2016年09月25日

丹波荒木城を戦国倶楽部有志で整備

丹波荒木城を戦国倶楽部有志で整備中! 午前の部、あまりのハードさに倒れそうになった(≧∇≦) 昼休憩で体力も回復、さて、昼の部の作業開始だ!


完璧にとまではいきませんでしたが、なんとか見られるようにはなったかと。あと、1〜2回汗を流すと、ほぼいい感じになるな〜と思ってます。

posted by うさくま at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城

春日町で家紋探索

2016.09.2425



夏以来、ず〜っと続けている旧丹波国氷上郡(現丹波市)に存在した荘園ごとの家紋ウォッチ。柏原町域の一部を残しながら、春日町域に踏み込んだ。
まずは、春日町の西部に位置する船木荘。船木荘は戦国時代の丹波に勢力を張った荻野赤井直正が拠った黒井城の西方に広がる地域で、赤松春日部流が所領とした春日部荘に包含されたともされるところ。
山南町域・氷上町域に多かった「鷹羽」「酢漿草」紋に代わって、「五本骨扇」「二つ引き両」が多数派となっている。これは青垣町の足立氏、春日町の荻野氏の残滓といえば失礼か・・・。ともあれ、黒井城下には足立さんと荻野さんが多いのである。加えて、毎度のごとく「おおお、お〜〜っ」と目を見張るような家紋に出会わないのも田舎ぶりというものだろう。


新才集落の荻野氏も「二つ引両」

近藤氏の墓石にはお約束の「抱き鹿角」

丹波に多い善積(吉住)さんは「九曜」


荻野氏が拠った朝日城跡近くの「二つ引両」で統一された荻野株の墓地。引両の丸に付く、離れるは、深い意味はなく恣意的なものというのがよく分かる墓石群だった。

朝日城跡北側の少林寺墓地は岸部氏の「九曜」一色! お参りしている人に聞くと、そもそもは荻野氏と同族関係だったとか。そう言われると古い墓石には荻野何某と彫られているものも。

船木荘北西の牛河内集落の足立株、「五本骨と酢漿草」の組み合わせがズラリ。が、古墓には酢漿草、剣酢漿草が彫られているということは・・・。

墓石の傍らの霊標を見ると、中世の代々のものであろう名前が彫られていた。なにやらここ荻野株の墓地が本家のものであるような?
posted by うさくま at 10:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋

2016年09月24日

「丹波学」『丹波を形作ったもの』第二講

平成28年度講座「丹波学」『丹波を形作ったもの』第二講『大坂の陣と真田丸』講師:渡邊大門氏。

もうすぐ終わりというところで、聴講者の方が急病で倒れるというアクシデントがあり、大門さん気の毒なことになりました。

今日の「丹波学」に限らず、講座やイベントの参加者はお年寄り(わたしは若い方です (*_*; )が大半ですから、今日のようなことは往々にして起こりうることで文字通りの高齢社会を実感したことでした。

posted by うさくま at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 聴講録

2016年09月22日

『王地山café 』に出動

丹波篠山 まちなみアートフェステイバル 開催中! 王地山陶器所の前庭で フェスティバル期間限定オープンしている『王地山café 』に出動しています。丹波青磁 王地山焼 の作品を愛で、café でくつろいでください。

まちなみアートフェスティバルの「 王地山café 」の店番担当終了! でも、café 25日までオープンしてますので、寄ってみてください。

posted by うさくま at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年09月18日

篠山の日本遺産をめぐるウォーキングツアー

台風の影響で、今日の丹波篠山は雨模様。予定通り、「篠山の日本遺産をめぐるウォーキングツアー」に出動です。なんとか天気が落ち着いていてくれぃ!と願う。



ウォーキング速報【1】 福住の町をウォーキング。


ウォーキング速報【2】 集落丸山のウォーキングを終え、次の目的地「大山・西尾家」へ。


ウォーキング速報【3】 西尾家を辞去、無事、イベント終了!

posted by うさくま at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山歩き

2016年09月17日

王地山café もOpen

篠山まちなみアートフェスティバル2016 スタート! 王地山café Open しました
posted by うさくま at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

大山の旧家・西尾家を訪ねる

ウォーキングの下打ち合わせで篠山の伝説的俳人 西尾武陵 の

後裔にあたる大山の西尾家を訪ねた。

西尾家はむかし神田神社の祭礼のときにお邪魔して以来

もう何年ぶりかのことになる。

一人で旧家を守っておられる刀自ともずいぶんのご無沙汰で

久闊を確かめ合い、打ち合わせをさせていただいた。


打ち合わせの終わったあと、かねてより気になっていた

西尾家の墓所を案内いただいた。


0917_nisio1.jpg



0917_nisio2.jpg


家紋は大名西尾家と同じ「櫛松」、同族?

と思ったものの系譜関係まではわからなかった。

墓所は山中にあることもあって藪蚊がすごい

ジックリ拝見したかったが連れもあることとて退散した。


明日、西尾家を含む篠山の日本遺産をめぐるウォーキングの

裏方&ガイドサポートで出動します。

posted by うさくま at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2016年09月12日

マゴゲンchan の宮詣りの着物

マゴゲンchan の宮詣りの着物ができてきた。家紋は娘の嫁ぎ先の下り藤紋。

篠山城下町の「三国屋」さんで作った。

posted by うさくま at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年09月11日

旧氷上郡南部の墓地をさすらう

今日も勢いで旧氷上郡の山南町から柏原町にかけての墓地探索を決行。遮るもののない墓地は暑さは一入だが、彼岸花が咲きはじめるなど秋の気配も感じられる頃となった。
最近の傾向として、古い墓地は整理されて新しい霊園化が進み、彫られた家紋は概ねオーソドックスなものがほとんどで、サンプル通りに機械で仕上げられた家紋はなにやら素っ気ない。そのようななかでピラミッド状に集められた古い墓石に彫られた家紋の、手作り感たっぷりで稚拙さを漂わせる味わい深さは格別だ。


この夏、地味に調査を続けてきた旧氷上郡の山南町と氷上町の荘園ごとの家紋分布図を作ってみた。「違い鷹羽」と「矢(違い矢・並び矢)」が群を抜いて多く分布も広い。ついで「五本骨扇」と「二つ引」が多いのは中世の勢力分布を伝えているようだ。
名字と家紋が一体化しているものとしては、氷上町全体的には足立家の「扇」、葛野荘域の三方家の「三つ引両」本庄家の「揚羽蝶」、御油荘域の芦田家の「三つ雁」、由良荘域の由良家の「地紙」、沼貫荘域の山本家の「三つ星」田野家の「並び矢」、石生荘域の吉住家の「九曜」と岡林家の「鎧蝶」、そして栗作荘の久下家の「一文字に鷹羽」永井家の「唐梨」があげられようか。


総じて「おっ」と目を見張るような変った紋は少なく、菱紋・桔梗紋・曜星紋・巴紋が少数派というのもこの地域の特徴といえそうだ。引き続いて、柏原町、市島町、青垣町の調査を続ける予定だが・・、さて。

posted by うさくま at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋

2016年09月10日

「丹波学」第一講

平成28年度講座「丹波学」第一講『丹波を形作ったもの』講師:野田泰三氏、スタート。

posted by うさくま at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 聴講録

2016年09月08日

おもゼミ取材、狩野常信筆という襖絵を拝見

おもゼミの取材で福住界隈を歩く。

市内の某寺にお邪魔して、狩野常信筆という襖絵を拝見した。狩野常信は狩野永徳の曾孫にあたる人物で、将軍徳川綱吉時代の人。お寺の歴史と照らしあわせれば、時代的には「然もありなん」というところだ。
襖は四枚仕立てで絵には「狩野法橋常信筆(判)」の署名・押印があるが、絵・書ともに素人目にもちょっと「?首をひねる」拙さがある。ネットで常信の絵や署名、壺印などを見ても、絵の品・書風がやはり拙いような、加えて常信は「法橋」ではなく法印・法眼には叙せられており、判もまったく違うものだ。
果たして、常信の真筆になるものか?・・・・、どう返答したものか、弱った(+_+)

posted by うさくま at 23:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2016年09月05日

綾部市山家の史談会の勉強会にお邪魔する

綾部市山家の史談会の勉強会にお邪魔して、いろいろお話を聞かせていただいた。今日一番の眼福は上洛した織田信長が何鹿郡物部を領した国人上原物部氏に知行安堵した書状、信長の署名と天下布武の朱印を目の当たりにした。それと、木坂城が細川晴国にゆかりの城であるとの話を郷土史家の川端先生から拝聴、心にひかかっていた疑問が解けたのであった。


文書は、「 丹州本知並に丹後国在治郷上下寺社本所付諸奉公方任御下知之旨不可有相違之状如件 十月十四日 信長 朱印 上原右衛門少輔殿 」と書かれています。永禄十一年、義昭を奉じて上洛した時、誼を通じてきた上原氏に知行安堵したもの。この後、丹波国人衆の離反に苦しむとは、信長も思っていなかったのでは。そういうことを感じさせる古文書でした。

posted by うさくま at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2016年09月04日

DSG、京都からの若者たちをガイド

今日は久しぶりのディスカバーガイドに出役、京都から来はった町やが専門という工務店さんの研修旅行をガイド。心配していた天気は暑いくらいの好天、「建物を見たい」という流石な要望に些か緊張しつつガイドスタートした。いただいたスケジュールに沿って
大書院 →武家屋敷・安間家住宅 →河原町妻入商家群
をご案内。内心身構えていた建物、街並みなどに対する鋭い質問もなく、なんとか無事に和気藹々にガイドを終えることができた。ゆったりと構えてガイドできる日は、未だ遠し!を痛感 ^^;

posted by うさくま at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記