2016年06月29日

竹内保史さんの個展に行ってきた。

丹波青磁 篠山藩窯 王地山焼の若き陶工・竹内保史さんの個展に行ってきた。久しぶりの大阪、丹波とは違う人の多さに疲れたかも。スッカリ田舎のオッサンです(もともとそうだが)。竹内さんの個展は新作も多く、柔らかな風合の翠の肌が素敵でした (*^_^*)

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2016年06月26日

丹波園部の小さな山城に登る

午前中ディスカバーガイドで篠山城から武家屋敷を歩いたのち、昨日、生憎の雨で断念した園部大村田中城とメディアを忘れてうまく撮影できなかった天神山城を探索。
まず、天神山城。丘陵上にある遺構は主郭と腰曲輪、北斜面の曲輪に天神さんの祠を祀り、その先の尾根に小曲輪を二段。西尾根側は浅い堀切(武者隠しらしい)で防御している。主郭北西山腹に二の曲輪と呼ばれる居館跡であろう平地があり、その山側に城主後裔という足立家の墓地、その傍らに水場跡と思しき小さな水たまりが残されていた。
つぎの大村城は園部城の南西に位置する小山上にあり、東側山麓の青松寺に城主後裔という田中一族の墓所が祀られている。城址へは墓所から取りつき、道なき斜面を登り雑木をかき分けていくと尾根を遮断する堀切にたどり着く。明瞭な土橋を渡ると土塁と横堀(武者隠しとか)で防御した主郭、そこから北方尾根に二の曲輪、三の曲輪を連ねた単純な構造だが、城そのものは削平、切岸などの普請はしっかりと造成されている。また、要所に竪堀?と思われる遺構が見て取れた。城址を下山したあと城山を撮影しようと北側に移動したところで、立派な門構えの住宅を発見。「ヒョッとして!」と思って近づいてみると、はたして田中家であった。人の気配がなかったためお話を聞くことはできなかったが、屋根の妻や瓦、土蔵の白壁などに「五本骨扇に上向き三日月」紋が確認できた。
さて、つぎは・・・?と思案したところで、またもや無情の雨。先週来、連チャン続きの園部をあとにした。なんというか、園部に勢力を張った中世土豪の歴史の一端がなんとなく見えてきた気がしてきたりして、まずまずの収穫であった。

天神山城跡のある丘

北尾根の小曲輪

城山天神さんの祠

主郭部切岸と腰曲輪

主郭虎口

横堀を主郭から

水場跡の小池


大村田中城のある小山

雑木の向こうに城址が見えた

堀切

明瞭な土橋

主郭堀切側の土塁

主郭東部を防御する横堀

主郭切岸と二の曲輪

二の曲輪切岸。登り土塁と三の曲輪

城址切岸を西斜面より見る

北斜面の竪堀状地形

二の曲輪から主郭への登り土塁

北山麓で見つけた田中家の家紋

土蔵の壁、屋根瓦にも家紋

posted by うさくま at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 丹波の山城

2016年06月25日

園部南部で雨中の家紋探索

今週も園部に出っ張って家紋を探した。まずは大村城主田中氏の歴史を探りつつ大村城踏破を目論み、まずは園部南部に位置する天神山城に攻め上った。足立氏が築いたという小さな山城で、城址の祠は足立一族が守っているとのことで、山麓曲輪に「五本骨扇」紋を刻んだ足立家の墓地が祀られていた。墓地には宝篋印塔、五輪塔などの残欠も整理されていて、足立一族の歴史の古さが知られた。

城址を歩いているところで雨がピリピリ(篠山方言)としてきた、ということで大村城登山は断念して黒田城主森氏の後裔であろう森さんの墓所を探すことにする。黒田城址山麓の寺を訪ねると曹洞宗観景寺という古刹で、後方の山に墓地を見つけて分け入るとズバリ森家の墓所であった。家紋は!と見ると「折敷に立葵」紋、墓地には和田家、西田家の墓石もありいずれも「立葵」紋であった。さらに古い墓域に移動すると「隅立て四つ甃」「剣片喰」の家紋を彫った森家の墓石、そしておなじみとなった西田家の「立葵」紋、木村家の「隅立て四つ目結」紋、さらに須知家の墓石があり家紋はバッチリ「雁」紋であった。

天神山城主であったろう足立氏、黒田城主であったろう森氏の家紋を発見できたところで雨足が強くなり、家紋探索を切り上げて帰路についた。園部森氏の家紋は何となく亀岡に多い森氏の「藤に鎌」紋であろうかと想像していたが外れであった。それにしても、先日来の西田家、川勝家もだが、園部のあたりには「立葵」紋が多いことである。


天神山城址の足立家墓所

五本骨扇紋(変わり? 地紙なし?)

五本骨扇紋(こちらはオーソドックス)

黒田の観景寺より黒田城址を遠望

折敷に立葵(森家)

  折敷と隅切角の見分けも、悩ましい。


丸に立葵(森家)

鉄砲角に立葵(森家)立葵の彫りが繊細

鉄砲角に立葵(森家)

丸に隅立て甃(森家)

丸に剣片喰(森家)一軒だけだった

   森家の家紋、立葵6.5・石畳3・片喰0.5 という比率だったような。


和田家の立葵

西田家の古墓に彫られた立葵

西田家の立葵

須知家の頭合わせ三つ雁

  須知家の家紋については「籾井家日記」という江戸時代に成立した軍記物語に「雁」紋と書かれていて江戸時代において

 「須知家は雁紋」と認識されていたことが知られます。

posted by うさくま at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋

2016年06月20日

丹波の名字と家紋を追っかける

丹波のあちこち20132016


昨日、園部で家紋ウォッチしたとき西田家、川勝家の「立ち葵」紋の多さを見て、丹波八木城の西北山麓の村墓地でも西田家と川勝家の「立ち葵」紋を見つけたことを思い出した。また、同じ墓地内に八木家の墓石群があり挙って「唐花」紋、八木城主内藤氏の居館跡?と目される東雲寺の墓地にも八木家の墓石があり「蔓持ち唐花」紋、この寺にも川勝家の「立ち葵」があった。さらに亀岡西方の浄光寺にも西田家の墓石があり「立ち葵」紋、これら丹波西田家は『見聞諸家紋』の西田家にゆかりの家々と思ってしまうのだが、どうなんだろう?

それらとは別に亀岡から園部の墓地で見かける広瀬家は、ほとんどが「九曜巴」紋、これはもう間違いなく同族関係と思われるのだが・・・。そういえば、人見家の「違い鏑矢」紋、河原家の「卍」紋、桂家の「梅鉢」紋なども亀岡から園部の墓地で見かけるが、これらも保津・馬路の苗字群にゆかりの家々だろう。

このように地方の家紋を見ると「おおおっ!」と目を見張る変った紋形のものは少ないが、家の歴史を内包しつつ名字と家紋が移動し広がっていく跡が見えてくるような。井上、内藤、井尻、山内、畑、細見などなど、なんとなく丹波の家紋と名字マップが頭のなかに浮かんでくるのだ。


丹波八木城山麓墓地 八木家

旧八木町は八木氏発祥の地か?と思うほど唐花の八木さんが多い、そして隣町の亀岡にも唐花の八木さんが広がっています。

高澤:八木と言えば日下部氏族と思うので木瓜が主流のように思うのですが、そうでもないんですね。


川勝家

西田家

廣瀬家

亀岡浄光寺墓地 西田家

同じく西田家

八木東雲寺墓地 川勝家


八木家 亀岡から八木あたりの八木家はこぞって「唐花」紋

唐花に蔓、本来ならありえない、というところがオモシロいですね。

ちなみに、この東雲寺の八木さんだけでした蔓持ちは。いまのところですが・・・

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2016年06月19日

園部田中さんの家紋

朝から雨中で家紋ウォッチ。地図で見つけた墓地を訪ね歩き、青松禅寺後方山麓の墓地の一角に田中一統であろう墓地を発見。家紋を見ると「五本骨扇」を基本に三日月を配したものが混在していた。田中家の墓所は、素晴らしい姿の五輪塔や古い墓石が大切に祀られ、その様子は相当の旧家と見受けられた。田中家の歴史を調べてみたいものだが、お寺はヒトの気配がしなかった。どなたか、園部田中家の歴史を知っている方、どのような家なのか、ご教示ください。


田中家の墓石のみが祀られた墓地

丸の内に五本骨扇

要の部分がこじんまり

平べったくなった地紙に三日月

三日月が真向き

真向きの三日月が太くなった

古い墓石、五輪塔群が歴史を感じさせる

posted by うさくま at 11:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 家紋

丹波園部で家紋ウォッチ

雨の中、前から気にかかっていた園部の墓地で家紋探索。

まずは園部駅近くの教伝寺(浄土宗)境内墓地へ。すべりそうな墓地には、森家の「上り藤に鎌」、俣野家の「巴に八つ桔梗」、井上家の「結び雁金」、舩越家の「三つ巴」、井尻家の「隅立て四つ目結」、西田家の「立ち葵」などなど丹波らしい家紋、珍しいものとしては川邉家の「古木梅」、仁丹家の「隅切り角に算木」、なんともユーモラスな大槻家の「株柏」など。

つぎは南陽寺(曹洞宗)境内墓地。塩貝家の「雁金」、坂根家の「藤輪に山字」、小林家の丸「丸の内角に桐」、赤井家の「雁」、内藤家の「下り藤に立鼓」、湯浅家の「九曜」、こちらはオーソドックスな家紋ぞろい。

三つ目は浄土真宗本福寺裏山の城南共同墓地。目を引いたのが田中家の墓が林立する一角で、刻まれた家紋は挙って「五本骨扇(月のあるものも)」。以下、野中家の「桔梗」、西岡家の「違い矢羽」、柳瀬家の「橘」などなど。最後は香林寺(曹洞宗)境内墓地。浅井家の「九曜」、藤田家の「剣花菱」、舩越家の「三つ巴」、中西家の「梅鉢」、西田家の「立ち葵」が目に付いた。

園部の墓地をめぐって名字と家紋とが見事に一致していること(例外はあるが)が印象的だった。また、いずこの墓地にも西田家の墓石がありほとんどが「立ち葵」であったこと、これは『見聞諸家紋』に収録されている西田家が園部の武士だったことと無関係ではなさそうだ。さらに川勝家の墓石もぽつぽつあったがいずれも定番の「立ち葵」紋であった。総じて、園部界隈の墓地では珍しい家紋に出会えなかったが、然もありなんという家紋が多いのが特徴的であった・・・としておこう。


森家

先日の京都発表会で岡田さんが話されていた家紋ですね。

仁丹家 ニタン と読むようです。

俣野家

川邉家

井上家

大槻家(定番の雁紋が多かったが) なんともモッチャリした株柏紋

舩越家(三つ巴が断然多数派)

西田家

丹波の西田家の家紋は「立葵」が多数派、今日だけで10軒以上の西田家の墓に出会いましたが、九割以上が「立葵」紋でした。やはり、『見聞諸家紋』の西田家の流れが脈々と現代に紡がれているということなのかな〜、と改めて思ったことでした。

塩貝家

坂根家

小林家(桐のみ、桐に一つ引も)

赤井家

西田家

湯浅家 九曜

内藤家

浅井家(丸なしが多数派)

またまた西田家

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2016年06月18日

おもゼミ取材、大芋界隈を歩く

この秋に予定されている歴史探索ガイドの下調べに篠山市東部へ出張。まずは、山上家、ついで山田家、そして澤山家、最後は森本家を、厚かましくもぶっつけで訪ねてきた。それぞれ、農作業で忙しいなかで親切に対応いただき(澤山家は留守でした)、家紋の情報はもとより系図、古文書などを見せていただけるなど想定以上の成果を得ることができた。中世武家ご子孫の皆様、ありがとうございました。


石垣に濠、背後の山には山城跡を擁する山上家

山上家の「雁に菊水」紋

山田家の旧墓地に残された新羅三郎義光の石碑

重厚なたたずまいを漂わせる山田家の本家(残念ながら留守)

森本家の古瓦の「花菱」紋

森本家から山上城跡を遠望

森本家の墓所を訪ねて洞光寺へ(山門)


墓所の一角の森本家の墓には「剣花菱」が刻まれていた。

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2016年06月14日

京丹波鎌谷に細見家の家紋を探す

朝、加東市で家紋講座を終えて帰宅、せっかくの休みで好い天気。先日、発見できなかった鎌谷細見家の家紋を探しに京丹波鎌谷を再訪。

まず薬師寺を訪ねて、境内に祀られている細見家にゆかりという宝篋印塔を訪ねる。なかなかいい姿の宝篋印塔に参ったのち、庫裏を訪ねて住職の方に細見家のお話を聞き細見家の墓所を教えていただく。


薬師寺山門

薬師寺の古い鬼瓦と九曜紋


境内の見事な宝篋印塔


細見家の墓所は薬師寺にはなく、鎌谷南城の東山麓に新たに造られたとのよし。教えていただいた細見家の墓所はまさに訪ねようとしていた墓地で、真新しい墓石に刻まれていた家紋は、想定通り「丸に三つ星」であった。やはり細見家の家紋は「三つ星」が本来の家紋であったのだ!と興奮覚めやらぬ勢いで、鎌谷南城に攻め上った。


訪ねあてた細見家墓所の「丸に三つ星」紋


城址は北方の鎌谷城と呼応しながら篠山の遠方に通じる道を扼し、東山麓の篠山の藤坂に通じる道に睨みを利かす格好の位置を占めている。墓地からほんの数分の直登で城址南端の堀切にたどり着き、堀切をよじ登った北方尾根へ主郭曲輪、広い北曲輪、その先の斜面に数段の小曲輪を配置した小さなものであった。しかし、キッチリと南尾根を遮断した堀切、主郭の堀切側の土塁、見事な高さを有した主郭の切岸、丁寧に削平された曲輪など、なかなかどうして本城であろう鎌谷城に劣らない見応えのある山城であった。


鎌谷南城の堀切(東方より)

堀切(西方より)

主郭、堀切側の土塁

帯曲輪と主郭切岸

北曲輪から主郭切岸を見る

谷を隔てて鎌谷城址を見る

水場と思われる窪地

堀切から伸びる竪堀


城址の切岸を見上げる


かくして、六年前にはじめて鎌谷城に登って以来、なんとなく心にひっかかっていた細見家の家紋との邂逅、多紀郡側細見氏との地理的関係、鎌谷南城の踏破などなど、あれこれスッキリできたことだった。ひとつ、心残りだったのは薬師寺境内にあった古瓦に捺されていた九曜紋。せっかくお会いできた住職の方にその由来を聞き忘れたことだった。中村家のものと思われるのだが、さて?



後日談


亀井博美さん

こちらでは三つ星だけの細見さんは1つも見つけられず、半菊の細見さんばっかりです。玉置あるいは玉木姓で時々三つ星がありますね〜


ついに出会えました鎌谷細見家の「三つ星」紋、古い資料「鎌谷城と薬師寺」に記載されていた通りでしたが興奮しました。また、鎌谷を実際に歩いてみて、かつての多紀郡(篠山市)との峠を結んだ関係も確認でき、自動車文明以前の人の往来が実感できました。それに合わせた山城のありかたなど、鎌谷ではいろいろと実地学習をさせていただきました (^^) ところで、玉木さん玉置さんの三つ星は「州浜」からの変形かもしれませんね?


実に小さな山城でしたが、ここを守らねば!という意思が感じられたことです。大きい山城もいいですが、知られぬ小さな山城も悪くないですね ( ´ ▽ ` )

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加東市の生涯教育センターで家紋講座

今日は、加東市の生涯教育センターで家紋の話をさせていただきます。

予定時間は2時間、気力、体力が持続できるか・・・心配かも (・・?)


2時間の長丁場、無事終了。果たして、受けたのだろうか (・・?)

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2016年06月13日

丹波鎌谷・薬師寺を訪ねる

鎌谷細見氏にゆかりの薬師寺、いまは物寂しい佇まいのお寺だが、そのはじめは天台宗寺院であったものがのちに臨済宗に宗旨替をしたという。

今回、時間にせかれて境内の探索をできなかったが、本堂の傍らに鎌倉後期と目される宝篋印塔があり、細見家と中村家が盆彼岸に供養をされているとのこと。境内の新しい墓地には中村家をはじめ薬師寺ゆかりの家々の墓石が並んでいる(家紋はオーソドックス)、が、細見家の墓石はなかった。

丹波鎌谷の古刹・薬師寺、近いうちに時間をとって再訪、じっくり探索してみたい寺だ。併せて、鎌谷南城と登り口になるという墓地にも行かねば (^^)


丹波篠山との関係を思わせる八ケ尾山が南方に見える

丸に一文字 中村家 細見氏の分れらしい。

違い矢 松木・村上

違い柏 田中

二つ引両 高橋・荻野

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2016年06月11日

篠山から京丹波 家紋探訪

ディスカバー土曜会のあと元同僚で現市議のKさんを煩わせて、この秋に予定されている歴史探索ガイドの下調べに篠山市東部に出張。ドンぴしゃの成果と、これからの面白い方向性が見えた。

そのあと、中世の京丹波鎌谷を治めていたという細見姓の家紋探索に出かけたが、こちらは見事に空振り! 再調査をしたうえで改め訪ねずばなるまい。


下調べ、最大の収穫。籾井家の三つ巴

京丹波・中村家 相馬氏系?? 伊佐氏流??

京丹波・村上家 ドンピシャ!

京丹波・森田家 丹波は森田姓が多いが、家紋は地域ごとに異なっているのが興味深い。

京丹波・小川家 源氏車に違い鷹羽

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2016年06月05日

講座下見と清水寺参詣

予定されていた「公園清掃」が雨で日延べとなったため、嬉野台生涯教育センターまでの所用時間を確認するために出かけた。

帰路、西国三十三番札所・清水寺に道草をした。清水寺は播磨から丹波にかけての古刹に多い法道仙人の開基という天台宗寺院である。境内に踏み込んで目に入ったのが「笹竜胆」紋。寺院で笹竜胆紋といえば道元禅師を宗祖とする曹洞宗寺院というのが定番だが、何故に清水寺は?と思ったが由来を御存じの方に出会えず由来探索は今後の課題となった。誰か知ってはりますか?

帰宅してから、赤松氏範の墓所を訪ねるのを忘れていたことに気付いた、痛恨の度忘れであった ((+_+))! 

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2016年06月04日

山椒とり、金山城登山

早朝から原稿整理をしつつ、なかなか上手く仕上がらない「梛」紋清書と格闘した。

ひと段落したので、山椒取り、with 金山城攻めにでかけることに決定。


0604_monkaki.jpg

山椒をゲットしたあと、金山城へ氷上側ルートで登山。



山に登ると、鳥の声、いろいろな花や木が疲れを癒してくれるが、ほとんど固有名称が分からない。覚えても、すぐに忘れてしまう。残念なことだ。


今日の山椒取りの収穫成果。いい匂い (*^_^*)



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