀と塹壕状遺構の整備に精を出した。

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作業後、淀山城の池越しに東山城を見る

山城の整備作業は、灌木・雑木を切ることでのストレス発散、木々を伐採することで疑似山城築造体験。この二点が醍醐味。加えて、いい肉体労働にもなりやめられない。


デカンショ館で講座を聴く

淀山城整備で汗だくになった身体をシャワーでサッパリとし、昼食をいただいたあと、青山歴史村・デカンショ館で催された「日本遺産認定記念講演シリーズ(第4回) 篠山城大書院復元について」を聴講。

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講師は歴史美術館の学芸員アドバイザーであり、篠山市の文化財審議委員をつとめ、身を挺して地元の村おこしに活躍をされている今井進氏。氏は教育委員会時代に大書院復元の中心人物として尽力された経歴の持ち主でもある。講座はおもしろくないはずがなく、実に楽しい時間を過ごすくことができた。
posted by うさくま at 11:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城

2017年06月03日

置塩古城(城の段)に登る

今日の天気は概ね晴。昨年来、神河町の友人と計画していた置塩古城(439.7pt 谷山三角点 香寺町側では「城の段(しろんだ)」と呼ばれているらしい)登山を決行。ルートは、年初に下見がてら訪れていた香寺町相坂の秘境ともいえる谷山集落よりチャレンジ。改めて地元の方に状況を聞くと山道はないとのこと。とはいえ、城の段のある山ははるかに見えている。まずはあそこを目指そうと山道を登りはじめた。

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置塩古城(城の段)が位置する山を見る、遠い〜

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道なき斜面を尾根へ

山道はやがて消失、GPSマップを見ながら城の段から伸びる尾根筋に取り付き、そこから一気に城址のある山上を目指した。途中、崩れやすい、かつ滑りやすい岩場を踏み越え、城の段こと置塩古城の南曲輪に攻め込んだ。

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城址は倒木、杉の枝などが散乱しているが、土塁、切岸、井戸跡であろう水場など見どころは少なくない。段状に連なる曲輪を踏み越え、登りついた山上部は数段の曲輪に区画され、東端部は土塁が取り巻き、その先の尾根は岩場をガッツリ掘り割った堀切で防御されている。

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戦国末期、恒屋城主の恒屋氏が置塩赤松氏を夜襲したが失敗討死したというが、恒屋氏を迎撃したのはこの城の段だったのではなかろうか。

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一部bに石積跡

城の段こと置塩古城は全体的に大味で古さを感じさせるところで、伝にもあるが山岳寺院を山城に転用、あるいは併存していたのかも知れない。ともあれ、いかにもダニの巣窟を思わせるところである。ネットの情報によれば、東尾根先より置塩城が見えるとのことだったが、生い茂る木々に遮られて眺望はほとんどなかった。
 
谷山集落から城の段まで約1時間40分の山登りであったことを思えば、置塩城からのルートが大手道と思われ、谷山側は搦め手であったのだろうか?。実際、城の段に登ってみて置塩城からも乗ってきてみたいものと思った。この秋ごろに実現したいと思うが、どうだろう。

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下山したのち、近くにある天台宗の古刹・八葉寺に立ち寄ることに。車幅いっぱいいっぱいの相坂トンネルを抜け、山道を登る、寂び寂びとした境内に到着。境内はシダ植物の宝庫ということて、植物に造形の深い友人にあれこれ教示をいただいた。いつも思うことだが、植物や樹木、野鳥などに詳しい人がうらやましい。

posted by うさくま at 12:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 播磨の山城