2016年08月30日

波多野秀治の文書と出会う

十月に予定されている「おもゼミ」の下調べのため、篠山市東部地域を巡ってきた。今日の最高の成果は、某神社(あえて神社名を秘す)で拝見した波多野秀治公の花押が書かれた文書。秀治公の筆跡・花押を知らないわたしには文書そのものの真贋は分からないが、内容・紙質に加えて郷土の歴史研究会の折紙付のもの。何故?市の文化財指定を受けていないのか?まことにもって疑問というしかない。
氏子の家に伝来したものが戦後の間もないころに献納されたものという、おそらく本物と思われ眼福をさせていただいた。篠山市も知っている文書と思われるだけに、何故、ホッタラカサレているのか!市の文化財に対する認識が疑われるのである。

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2016年08月27日

次女が相方とノルウェーに発った。

北欧に旅立つ娘夫婦を送って尼崎へ、

リムジンバスで関空、そしてノルウェーへと発った。


おったらおったで嵩高かったが

いなくなったらなったでさびしいものだ。


これまで、相方の都合で出たり帰ったりしていたが

今度は相方もノルウェーに腰を据えるようだ

おそらく、もう一緒に暮らすこともないだろう。

また、そうあってほしいものだ。


見送ったあと、尼崎易近くに大黒屋を見つけ

軽く飲み食いして篠山へと帰っていった。

尼の大黒屋、なんだかメニューも少なく

料理もしょぼかったような・・・


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2016年08月26日

娘夫婦と雨中のバーベキュー

今日は娘夫婦と雨中のバーベキュー、この春に買った「大丸1の輪」を開けた。冷蔵していなかったせいか、発酵が進んだようで白濁してドブロクのよう。味もシュワッとして、ドブロクティストかな・・・、でも美味い (^^)

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2016年08月20日

戦国同人M氏と綾部の山城をめぐる

戦国同人のM氏の発案で、炎天が予想されるなか綾部の山城攻めを強行。
M氏がリストアップされた攻城先は、小西城・小畑城・丸山城・大畠城・物部城・木坂城・八田城・沼ケ谷城・瀬尾谷城・姥ケ城の十城、すべてを制覇できるかどうか?
ともあれ、小西城を皮切りに城攻めを開始、小畑城・丸山城・大畠城・物部城・木坂城と転戦した。午前中の城攻めは夜明け前に降った雨で湿気がすごく、昼前からはガンガン照り付ける陽射しに難儀したが、なんとか、無事、ダニの攻撃や熱中症にやあれることもなく六城を攻略して今日の城攻めを終えた。


山城をマッピング 

小西城・主郭部西端の堀切

主郭部土塁と虎口

主郭切岸と南側腰曲輪

東腰曲輪と切岸

北尾根の出曲輪

小畑城南曲輪のお稲荷さん(後方、主郭切岸)

北尾根の堀切

堀切とさらに土塁

丸山城(単郭の館城)・竹藪の向こうに切岸が見えた

主郭北側の土塁

北尾根の大堀切

大畠城(二郭一城)・西側曲輪東端の土橋を伴った堀切

西側曲輪を東西に区画する堀切

東曲輪の切岸、灌木がすごい

東端の土橋付堀切

物部城・大竪堀

主郭の櫓台の木々が伐採されていた(放送施設を設置したようで、その他の部分は木々、竹の生い茂った状態のままだった)

主郭切岸と西の腰曲輪

西の腰曲輪北端の土塁(竹やぶがすごくて分かりにくい)

北西端に設けられた堀切状遺構

木坂城 道なき尾根を登ると出曲輪の切岸

主郭南西部切岸

折れをもった主郭虎口

主郭北端の横堀で囲繞された櫓台(とはいうものの何とも謎の遺構だ)

北曲輪から主郭切岸を見る

posted by うさくま at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2016年08月15日

歴史民俗誌 Sala 60 号が、届いた。

歴史民俗誌 Sala 60 号が、届いた。60号記念誌ということで100ページをこえるボリュームだ。

posted by うさくま at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年08月13日

旧丹波国葛野庄に家紋を訪ねる

盆前の暑い中、懲りもせず11日に引き続いて旧丹波国葛野庄域の家紋ウォッチ。葛野庄の総社であったという古社・内尾神社近くの墓地には、久下家の「違い鷹羽」と本庄家の「揚羽蝶」、赤對家の「橘」、十倉家の「違い鷹羽」。

久下氏は栗作庄の地頭、本庄氏は葛野庄の領家方・下司であったことが知られ、それぞれゆかりの家であろう。本庄氏が本拠にしたという上新庄の墓地には本庄氏の祖という平右馬頭忠正・平治正家・平三正景の立派な宝篋印塔が祀られ本庄家の墓石が林立、そのいずれにも「揚羽蝶」が刻まれていた。そして、本庄氏と争ったという地頭・荻野氏の流れをくむのであろう荻野家の墓には「二引両」。


葛野庄内の古刹で「丹波の正倉院」ともよばれる達身寺の墓地には、足立家の「五本骨扇」、長久家の「細井に鷹羽」、大前家の「大文字」、寶子家の「違い鷹羽」。成松の古い墓地では田中家の「角違い」、荻野家の「二引両」、久下家の「並び扇」。

となりの柿柴墓地では足立家のさまざまな「扇(五本骨扇・三つ扇・上り藤に扇)」、安孫子家が「三つ扇」。その西方の古い墓地では、采女家の「抱き鷹羽に一文字」。高山寺西方の賀茂の墓地では、足立家の「五本骨扇」、藪内家・谷水家の「違い鷹羽」、九合家の「五本骨扇」などの名字と家紋が目についた。
総じて平凡な家紋が多かったが、足立家と久下家の分布、平家を称する本庄家の家紋、荻野家、芦田(蘆田・葦田)家、稲継(稲次)家など古そうな名字と家紋が一帯に伝来している。そして山南町の栗作庄から氷上町南部の沼貫庄と同様に「鷹の羽」の多さ、丹波氷上郡の内・氷上町は鷹羽が代表紋といえそうだ。


久下家の鷹羽紋、同じ墓地内の土倉家・道本家・堂本家・石倉家も鷹羽紋

本庄家の祖を祀る宝篋印塔

本庄家の丸に揚羽蝶

五瓜に揚羽蝶

六角に揚羽蝶、庄域の他地区でも本庄家の家紋は揚羽蝶

達身寺の蓮花

大前家の大文字、大胆かつ微妙に書体が違う

長久家の細井に鷹羽

かつて仁木氏、本庄氏らが城塞を構え、中腹に高山寺跡が残る弘浪山

足立家の三つ扇、もちろん多数派は五本骨扇

上り藤に扇

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2016年08月06日

かつての丹波国沼貫荘域で家紋ウォッチ

山南町北西部に接する氷上町域は、中世、沼貫荘域で久下時重が足利尊氏から充行われたところ。戦国時代、久下氏が衰退の色を見せると、北から赤井氏、南から和田氏が勢力を及ぼした。「矢」紋が突出して多かったのは、隣接する山南町域(かつての井原荘)ど同様に久下氏の「鷹羽」から転じたものであろうか、と妄想したことだった。また、古い墓石が多く残っていて、むかしながらの家紋に出会えたのは炎天下ながら何となく癒されたかも。

地域独特のものと思われる名字は、廣瀬・横谷・梅津・戸倉・本庄・田野さんで、横谷・梅津・廣瀬・田野さんは「矢」紋を主体に「抱き沢瀉」、「鷹羽」など、戸倉さんは「五本骨扇に「抱き沢瀉」」、そして、本庄さんは「三つ菱」で統一されていた。山南町に多かった「カタバミ」はわずか一例、「木瓜」「巴」「藤」紋は皆無であった。

posted by うさくま at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋

炎天下の山南町で家紋ウォッチ、二日目

凝りもせず、炎天下の旧氷上郡山南町域で家紋ウォッチ。家紋そのものは、いわゆる田舎ぶりというのだろうオーソドックスなものがほとんどだった。が、村墓地には同姓同紋が多く、丹波地方で「株」と呼ばれる同族結合の名残が感じられるのであった。また、一昔前は株ごとに営んでいた墓所を、集落単位の村墓地化するところが増えたという。結果、古い墓石は処分されることになり、何やら懐かしくも個性的な彫りの紋(手掘り感に癒されます)は姿を消しつつある(なんとも惜しい)。さらに新しい墓苑が造成され、分譲もされるようになると都市部からの流入もあったりして、地域独特の家紋や名字の風味も薄れていっているようである。

今回、歩いた山南町域の家紋分布を見ると、総じて「違い鷹羽」紋と「カタバミ」紋が多かったが、谷川を境として西部では「違い鷹羽」「違い矢」を併せると122で調査地区の37%、東部では「違い鷹羽」についで「カタバミ」が多かった。それぞれ、地域を領した中世領主の家紋が影響しているように思われ、家紋には家の歴史と地域の歴史が封印されていることを改めて感じたことだった。

墓地にお邪魔して思ったことはさまざまにあるが、「違い鷹羽」と「違い矢」は同姓の家がそれぞれ用いている例が多いのはやはり「同紋」という扱いなのだろうか?「カタバミ」では「剣カタバミ」が多数派、名字と地区との関係では「抱き茗荷」が林さん、「檜扇」が前川さん、森田さんが「剣カタバミ」、酒井さんと若林さんが「三つ巴」というのが目に付いた。篠山との境目の地区に多い永井さんが、集落によって「梨の切り口(唐梨)」と「違い鷹羽」に大別されていたこと、ぽつぽつとある藤原さんのほとんどが「藤(わずかに一件だけ)」紋を用いていないことなどもなにやら気に掛かった。


古い墓石に彫られた、手作り感あふれる家紋には癒されます〜

新しい墓石では見ることのできない、モッチャリ感 立ちおもだか

横もっこう

これは楽だったろうな、と思えるのにバランスの悪いこと 三つ引き

なんともいえない、ザックリ感がグーです 鷹羽

二引きに覗き菊

ほとんど手抜き? それでも「上げ上」は守られています

古いカタバミ紋。見れば、それぞれ笑っているよう、怒っているよう、などなど微妙な表情があらわれてくるような。

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山南町で家紋探索

夏休み二日目、炎天下の中を丹波市山南町域の墓地で家紋ウォッチ。山南町といえば「一番」紋で有名な久下氏が中世を通じて、勢力を有したところである。以前、調査した山南地区に多い久下家の本家と思われる家の紋は「一文字に逆さ鷹羽」と「違い鷹羽」であった。

今日、汗だらけになって歩き回った山南町域の家紋は「鷹羽」と「矢羽」が群を抜いて多かった。南中地区で見つけた久下家が「一本矢羽」、廣内家が「並び矢羽」、奥地区では山南町の多姓笹倉(篠倉)家が「違い鷹羽」を多数派として笹にちなんだ「九枚笹」「笹竜胆」、応地地区では、岸本・堂本・板野・荒川・北田・田中・村中・中野・松浪・山下家が「違い矢羽」、堂本・東田家が「並び矢羽」、そして、岸本・板野・田中・山下家が「違い鷹羽」を用いていた。

按ずるに山南町域(とくに久下氏が所領とした地区)で「鷹羽」と「矢羽」紋が多いのは、久下氏に由来したものであろうと思われたが、どうだろう。また、片切(片桐)氏の家紋を調べたとき、篠山市内今田町で家紋をウォッチしたときにも感じたことだが、おそらく「鷹羽」と「矢羽」は同じものという意識で用いられているのであろう・・・。元をたどれば当たり前、といえば当たり前、だが。


笹倉家、篠倉家 の代表紋といえそうだ

丹波山南地域の石塚氏の代表紋であろう

廣内家はすべて「並び矢」紋であった

久下家 鷹羽からの転化か?

堂本家 もともと矢羽根だったものから転化したものか?

堂本家、墓石に初代と彫られていたことから創作紋の可能性が高い。

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2016年08月04日

次女と備中松山城に遠征

今日から夏休み、かねてより思い描いていた備中松山城に遠征。プラス高梁市城下町の寺院群の墓地で家紋ウォッチ (^_^)

今日は想定通りに、松山城を歩き回ってきました (^_^)むっちゃくっちゃ暑かったですが、夏の近世城郭と戦国山城を堪能しました (≧∇≦


松山城、本丸〜〜ッ! うるさい蝉の声と相俟って、暑〜〜〜〜い!

大松山城を踏破。城域は広いが、造りは大味・・・かも。

  大松山城の井戸、しっかり石垣が積まれ水も澄んでいた。もちろん、飲む勇気はありません。

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備中松山で家紋ウォッチ

備中松山城、城下町の一角を占める寺町界隈で家紋ウォッチ。炎天下の中、三村氏墓所のある古刹・頼久寺を皮切りに、龍徳院、巨福寺、寿覚院、道源寺をめぐり、水谷家墓所のある定林寺、最後に板倉家菩提寺である安正禅寺の境内墓地をめぐった。

文字通りの汗みずくになっての墓地歩きだったが、総じてオーソドックスなものが多く、

「おお〜!」という家紋には出会えなかった。


三村家親・元親の墓

打たれた家紋は「根笹」???

羽場家 傘

金子家 三つ追い蝶


菊楽家 三つ目

巨福寺 雨森家、今日一番の出会い!

水谷家墓所のある定林寺

右:初代水谷勝隆 左:三代勝美 の五輪塔 

板倉家菩提寺の安正禅寺

屋根瓦に九曜紋

古瓦の供養紋

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