2016年07月31日

ガイド役で三尾山城に登る

今日は予定通り、6人の方をガイドするかたちで三尾山城に登山。朝方に雨が降ったらしく湿気が高く、休み休み二時間(主郭まで)の登山は予想以上にばてました。夏(しかも酷暑)の山城攻めはキツかった〜 ( ̄▽ ̄)


二年前に撮影した三尾山城です

posted by うさくま at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2016年07月30日

酷暑のなか、篠山の歴史取材行

おもゼミの取材で、篠山東北部の大芋から八百里山麓を歩く。山田家、澤山家、そして畑家を訪ね、相応の成果があったが、畑守国追善墓のところで頭部に負傷。守国さんに対して何か粗相があったのかな〜?、「痛かった〜」。


資料と見合わせながら、今日、撮影した写真データを整理

みつけた山田家の墓石

山田家の家紋

畑家の住宅、周囲に濠の名残が

明智軍と戦った畑氏の追善墓。屋根のトタンにやられた



今日の取材行で一応の訪問先を訪ね、お家の方やゆかりのみなさんと色々なお話しをすることができた。いよいよ、取材の結果を整理して当日に配布するレジュメ作成に着手せねば。

posted by うさくま at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2016年07月28日

高砂で食事。帰って何気に高島易断

篠山藩窯を源とする丹波青磁・王地山焼を店内に展示、王地山焼の作品に盛り付けた創作料理(ランチとして提供される)を出されることになった「料理旅館・高砂」さんに伺った。歴史を感じさせる老舗の渋い店内、調度に、王地山焼が見事に調和し、料理も味わい深いものであった。創作料理は「王地山焼膳」と名付けられ、1,800円とのこと。ゆったりした空間で丹波青磁・王地山焼の器に盛られた料理に舌鼓を打つ、オススメです。



あまり信じないのだが、思うところあって高島易断の運勢をみた。「調整運」、天地は寂然として動かず。なるほど、当たらずとも遠からず、というところか。

私は運勢というものを横目で見ている程度なのですが、ここのところ??と思うことが多く、チラッと見たら「なるほどな〜〜」と思ったことでした。いいこともあるわけですし、知っといた方がよいかな・・・って感じです (^ ^)


posted by うさくま at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年07月24日

小田原城界隈を歩く

小田原城を散策中、むかし酔っ払って寝過してしまった上に財布ごとカバンを盗られ、ホテルに泊まるお金もなく無惨に野宿して以来のことだ。当時、あった動物園もなくなり、櫓や門などがあれこれ再建されてて…隔世の感、天守の姿も意外といいかも (^ ^)




後北条氏時代の小田原城総構の遺構・小峰の大堀切を歩いてきた。いずれも、後北条氏の城らしく横堀と土塁が特徴、小田原城総構の規模壮大さは素晴らしかった。後北条氏、もう少し頑張ってみてもよかったのでは?などと思わせるものだった。




小峰の大堀切を歩く


屈折部、正面に横矢曲輪跡


ヒトの小ささが横堀の壮大さを実感させる


西の横堀から小峰大堀切を見る


向こうの山の一夜城跡を遠望


稲荷森の惣構


惣構を東西に分断する山ノ神堀切


無念の自刃を遂げた北条氏政・氏照兄弟の墓所




せっかくなので家紋ウォッチ

まず大堀切傍の蓮船寺、内野家(七宝に十字)、小島家(五瓜に桔梗)、小島家(根笹)。

次の浄永寺、府川家(立ち沢瀉を主体として釘抜・剣片喰・松皮菱も)、林家(三つ巴)、変わっていたのが高根家(富士に水に扇)。

三つ目の桃源寺では小野家(草字?)、渡里家(三階菱)。

四つ目は鳳巣寺、守屋家の墓石がズラリ、家紋は立沢瀉を主体に剣片喰紋が少々。変わったところでは仁平家(並び瓶子)、一寸木家(違い鷹羽)。

最後が永久寺、伊藤家(文字紋、なんて読むのだろう?)この寺は蓮がキレイに咲いていたのが印象的だった。



陰輪違いに十字 とも言える


高根 という名字から、富士のタカネ(高嶺)かけたものか??

→扇が船の帆に見えます。

世界遺産富士山→「三保の松原」→能『羽衣』  黒住さん


任平 「二瓶」 にかけたものだろうな、きっと。



一文字に木のようにも見えるが、読めない 



おおお!と目を引く変った家紋こそなかったが、いずれの寺も都会化した町にあってむかしながらの関係をもった名字と家紋が現代にまで引き継がれているのが感じられたのであった。




posted by うさくま at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 山城探索

2016年07月23日

横浜線沿線の山城に登る

思いがけず横浜に出かけることになり、小机城と茅ケ崎城

小机駅のホームから公机城址を見る

主郭の土塁

大堀切が曲輪群を防御

切岸もなかなかの高い

これでもか!と横堀が城址を囲繞する



茅ヶ崎城主郭の切岸

主郭を囲繞する土塁

散策路と化した空堀

ヒトと比べると切岸の高さが分かる




せっかくなので家紋もウォッチ


小机の金剛禅寺では、神本家(下り藤).羽鳥家(横木瓜)、鈴木家(下り藤)、石井家(三つ鱗)。

都筑区の正覚寺は寺紋が「一文字三つ星」、境内の本堂庫裏落慶記念碑に刻まれた名字を見ると、金子家(違い鷹羽)、岸家(橘)、米山家(下り藤)。


posted by うさくま at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 山城探索

2016年07月21日

初孫誕生、波々伯部神社のすべてを拝受

嬉しい出来事がダブルできた〜ッ。


初孫、ついに降臨。3618gだったそうな・・・、母親は3900gだった。未だ、名前はない (^_^)


娘は横浜在住なので、なかなか会えそうにないです。いわゆる遠い田舎のおじいちゃんって存在になるのでしょうね 〜〜(^_^)




「―丹波の祇園さん―波々伯部神社のすべて」を神職の T さんよりいただきました。この冬、神社に伺った時、親しくお話しいただき、普段は見られないところも案内いただきました。まことにありがたいことです。またお話を聞かせていただきたいと思いながら、野暮用が続いてなかなか実現しません。


posted by うさくま at 23:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年07月18日

大阪から大和小泉へ取材行

月初より格闘していた校正が完了、編集事務所さんへ返送した。校正しているなかで、気になった志紀長吉神社、大和郡山の慈光院へ家紋取材に遠征。大和郡山はむかし住んでいたところだけに、どう変わっているのか楽しみだ。

0718_yamato01.jpg

すっかり変わってしまった大和小泉駅


大和小泉駅を降りると驚くべき変貌。あれも、これも、それも、ほとんど無くなっていました。なんといっても、家が駅の周りにミッシリ建っているのにビックリでした。

十年以上も住んでいたのに新しい発見ばかり! でも、かつて田圃だったところには家が建ち、利用したスーパーも、世話になった診療所もなくなって、町はスッカリ変わっていた。


0718_yamato02.jpg

富雄川

0718_yamato03.jpg

懐かしい町なみ

0718_yamato04.jpg

こんな家がまだ残っているんだ〜

変わったとはいえ、富雄川を渡り古い集落に入って行くと昔のままの風景、その奥に鎮座する小泉神社も懐かしい。むかし、初詣はこの神社と決まっていた。

0718_yamato05.jpg

毎年、初詣に行った小泉神社

0718_yamato06.jpg

小泉城から移築された門

0718_yamato07.jpg

神紋は「五七の桐」

0718_yamato08.jpg

拝殿、秋祭のとき境内に神輿が集まる

0718_yamato09.jpg

神社すぐ西の「宮西」さんの長屋門

0718_yamato10.jpg

宮西家の紋は「抱き柊」


大和小泉の中世は小泉氏、近世は片桐氏が領主として存在した。

住んでいたころ、小泉氏はもとより片桐氏などの武家に関して興味は薄そうな感じであった。どうしても、大和郡山城、筒井城の方に目が行くらしく、小泉氏、片桐氏への思いは低かったような・・・。

久しぶりに町を歩いてみても、小泉氏、片桐氏をアッピールするものはみかけない。今年の大河「真田丸」に結構出ているにも関わらず、片桐氏の扱いは変わっていないようだ。

0718_yamato11.jpg

小泉城外堀と石州流家元

0718_yamato12.jpg

家元の「割違い矢羽根」紋

0718_yamato13.jpg

家元表札の「割違い矢羽根」紋

0718_yamato14.jpg

家元は旧藩士の住宅敷地を併せたものとか

0718_yamato15.jpg

屋敷を囲繞する瓦には「割違い矢羽根」紋

0718_yamato16.jpg

子どもたちが通った小学校


大和小泉といえば。片桐氏の菩提寺であった慈光院が有名。石州流茶道家元片桐家から子どもたちが通った片桐小学校、そして慈光院までむかしと変わらぬ道をそぞろ歩き。慈光院近くの墓地で見つけた遠山家の墓に刻まれた「九字紋」、小泉藩士・遠山家だろうか?


0718_mon02.jpg


たどり着いた慈光院のあたり、記憶している景色とほとんど変わっていないような。寂び寂びとした参道を登っていくと土塀や山門の瓦に「割違い矢羽根」紋、茨木門を入った境内は静寂そのもの、外の暑さがうそのような涼しさ。拝観受付をすまし書院で一休み、熱い抹茶に家紋を象ったお菓子をいただく。目の前に広がる奈良盆地、贅沢な空間である。

さて、慈光院には片桐氏の家紋「割違い矢羽根」紋がそこかしこに描かれ、今回の目的を果たしたことであった。先の和菓子をお土産に買うと、栞には「割羽違い」とありました。片桐氏の家紋の名称は「割羽違い」で一件落着かな。

0718_yamato17.jpg

大和小泉といえば慈光院、ここも「割違い矢羽根」紋

0718_yamato18.jpg

片桐且元ゆかりの茨木城から移築された茨木門

0718_yamato19.jpg

慈光院の寂び寂びとした境内

0718_zikouin.jpg

お茶菓子も「割違い矢羽根」型

0718_yamato21.jpg

そこかしこに「割違い矢羽根」紋

0718_yamato22.jpg

書院からは奈良盆地が

0718_yamato23.jpg

提灯の箱にも「割違い矢羽根」紋

0718_yamato24.jpg

ふたたび茨木門


慈光院を辞したあと、中世小泉氏、近世片桐氏が拠った小泉城址を探索。小高い丘に主郭を置き、周囲に武家屋敷があったようだが、いまは丘上に城址を示す石標があるばかり。遺構としては切岸状の地形、かつての堀跡であろう溝が残っているばかりだ。慈光院でいただいたかつての町割り図を見ながら城址周辺を歩いてみたが、名残らしきものは乱せなかった。


0718_yamato25.jpg

0718_yamato26.jpg

小泉城址

0718_yamato27.jpg

堀跡


そこから、かつて暮らしていた分譲地を経て、大和小泉駅に帰っていった。むかしには気づかなかった町の風景、見落としていた歴史に出会えたいいミニ旅であった。


0718_yamato28.jpg

あれから30年。まだ、旧宅が残っていた

0718_yamato29.jpg

通いなれた通勤路

0718_yamato30.jpg

田んぼだったところにバスターミナルが


わが想いでの町―大和小泉。町は大きく変わっていたけれど、小泉神社、慈光院はまったく変わっていませんでした。町の景観における寺社の存在の大きさを再認識した。ほぼ二十数年ぶりにゆっくり歩いて、「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。」を実感したことでした。


posted by うさくま at 23:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史探索

2016年07月16日

面白ゼミナール、山城編の整備に出動

秋に予定されている「おもゼミ山城編」にリストアップされている栃梨城の整備作業に先輩Tさんと汗を流した。なんということもない山城と思っていたが、何度か登り、整備作業に汗を流すとなんとなく愛着が出てくるから不思議だ。それに、意外とよい感じの山城であることも再認識したことだった。

登り口に河原家の墓所、家紋は九曜

尾根筋の出曲輪

二重堀切の北側堀切

二重堀切の南側堀切、土橋付

主郭への虎口

主郭切岸と二の曲輪





午前中、栃梨城跡の整備作業で流した汗をシャワーでスッキリしたあと、昼からは荒木城の整備作業に汗を流す。登城路途中にある出曲輪の曲輪二つ、堀切を整備したのち、一服して次は主郭部へ。と思ったところで今日の暑さはピーク状態、これは危険ということで今日の作業は無理せず切り上げて下山に決定。
下山したのち、以前、山麓の家の方に案内してもらった荒木氏の五輪塔残欠を祀った墓所を訪ねる。文字通りの残欠であったが、いまもゆかりの方によって丁寧に祀られている様子がゆかしかった。


登り口、カンバンも新調されている


山麓の細工所砦跡、山側の大堀切


出曲輪の灌木を伐採


南端部の堀切もスッキリ


切岸も明確になった


山麓に祀られる荒木氏の五輪塔残欠群




posted by うさくま at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 篠山の山城

2016年07月10日

信濃武家伝、三校をチェック中

三校をチェック中。

昨年の四月頃から草稿をひたすら書いて、夏過ぎに送った後に

秋ごろ修正依頼を受けてほぼ全面見直しして返送。

暮れ頃に組版初校がきてページを大幅に削減して、

ゴールデンウィーク前に再校がきてガッツリチェックして返送。


0710_sinano.jpg


二ヶ月待って、きた三校正、それでこの付箋の多さ!

愕然としました (*_*) 。が、気合を入れてチェック作業に奮闘中。

う・・・??、息抜きに山城か、墓地に行きた??い (≧∇≦)

posted by うさくま at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年07月08日

「ふるさと亀岡のお城」の図録を入手

某所で「ふるさと亀岡のお城」の図録を入手した。

そのなかの展示資料一覧で目を引いたのが

亀山藩史料という「旗之紋、幕之紋、家紋、替紋」、

こちらの翻刻版は出ないのだろうか?


0708_zuroku.jpg


山城系のものは、すぐ品切れになってしまうそうです。

ブームは、怖いですね〜

すでに世の中に出ている縄張図(福島さん製)ばかりです。

が、こういうふうに一冊になるとありがたいですね。

posted by うさくま at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年07月03日

63回目の誕生日

今日は福知山図書館へ。目当ては「京都府中世城館跡調査報告書」、全四巻のうち丹波編。すでに行ったところ、これから行こう、おもしろい縄張り図なんどのページを複写してきた。報告書、販売すればスマッシュヒットになると思うのだが・・・、その気は無いらしい ( ̄▽ ̄)

posted by うさくま at 23:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2016年07月02日

綾部上林谷の山城を巡る

丹波は夏日。綾部上林谷の家紋ウオッチと山城攻めに行ってきた。

比丘尼城→弓削城→折山城・折山西城→梨子ケ岡城→沼ケ谷城をめぐりながら、道中にあるお寺、墓地を訪ね家紋を採取、汗だくで熱中症寸前状態になったが、山城と家紋を同時に楽めた実りの多い綾部行となった。



比丘尼城


比丘尼城を見る。山城というより館城

曲輪を区画する段構え

いくつかの古墳が櫓台・土塁に転用されている

主郭の土塁虎口

昨年来、気にかかっていた古和田家の古墓も城址に。墓に彫られた家紋は「松皮菱」



弓削城跡


綾部上林谷、二つ目の山城は弓削城跡。道なき斜面を汗みずくになって直登、素晴らしい遺構が待っていた。


城跡を遠望


堀切


堀切を曲輪から見下ろす


曲輪を区画する段構え


主郭部と東曲輪部を二分する堀切


東曲輪部中央の箱堀


東曲輪部東端の切岸と曲輪


箱濠を別角度から





折山城・折山西城


三つ目は折山城・折山西城。堀切跡を拡張したと思われる切通し道を挟んで二つの曲輪群で一城を構成する二郭一城構造。東曲輪群は竪堀、西曲輪群は曲輪を区画する堀切が特徴的。おそらく東曲輪群が主郭で、西曲輪群がのちに造成されたものに見えたがどうだろうか?
帰った途端に家族から汗臭いからシャワーを浴びろ!とドヤサレ、汗だらけの服を脱ぎ捨て体重を測ると2sちょいの体重減。夏の山城攻めはダイエット効果もバッチリです。


城址を遠望


東曲輪群・とっかかりの曲輪


山上曲輪群の切岸と横堀


明確に造成された曲輪が連なる


主郭の虎口


北斜面を防御する大竪堀


東尾根を遮断する堀切


東曲輪群と西曲輪群を区画する堀切(切通し道)


土橋を伴った堀切


稲荷社が祀られた西曲輪群の中核となる曲輪


祠後方の堀切


さらに西に連なる曲輪の堀切


堀切を西尾根曲輪より見る


祠のある土壇は櫓台跡であろうか?


二重堀切、チョッと分かりにくい


城址近くの村墓地、「株柏(古木柏)」紋を発見。名字は八木さん






梨子ケ岡城跡


綾部上林谷の山城、四つ目は梨子ケ岡城跡。仕入れた情報(山城賛歌のTAKUさん)によれば丹波には珍しい畝状竪堀群で防御した遺構であるとのこと。ややばて気味の身体を叱咤して登った山城は、山上の曲輪を囲繞するハリネズミのごとき畝状竪堀、城跡から伸びる尾根筋を遮断する二重堀切、三重堀切がしっかり造成されている。灌木が繁茂しているものの曲輪は削平も丁寧、切岸もしっかりしている。まことに小さな山城ではあったが、登った甲斐は十分なものであった。


登り口の玉泉寺、臨済宗の古刹だが無住


竪堀から続く堀切


曲輪に至る虎口状地形


切岸も削平もキッチリ造成されている


西尾根の二重堀切


南尾根の大堀切


堀切は斜面を三重に防御する


畝状竪堀群





沼ケ谷城跡


綾部上林谷の山城、五つ目は沼ケ谷城跡。伝承によれば渡辺隠岐守が築いたといい、山城というよりは居館であったろうというものだ。背後を大土塁(一部に櫓台状地形)と尾根筋を遮断した大堀切で防御した主郭を主体に、街道筋に伸びる斜面に削平地(後世の畑地か?)が連なり、すべてを城址とすればなかなの規模である。しかし、城址一帯は竹藪と化し、足元はぐずぐず、こりゃ〜ダニの巣窟だなと思わせるデンジャラスな状態であった。削平地の一角に古い墓地があり、お邪魔すると渡辺家の墓所であった。そういえば、登り口近くにも渡辺家が、おそらく城主にゆかりの渡辺さんと思われたが・・・。


遅まきながらですが、上林界隈を探索して帰って二日ほどたったころ、痒くなってきてダニに噛まれていることが発覚。うまく取れず病院にいってきました。夏の山城歩きはダニ攻撃、必至です (_;)


竹藪と化した削平地(畑跡かも・・・)


虎口を登った左手、これは曲輪だろう


主郭部後方を防御する大土塁


大土塁から堀切を見下ろす


堀切、でかい!


改めて堀切


曲輪の一角に残る古墓地

家紋を見ると「渡辺星」


posted by うさくま at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城